2026年1月16日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1334) 「イクナイ川・倆達内・志美台橋」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

イクナイ川

yuk-chise???
鹿・家
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高町字幾千世を流れる日高門別川の南支流、幾千世左二号川の支流です。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には面白いことに「幾千世」の原型と思われる「ユクチセ」の文字が無く、代わりに「ユクヲロ」と描かれています。


北海道実測切図』(1895 頃) には「ユクチセ」が複数描かれているように見えます。これはちょうど図幅の切れ目に位置していたことに依るものですが、南側の「ユクチセ」が現在の「イクナイ川」に相当する位置に描かれているようにも見えます。


南側の「ユク」の文字を「ユク」と誤読して「ユクナイ」という川名が創出され、その後「ユク」が「イク」に転訛して「イクナイ」に化けた……という可能性を考えたいところです。

「幾千世」は yuk-chise で「鹿・家」だとされます。「ユクチセ」が転訛と誤謬を重ねて「イクナイ」に化けてしまった……のかもしれません。

倆達内(にたつない)

nitat-nay?
湿地・川
(? = 旧地図等に記載あるが位置に疑問あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
イクナイ川の南の分水嶺に位置する三等三角点です(標高 112.4 m)。

「ニタツナイ」であれば川名だと思われるのですが、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「モイワノホリ」という山が描かれているものの、その周囲に「ニタツナイ」と思しき川名が見当たりません。


不思議なことにこれは 『北海道実測切図』(1895 頃) でも同様なのですが、こちらには「ポロニタ」という地名?が描かれていました。


実は、戊午日誌 (1859-1863) 「茂無辺都誌」に次のような記述があるにはあるのです。

またしばし過て
     ニタツナイ
此処また左りの方に谷地有。よつて号るとかや。ニタツは谷地の事也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.621 より引用)
ただ、これは日高門別川筋の情報らしいものの、少なくとも日高町庫富くらとみよりも山奥側の支流と考えられます。「セヌシベ」と「ヲタツコムシベ」の間の川らしいのですが、「東西蝦夷──」ではそれらしい川を確認できていません。どうもこのあたりの情報は整合性が取れていない感じで、五里霧中と言った印象があります。

「ポロニタ」は poro-nitat で「大きな・湿地」だと考えられます。三角点名の「倆達内」は nitat-nay で「湿地・川」だったのでしょう。

松浦武四郎が記録して位置に「ポロニタ」という地名がかつて存在し、その近くに「ニタツナイ」を名乗る三角点が現存している……という不思議なことになっているようです。

志美台橋(しびたいばし)

si-pitar?
大きな・川原
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高町(旧・門別町)幾千世庫富くらとみの間を結ぶ町道幾千世庫富1号線は「志美台橋」で日高門別川を渡っています。かつて道南バスが豊川高校と鳩内を結ぶ路線バスを走らせていたようで、当該路線には「志美台」というバス停もあったとのこと(現状は未確認ですが、既に路線ごと廃止されているかもしれません)。

幸いなことに、『北海道実測切図』(1895 頃) には「シピタタイ」という川が描かれていました。


「シピイ」ではなく「シピイ」なのが面白いところですが、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「シヒタヽイ」と描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「茂無辺都誌」には次のように記されていたのですが……

またしばし過て
     シヒタヽイ
右の方小川。此辺左りはノタに成て小川多きよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.615 より引用)
ここまでは良いですね。ただ続きが問題でして……

其名義(裸)に成ると云事のよし。訳は此辺鹿多く有る故、猟戻り躶に成て鹿を多く背負来ると云る事のよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.615 より引用)
むむ……。どうやら pita で「ほどく」を意味するらしく、si-pita で「自ら・解く」即ち「着物を脱ぐ」を意味するとのこと。また「解く」は沙流方言では pita であるものの、道東や道北では pitata とのことで、{si-pitata}-i で「脱ぐ・ところ」と解釈できるのかもしれません。

面白い伝承ではありますが、これは流石に創作なんじゃないかと思います。元は si-pitari で「大きな・あの川原」あたりだったのではないでしょうか。

もっともこれだと「シピリ」になり、「シピイ」という記録との整合性が問題になりますが、これは pitapitata という複数の言い回しがあった(可能性がある)ことで解決できそうな気もします。

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