2026年1月12日月曜日

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「日本奥地紀行」を読む (蝦夷に関するノート (6))

 

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。初版の「第三十七信」(普及版では「第三十二信」)の次には「蝦夷に関する覚書ノート」があったのですが、普及版ではバッサリとカットされています。

ただ幸いなことに、イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』(講談社)には「蝦夷に関するノート」も含まれていました。ということで、「蝦夷に関するノート」については時岡敬子さんの訳をベースに見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

「毛むくじゃらのアイヌ」

「蝦夷に関するノート」ですが、続いては「毛むくじゃらのアイヌ」と題された内容です。原文が気になるところですが、THE "HAIRY AINOS." とのこと。

イザベラはアイヌのことを「旅行者であるわたしの主な関心の対象」として、次のように紹介していました。

蝦夷の、いや、ことによると日本全土の先住民であるアイヌは温和な未開人で、漁や狩りをして海辺または内陸に住み、日本を征服した人々にとってはアメリカ人にとってのレッド・インディアン、マレー人にとってのジャクン族、シンハラ族にとってのヴェッダ族に当たる。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.25-26 より引用)
イザベラはアイヌについて「ことによると日本全土の先住民である」可能性を仄めかしていますが、原文では not improbably となっていました。これは二重否定ということでしょうか。

「日本を征服した人々」というのも妙な表現ですが、原文では their Japanese subjugators となっていました。要は「和人」のことですね。

イザベラは次のような文章を続けていました。

実のところ、アイヌは彼らの征服者からこういった従属民族のどれよりもよい待遇を受けていると言い添えておかなければならない。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.26 より引用)
これには「え……」と思わず絶句してしまいますね。この点はイザベラの目が節穴だった……と見るべきかもしれませんが、あるいは(イザベラが列挙した)他国の被征服者は更に非人間的な扱いを受けていた……と言うことかもしれません。21 世紀の現在においては適切とは言えない文章のように思われます。

イザベラは Sir Harry Parkes の依頼により Mr. Yasuda Sadanori, First Secretary of the Kaitakushi Department からの情報提供を受けたとして、次のように記していました。

この Mr. Yasuda Sadanori を時岡敬子さんは「安田定則」としていますが、確かに Wikipedia の「安田定則」の記事を見る限り、間違いなさそうな感じですね。

 「一八七三年に行われた大まかな一斉調査によると、アイヌの人口は
   男性…………六一一八人
   女性…………六一六三人
    計……一万二二八一人
 となっている。
  この年以降個別人口調査はなにも行われていないが、アイヌの数は減少しつつあると考えられている」
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.26 より引用)
現在のアイヌの人口はソースによりばらつきが見られますが、北海道アイヌ協会の「アイヌの生活実態」によると「北海道に住むアイヌ民族の人数は 66 の市町村に 16,786 人」とあり、これらの情報がいずれも正確なものであるとすればアイヌの人口は「現状維持」と言ったところでしょうか。

また、1878 年当時のアイヌに対する政策としては次のように記しています。

 「税に関しては、金納と物納が混在」
 「文部省の教育法は北海道には適用されないが、同様の制度が開拓使により施行されており、全島民に対して生まれの区別なく適用されている。帝国政府の目的はアイヌと日本人を同等に教育することにある」
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.26 より引用)
明治の時点でも物納による納税があったのですね。また帝国政府が「アイヌと日本人を同等に教育する」ことを目指していた……とありますが、これは「同化政策」であり文化的ジェノサイドとも言えるものです。

イザベラが「アイヌと日本人を同等に教育する」ことの是非を述べていないのは賢明だったと思われるのですが、改めて読み直してみると「全島民に対して生まれの区別なく」教育の機会が与えられていることに対する「帝国政府の目的」が明記されていることに気付かされます。

つまりイザベラは淡々と事実を列挙した上で「帝国政府の目的」を追記しているので、これは「帝国政府による『同化政策』が行われている」ことを事実ベースで広く世に知らしめるものであり、「帝国政府による同化政策」をやんわりと告発している……と見ることも可能かもしれませんが、それは必ずしも人道的な見地によるものでは無かったとも言えそうな気がします。

イザベラ本人は否定するかもしれませんが、彼女は常に「大英帝国の利益」のために動いていたと思しき節も見られます。欧米列強にしてみれば「アイヌは日本人とは違う」としたほうが、何かと都合が良かった筈です。

イザベラは「多毛のアイヌ」について、次のように続けていました。

「多毛のアイヌ」と呼ばれてきたこの未開人は、鈍くて、温和で、気立てがよくて、従順である。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.28 より引用)
時岡敬子さんの訳は 2008 年に初版が刊行されたもので、ポリティカル・コレクトネスを考慮した穏当なものになっているように見受けられます。原文では次のようになっていました。

   The "hairy Ainos," as these savages have been called, are stupid, gentle, good-natured, and submissive.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)
更にイザベラは次のように続けていました。

日本人とはまったく異なった民族である。肌の色はスペインやイタリア南部の人々に似ており、顔の表情や礼儀・好意の表し方は東洋的というよりむしろ西洋的である。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.28 より引用)
ああ、やはり。アイヌは「のっぺりした顔立ち」の和人とは異なり「彫りの深い顔立ち」だとされますが、イザベラはこのことから「アイヌと西洋人」の間に関連を見出そうとしています。

あわよくば「アイヌは西洋人」だとして「蝦夷地」を西洋の植民地にしようとした……というのは言いすぎかもしれませんが、その一歩手前までは考えていたとしても不思議はありません。

イザベラはアイヌの外見的な特徴を記したのに続き、文化的な特徴について記していました。

言語はとても単純である。文字、文献、歴史はなにもなく、伝統はごくわずかにあるばかりで、自分たちが追い出された地にはなんの痕跡も残していない。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.28 より引用)
改めて読み直してみると意味深長な内容ですね。特に「自分たちが追い出された地」について、イザベラはアイヌを「ことによると日本全土の先住民である」と記しているので、これは本州・四国・九州を想定していたということでしょう。

少なくとも北東北にはアイヌ語に酷似した言語を操る人々が住んでいたことがいくつかの史料から明らかになっています。故にアイヌが「日本全土の先住民だった」とする仮説も蓋然性に富むものですが、完全に証明されたとも言えないのが現状でしょうか。

イザベラの時代の外国人がこの手の「仮説」を多く唱えたのはある種の「下心」があった……という点にも留意すべきかと思われます。

蝦夷の魅力

イザベラは「蝦夷に関するノート」の締めくくりとして「蝦夷の魅力」を記していました。

 蝦夷において、旅行者であるわたしは本州で嗅ぎ取ったより自由な雰囲気があるのに気づいた。空気が本州より自由に循環しているばかりでなく、人も獣も手足を伸ばせる空間をたっぷり有しているのである。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.28 より引用)
イザベラはここまで「野心」が透けて見える文章を記していた(と言われても本人は否定しそうですが)ことを考えると、この文も意味深長に考えたくなってしまいますが、これは流石に「下衆の勘繰り」でしょうか。

まずまずの馬を手に入れて好きに乗り回しても、侵入禁止の立て札や水田にじゃまされることはない。道からはずれて、紅ばらが群生しそよ風の吹く海辺の公有地を何マイルも疾走できる。川で泳ぎ、山に登り、「森で火をおこす」という半ば未開の生活を送っても、「規則」を犯さずにすむ。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.28 より引用)
これらの文章は、現在でも「北の大地」愛好家の共感を得るものかもしれません。実際には「立入禁止」の立て札は至るところにあり、田畑に勝手に立ち入ることはできません。もちろん好き放題にキャンプができる筈もありませんが……。

ひと言で言えば、本州ではできないことがすべてできるのである。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.28-29 より引用)
このまとめ方は「お見事!」ですね。イザベラは「蝦夷の魅力」について、次のような叙情的な文章を綴っていました。

また調査と観察に関したことから離れても、この人の少ない地には魅力がある。苫小牧とまこまい襟裳えりも岬間の太平洋があげる長く悲しげな音、内浦湾付近の荘厳なわびしさ、蝦夷の暮らしの軽やかさと自由。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.29 より引用)
イザベラは蝦夷地で「こういったもの」に「心を奪われた」として、「蝦夷の思い出」を「日本で得た最も楽しい思い出」にしてくれた……と締めていました。

時代は変わり、今や 500 万人近くが暮らす北の大地では失われたものも少なくありませんが、それでも日本中、あるいは世界中から「まだ見ぬもの」を求める人々を魅了し続けている……そんな感じがします。

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