2026年1月18日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1336) 「手保舞・ルイカナイ川・セヌシベ橋」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

手保舞(てぼまい)

tepa-oma-i
ふんどし・そこにある・もの(川)
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
王幸納」三角点の南、庫富沢川の西に「手保舞」という名前の四等三角点が存在します(標高 216.5 m)。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が見当たりませんが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「テポマイ」という川が描かれていました(三角点よりも北東寄りですが)。


「東西蝦夷──」には描かれていない?ものの、何故か戊午日誌 (1859-1863) 「茂無辺都誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     テホマイ
同じく左りの方相応の川のよし也、其名義はモンヘツ土人チカフ(チカペラン)の祖曽父、酒に酔て此処を通る時、*鼻渾を落し置しによつて、此村の者等其を爰の名とせしとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.619 より引用)※ 原文ママ
「犢鼻渾」には頭註があり「とくびこん」「ふんどし」「レパ・テパ」とあります。どうやら「犢鼻」が正しい表記らしいのですが……。

まだ続きがありました。

本名はレハマイのよし。褌の夷言レバと云よし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.619-620 より引用)
「ふんどし」を意味する tepa という語がありますが、松浦武四郎はインフォーマントから「『テパ』は正確には『レパ』なんだ」と聞かされたようです。ただ手元の辞書類を見た限りでは repa で「ふんどし」を意味するという記述は無く、『アイヌ語方言辞典』(1964) でも全道的に tepa となっていました。

「ふんどし川」という川名は珍妙に感じられますが、深川に「デバウシナイ川」という類例があります。アイヌは川を擬人化していた……と言われることがありますが、知里さんの考えではそうではなく「川は生物そのものだった」とのこと(詳細は氏の『アイヌ語入門』(1956) を参照ください)。

「川は生物」なので、河口は o-(尻)と形容することが多いのですが、知里さんは o- を「陰部」と表現することもありました。つまり「ふんどし川」は「陰部」を隠す何かを形容すると考えられます。具体的には河口のすぐ手前で流れが二手に分かれていて、中洲のような場所があった……のではないでしょうか。

「テホマイ」は tepa-oma-i で「ふんどし・そこにある・もの(川)」だったのでは……と思われます。

ルイカナイ川

ruyka-nay
丸木橋・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
道道 80 号「平取門別線」の「義経峠」の東を流れ、日高町広富(かつての仁立内にたつない)で日高門別川に注ぐ北支流です。国土数値情報では何故か「ルイカチナイ川」とされています。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には何故か「モンヘツ」(=日高門別川)の側に「ルイカ」と描かれていました。


北海道実測切図』(1895 頃) ではほぼ現在の位置に「ルイカナイ」と描かれています。


戊午日誌 (1859-1863) 「茂無辺都誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ルイカ
同じく左りの方相応の川也。其名義は深きが故に橋有故号しとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.620 より引用)
地名アイヌ語小辞典』(1956) によると ruyka で「丸木橋」で、ru-ika で「路・またぐ」に由来するのではとのこと。「ルイカナイ」は ruyka-nay で「丸木橋・川」と見て良さそうな感じですね。

ruyka(-us)-nay だった可能性もあるかもしれないので、「ルイカチナイ川」という表記はそこから来た可能性もゼロでは無さそうですが……(詳細不明)。

セヌシベ橋

san-us-pe?
出崎・ついている・もの
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高町広富で日高門別川に合流する北支流「門別沢四号川」沿いの町道広富 2 号線に「セヌシベ橋」という橋があるとのこと。『北海道実測切図』(1895 頃) にも「門別沢四号川」に相当する位置に「セヌシペ」という川が描かれています。


また、門別沢四号川の西には「勢奴蕊」で「せぬしべ」と読ませる三等三角点も存在します(標高 267.1 m)。

戊午日誌 (1859-1863) 「茂無辺都誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     セヌシベ
左りの方相応の川也。其名義は魚を取に上りて、セツと云棚を架て是に上り居て、下え来る魚を括槍もて上より刺とる事也。よつて号る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.621 より引用)
「セツという棚を掛けて魚を獲る」とありますが、『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) によると set は「寝台」「クマのおり」「鳥の巣」などを意味するとのこと。魚を獲る際に使用する施設を意味する語としては tes(梁)が有名ですが、それが転訛した可能性もあるかもしれません。

ただ「棚」を意味する語として san があり、「セヌシベ」は san-us-pe あるいは san-us-pet と考えることもできます。san は「山から浜へ出る」という意味の動詞として解釈されることが多いですが(山田秀三さんがこの解釈を好んでいた印象もありますね)、『地名アイヌ語小辞典』(1956) をよく見ると次のような名詞としての解釈もありました。

san, -i さン 《名》①坂。②出崎。③棚;棚のような平山。④山から浜へ吹きおろす風。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.116-117 より引用)
「棚」とあるのが気になるところですが、現地の地形を見る限りでは「棚」よりも「出崎」と考えるべきかと思われます。門別沢四号川の東側の山が岬のようにも見えるので、そのことから san-us-pe で「出崎・ついている・もの」と呼んだのではないでしょうか。

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