2026年1月24日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1338) 「冨仁家・雨餘普」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

冨仁家(ふにか)

tunni-kar?
柏の木・切る
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高町門別と富川の間の国道 235 号沿いに「門別温泉とねっこの湯」なるスポットがありますが、その近くに「冨仁家」という名前の三等三角点が存在します(標高 44.7 m)。

北海道実測切図』(1895 頃) にも漢字で「冨仁家」と描かれています。これは「冨仁家村」が存在していたことを示すものです(1868 年~1909 年)。古くから知られた地名……と思っていたのですが、厚真町にも「トンニカ」があったのでそれと混同しているかもしれません。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には沙流川の支流として「ニカ」と描かれていました。


三角点の読みは「ふにか」という珍妙なものですが、これは「とんにか」に「富仁家」という字を当てた末にそれを誤読したと考えられます。『角川日本地名大辞典』(1987) にも次のように記されていました。

 とにか 富仁家 <門別町>
古くはトンニカ・トンニケ・トニンカともいった。日高地方西部,沙流さる川河口部左岸 。
(『角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)』角川書店 p.969 より引用)
永田地名解 (1891) には次のように記されていたのですが……

Tom ni karap   トン ニ カラㇷ゚   楢樹ナラノキヲ取ル處 富仁家トンニカ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.226 より引用)
山田秀三さんは『北海道の地名』(1994) でこの解について次のように記していました。

永田地名解は「tom-ni-karap トンニカラプ(楢樹を取る処)。富仁家村」と書いたが,不正確な解。取る処ならカルペ(kar-pe)となるので少々困る。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.360-361 より引用)
「不正確な解」と一刀両断ですが、これは文法的にあり得ないということなのでしょうね。更に項目の末尾には次のようにありました。

また楢の木の方は,この辺ではペロニと呼んでいたようである。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.361 より引用)
まさにフルボッコですね……(笑)。

tunnikomni

また戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

行て右のかた川よりは十丁も引上りて
     トンニカ村
平地、荻と薄との原槲柏のみ也。依て号。トンニカはコムニカの訛り也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.640 より引用)
この「トンニカはコムニカの訛り」とした点についても、山田秀三さんは次のように補足していました。

なお左留日誌の終わりの句はトンニはコムニの誤りとしたが,実際は共に柏の木で,土地の平賀さだも媼(故)に尋ねたら,トゥンニは「大きい柏の木」だとのことであった。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.361 より引用)
アイヌ語方言辞典』(1964) を見たところでは、komni を若木とするのは沙流方言のみで、tunni はどちらかと言えば道南で優勢だったように見えます。いわゆる「シュムンクル」(西の人)の言葉だった可能性もあるかもしれません。

kakar

「トンニカ」の「トンニ」は tunni で「柏の木」と見て良いかと思われますが、問題は残った「カ」です。ちょっと反則気味ですが厚真町のほうの「トンニカ」を見てみると……

     トンニカ村
此処岸の上少しの平地に茅野よくひらけたり。其名義は本名コムニカルと云よし也。此地槲柏多きによつて、家を作るにコムニにてカルと云儀也と。槲柏の夷言コムニと云、作ることをカルと云也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.468-469 より引用)※ 原文ママ
kar は便利と言えば便利な語で、知里さんの『地名アイヌ語小辞典』(1956) によると「打つ;作る;取る;刈る;する」を意味するとのこと。やはり素直に tunni-kar で「柏の木・切る」と見るべきでしょうか。tunni-kar というのは少々収まりが悪いですが、tunni-kar-us-i で「柏の木・切る・いつもする・ところ」だったと考えれば違和感も解消します。

あるいは tunni-ka で「柏の木・かみて」と見ることもできそうですが、「柏の木」をランドマークにするというのはちょっと珍しいような気もします。

雨餘普(うよっぷ)

u-y-ot-pe??
互いに・(挿入音)・群在する・もの
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高町庫富の北、沙流川支流の福満川を遡った先に「雨餘普」という名前の三等三角点が存在します(標高 110.1 m)。旧・門別町では無いほうの日高町には「右左府」で「うしゃっぷ」と読ませる地名がありましたが、「ぷ」に「普」の字を当てたところがユニークでしょうか。

北海道実測切図』(1895 頃) では、現在の「福満川」に相当すると思われる位置に「ウヨツペ」と描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

扨また川まゝ上る時には、同じ欠崩岸に添て凡七八丁また過て
     ウヨツペ
右のかた小川有。其名義は魚多く入ると云事のよしなり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.647 より引用)
「ウヨツペ」をどう解釈すれば「魚が多く入る」になるのか、かなり謎な感じがしますが……。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Uyotpe   ウヨッペ   鱒 「ウヨッペ」ハ鱒ノ古言ナリ松浦地圖「ウロツヘ」ニ誤ル
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.227 より引用)
あー、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) に「ウロツヘ」とあるのが、やはり「ウヨッペ」のことだった……ということでしょうか。


知里さんの『動物編』(1976) には「サクラマス」の項に sakipe とあるのですが、そこに何故か「文献」として次のように記されていました。

 文 献
 1. 日高国沙流川筋,にウヨッペ Uyotpe という地名があり,永田方正氏は「鱒」の義に解し,「ウヨッペ」ハ鱒ノ古言ナリ,松浦地図「ウロッヘ」ニ誤ル,と脚註を加えている。
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 動物編」』平凡社 p.52 より引用)
これは確かにその通りなのですが、sakipeuyotpe の関係が良くわからないんですよね。知里さんは uyotpesakipe であると考えた……ということかもしれませんが、両者の間にはミッシングリンクがあるような……。

「ウヨッペ」が「鱒」を意味するという説は裏付けが取れず、また松浦武四郎は「魚が多く入る」とだけ記しています。辞書ベースで読み解くならば u-y-ot-pe で「互いに・(挿入音)・群在する・もの」となりそうな気もするのですが……。

松浦武四郎の記録を忠実に捉える(?)ならば、ipe-ot-pe で「魚・多くある・もの」とでもなるでしょうか。これに転訛や音韻変化が加わって「ウヨッペ」になったとも考えたくなるのですが、ちょっと無理がありそうな気もします。

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