(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
美達坡(びたっぱ)
pitar-pa
小石川原・端
小石川原・端
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高町富川の市街地の北、日高道・日高富川 IC の西に「美達坡」という名前の三等三角点が存在します(標高 66.4 m)。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ピタラパ」と描かれているように見えます。
戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。
ヒタラバ
西岸平山の間の河也。其名義は末が野原と云義也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.642 より引用)
頭註には「pitar 小石河原の」「pa 頭」とありますが、その通りのような気がします。pitar-pa で「小石川原・端」と見ていいかと思われます。富川の市街地の北西は台地が広がっていて、国道 235 号は台地に向かって駆け上がることになるのですが、「美達坡」三角点のあたりは台地の東端で岬のような地形です。
pa には「頭」や「崎」と言った意味もあるので、一瞬迷いそうになりますが、pitar(小石川原)を受けての pa なので、やはり「小石川原の先端」と理解すべきなのでしょうね。
既に失われた地名だと思っていたのですが、ここもひっそりと三角点の名前として生き延びていたようです。若干珍妙な読みになっちゃってるのは惜しいところですが……。
ビラウトリ川
pira-uturu-nay
崖・間・川
崖・間・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
門別競馬場の南西、かつての日高本線の富川駅の西に位置する台地を流れて直接海に注ぐ川です。『北海道実測切図』(1895 頃) にはほぼ現在と同名の「ピラウトリ川」と描かれています。
『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヒラトルナイ」と描かれています。
永田地名解 (1891) には次のように記されていました。
Pira uturu nai ピラ ウト゚ル ナイ 崖間ノ川pira-uturu-nay で「崖・間・川」と見て良さそうな感じです。ビラウトリ川が流れるあたりは標高 20~30 m ほどの海岸段丘とも言うべき地形になっていて、かつての日高本線は崖の下の僅かな隙間を通っていました。ビラウトリ川は崖の間から海に顔を出すような川なので、「崖の間の川」と呼ばれたとしても不思議は無さそうです。
なお、pira-uturu は他ならぬ「平取」と同じでもあります。富川から平取にかけての沙流川流域には似た地名が複数存在することが多く、これらは移転地名だった可能性が指摘されています(確か「平賀」もそうだったかと)。このあたりの地名をチェックする際には注意したいところです。
阜威発普(ふいはっぷ)
uhuy-papus??
燃える・唇
燃える・唇
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ビラウトリ川河口の北西の段丘上に「阜威発普」という名前の二等三角点が存在します。これも「夜露死苦」系の三角点名ですね……(汗)。1989 年 8 月に開業した JR 日高本線の臨時駅「フイハップ浜駅」が近くにあったため、「ふいはっぷ」という地名には記憶のある方もいらっしゃるかもしれません。
地名としては地理院地図で確認できないため立項していなかった(そもそも存在に気づいていなかった)のですが、ここも三角点の名前として(強烈な当て字とともに)生き残っていました。
『北海道実測切図』(1895 頃) には「ピラウトリ川」の北西隣に「ウフイェパㇷ゚崎」と描かれていました。
『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヒラトルナイ」の北西隣に「フイハフ」とあります。これもまた永田地名解 (1891) が既存の解を改変したものの「そうじゃないよね」となって元の木阿弥……のようにも見えなくもないのですが……。
「焼気の立つところ」?
噂の?永田地名解には次のように記されていました。Uhuye pap ウフイェ パㇷ゚ 燒氣ノ立ツ處 松浦地圖高橋地圃並ニ「フイハフ」ニ作ルハ訛ナリ○此邊燒沙多ク此燒沙ヨリ瓦斯立チ上ルヲ以テ名ク「ウフイ」については「燃えている」を意味する uhuy という完動詞があるので、まずはそう考えるべきでしょうか。ただ「パㇷ゚」が良くわかりません。
永田方正は「フイハフ」を自分が理解できる形に「改変」したんじゃないか……と疑ってしまうのですが、実は『東蝦夷日誌』(1863-1867) にも次のように記されていました。
(十丁)フイハプ(境目) 本名ヲフイバフとて、昔し燒し處に依て號 く。此邊皆礁 〔燋〕沙也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.126 より引用)
これは……。見事なまでに永田地名解と同一の見解が記されていますね(逆にちょっと心配になるレベルでそっくりですが)。pa とは何か
そして「ハプ」あるいは「バフ」の意味が良くわからない……という点も同様なのですが、ちょうど「美達坡」の回でも触れた通り、pa という語にも色々な意味があります。実際に『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) を見てみても、pa だけで 9 つのバリエーションがあり、「年」を意味する名詞句だったり、「かみて」「端」を位置する位置名詞だったり「頭」を意味する名詞語根だったり、更には酒の「盃」やたばこの「一服」などの様々な解釈ができるようです。
面白いことに pa は「湯気」や「病の気」を意味する場合もあるとのこと。永田方正が「焼気の立つところ」としたのは uhuy-pa で「焼けている・気」と解釈したということでしょうか。
また -pa は「動詞の複数形形成接尾辞」とされます。これは『地名アイヌ語小辞典』(1956) にも「動詞について複数をあらわす語尾」として立項されていて、山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) にも、「雄冬」(雄冬岬)の項で次のように記されていました。
沙流の鵡川境の処にウフイパㇷ゚という処があり,uhuipa-p「燃える(複数形) ・処」の意。土地の平賀さだも媼(故人)に聞いたら,海崖に赤い崖があるからだろうとのことだった。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.122 より引用)
平賀さだもさんは沙流方言の伝承者として知られますが、この「燃える(複数形)」というのも平賀さんの解だったのでしょうか。文法上は矛盾の無さそうな解ではありますが、何故複数形なのか、ちょっと腑に落ちないところもあります。情熱的な……!?
他の可能性を探るべく辞書を眺めてみたところ、pápus で「唇」を意味するとのこと。『アイヌ語沙流方言辞典』によると「沙流方言では(中略)独立の名詞としてはこれは使われず、pátoy パトイ と言う」とありますが、『アイヌ語千歳方言辞典』(1995) によると pápus は「唇の出っ張っている部分」で「唇全体はパトイ patoy」とあります。フイハップ岬はビラウトリ川の北西に位置するようですが、ビラウトリ川を「口」だとすれば、フイハップ岬が「唇(の先端)」だったとしても不思議は無いんじゃないか……と思えてきました。uhuy-papus で「燃える・唇」という、この上なく情熱的な地名だった……と考えてみるのはどうでしょうか。
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