2026年1月31日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1341) 「シラウ川・シリ沢川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

シラウ川

siri-aw
あの山・隣
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
沙流川の南支流で、平取町を流れる川では最南端に位置しているでしょうか。『北海道実測切図』(1895 頃) にも「シラウ」と描かれています。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「シラウ」と描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

扨東岸には槲柏原、岸は崖になり上は平地
     シラウ
右の方相応の川、清冷、鱒・鯇有。其名義虻多しと云儀のよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.650 より引用)
あぶ」を意味する siraw という語があるので、siraw だけであれば「虻」でしかありませんが、本来は後ろに -us あたりがついていて、それが省略されたとすれば納得できます。

永田地名解 (1891) には……あれ、見当たらないような。松浦武四郎が「相応の川」としている通り、この川はそれなりの規模のある支流なのですが、何故か永田地名解には載せられなかったみたいですね。

ただ、かつては沙流川の南の河岸段丘を siri(あの陸、あの山、あるいはあの崖)と呼んでいたと思しき節があるので、「シラウ」は siri-awsir-aw だった可能性が高くなったように思います。

あとは aw をどう解釈するかなのですが、pet-aw で「川・枝」すなわち「枝川」を意味するので、aw は「枝」と見るのが一般的でしょう。ただ『地名アイヌ語小辞典』(1956) には以下の四通りの解釈が記されていました。
 ① 木や鹿角の枝;川で言えば枝川
 ② 舌
 ③ 内
 ④ 隣

浦河の「ケバウ川」は kep-aw で、aw は「隣」じゃないか……と考えてみたのですが、「シラウ川」も河岸段丘の縁を流れているようにも見えます。「シラウ」は siri-aw(音韻変化で sir-aw)で「あの山・隣」だったのではないでしょうか。

シリ沢川

siri?
あの山
(? = 旧地図等に記載あり、既存説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
2009 年に架橋された「紫雲古津川向大橋」の東で沙流川に合流する南支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「シリ」と描かれています。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「シリ」と描かれていますが、面白いことにこちらは川ではなく地名のような扱いにも見えます。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

川まゝまた五六丁を過る哉
     シ リ
右の方小川也。此名義は不知也。川巾相応に有。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.656 より引用)
残念ながら「名義は知らず」ですが、少なくとも「シリ」を川として認識していたということは読み取れます。

不思議なことに、こちらは永田地名解 (1891) に記載がありました。

Shiri   シリ   高地
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.228 より引用)
sir は「土地」や「大地」、「山」だったり「断崖」だったりしますが、基本的には「陸」のことと考えて間違いないかと思われます(派生した解釈の中に陸以外のものも存在しますが)。そういう意味では、永田地名解の「高地」という解釈は極めて妥当なもので、松浦武四郎が「小川」としているほうがおかしい、とも言えます。

平取紫雲古津しうんこつから去場さるばのあたりでは、沙流川が谷の南端を流れている関係で、川の南側に河岸段丘が存在しています。この河岸段丘のことをざっくりと sir と言い表していた筈が、やがて段丘の真ん中を流れる川の名前に流用されてしまった……と見るべきなのでしょうね。

今回の場合、sir は「大地」や「土地」と見るよりは「山」と捉えるべきかと思います。より正確には所属形の siri で「あの山」と見るべきでしょうか。

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