2026年1月4日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1330) 「オサツナイ川・コマチップ川・福種」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

オサツナイ川

o-sat-nay
河口・乾く・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型多数)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高自動車道・日高厚賀 IC の東で厚別川に合流する北支流です。陸軍図には「オサツナイ」という地名が描かれています。


北海道実測切図』(1895 頃) には「アカム」の隣に「オサツナイ」と描かれていました。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「ヲサツナイ」と描かれています。


戊午日誌 (1859-1863) 「安都辺都誌」には次のように記されていました。

また少し上り
      ヲサツナイ
左りの方小川、其名義川口おりおり干るよりして号るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.105-106 より引用)
はい。素直に o-sat-nay で「河口・乾く・川」と見て良さそうですね。

コマチップ川

kuma-chi-tuye-p?
横山・自ら・切る・もの
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
かつての日高本線・厚賀駅の北西、「厚賀生活館」の隣を流れる川です。国道 235 号の旧道には「コマチップ橋」があり、コマチップ川水源の東(日高自動車道・厚賀トンネルの南)には「小松節婦」という二等三角点(標高 117.3 m)も存在します。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「シユフンコツテ」と描かれていますが、その隣の「クマツトエフ」が本命?のようですね。

北海道実測切図』(1895 頃) には「クマチトイエプ」と描かれているように見えます。

棒を切るところ?

『初航蝦夷日誌』(1850) には次のように記されていました。

     クマツトヱフ
夷小屋二軒。是また海岸の字なり
松浦武四郎・著 吉田武三・校註『三航蝦夷日誌 上巻』吉川弘文館 p.313 より引用)
『竹四郎廻浦日記』(1856) にも次のように記されていたのですが……

     クマ(フ)トヱ
此辺も昔し四軒程住せし由。当時一軒もなし。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読『竹四郎廻浦日記 下』北海道出版企画センター p.525-526 より引用)
「チ」が「フ」ではないか……としていますが、これはちょっと謎ですね。他の記録と照合する限り、少なくとも「フ」では無いように思えるので。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Kuma chi tuyep   クマ チ ト゚イェㇷ゚   棒ヲ伐ル處 此棒即チ「クマ」ハ魚等ヲ掛ケテ乾スニ用フ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.227 より引用)

そこに棒はあったか

『角川日本地名大辞典』(1987) によると、「天保郷帳」には「クマチトヱブ」とあるとのこと。確かに永田地名解 (1891) の言う通り、kuma-chi-tuye-p と考えるべきに思えてきましたが、「棒を切るところ」というのはミスリードに思えます。

厚賀の海沿いの市街地の後背には海岸段丘が広がっていますが、「コマチップ川」は段丘を切り刻むかのように流れています。kuma-chi-tuye-p は「横山・自ら・切る・もの」と見るべきかと思います。

福種(ふくもみ)

hup-oma-i
トドマツ・ある・ところ
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高自動車道・厚賀トンネルの北西側入口の北に「福種」という四等三角点が存在します(標高 110.7 m)。なんと「福種」で「ふくもみ」と読ませるとのこと。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「フクモミ」という川が描かれていました(!)。あまりにそのまんまなので驚きですが……。


この「フクモミ」は、『北海道実測切図』(1895 頃) では「フポマイ」に変化していました。なんか嫌な予感もしますが……(汗)。


『午手控』(1858) には「フクモミ」の註として次のように記されていました。

フプヲマイ(椴ある所)→フポマイ→フプモムイ→フクモミと転訛。流路延長三・二キロの小川
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.65 より引用)
これは永田地名解 (1891) の内容を追認するものですが、永田さんは自身が理解できる形に地名を改変しちゃう悪い癖があるので、果たして素直に信じて良いものか……?

ところが、『東蝦夷日誌』(1863-1867) に絶妙なアシスト(?)がありました。

マウタリ(廿三丁十間)、フクモミ(川、橋、番や、小休所あり)本名フヽヲマイ有なり。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.155 より引用)
これは決定的ですね……! hup-oma-i で「トドマツ・ある・ところ」と見て間違いないでしょう。疾うの昔に消え失せたと思っていた地名ですが、これまた例によって三角点の名前として生き延びていたみたいです。

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