2026年2月22日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1351) 「看看川・マカウシノ沢川・ペナコリ」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

看看川(かんかん──)

kankan
小腸
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
沙流川の東支流で、「びらとり温泉ゆから」の北を流れて「にぶたに湖」に注いでいます。国道 237 号の橋は「看々橋」という名前です。

北海道実測切図』(1895 頃) には「カンカン」という名前で描かれていました。北に「ポンカンカン」という支流もあったみたいです。ピッタシですね(何が)。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「カンカン」という川が描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

またしばし過る哉
     ホンカンカン
東岸に小川有。其名義は鹿の腸也。昔し此処に鹿の腸を神が童子共え呉給ひしかば、我も我もともらひしとかや。よつて号る也。しばし過て
     カンカン
東岸平地に相応の川也。其名義前に云ごとし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.689 より引用)※ 原文ママ
なんか色々と「地名説話」らしきことが記されていますが、永田地名解 (1891) を見てみると……

Kankan   カンカン   曲折 類膓ヲ「カンカン」ト云此處曲折甚シ故ニ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.231 より引用)
随分とシンプルになりましたね。この kankan については『地名アイヌ語小辞典』(1956) にも立項されていました。

kan-kan, -i かンカン 原義‘小腸’。川など小腸のように屈曲して流れている部分をいう。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.43 より引用)
看看川は、巨視的にはそれほど迂回しているようには見えませんが、細かいレベルでかなりクネクネした川なので、{kan-kan} で「小腸」と呼んだ……ということなのでしょうね。

図らずも松浦武四郎と永田方正の「記録に対する姿勢の違い」が明らかになりましたが、松浦武四郎の「説話的な解」を永田方正が「現実的な解」にサクッと置き換えてくれるのは、ぶっちゃけとても助かるんですよね(まぁ度が過ぎることが多いのがアレですが……)。

マカウシノ沢川

mak-us-i??
奥に・ある・もの(川)
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「看々橋」のすぐ近くで看看川に合流する南支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) は「カンカン」と同レベルの字で「マカウシ」と描かれています。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「マウシ」と描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

また此川すじの事を聞に、川口の処平地しばしを過て
      マカウシ
 右の方小川。其名義前にも有し如く蕗薹多きよりして号しもの也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.690 より引用)
makayo-us-i で「フキノトウ・ある・ところ(川)」と解したようですね。「マカヨウシ」が「マカウシ」に転訛したというのもありそうな話です。

ところが、永田地名解 (1891) には……

Maka ushi   マカ ウシ   開キタル處 支流ト本川ノ間廣キ處ヲ云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.230 より引用)
うーむ。確かに maka は「~を開く」みたいですが、そう呼ばせる特徴がこの川に見いだせるかと言われると……微妙な感じもします。

むしろ makan で「山奥に行く」とか、mak-un で「奥にある」との関連を考えたいところです。地形図を見ると「マカウシノ沢川」は「尾札沢」四等三角点の東側に回り込んでいるように見えます。そのため mak-us-i で「奥に・ある・もの(川)」と呼んだ可能性があるかなぁ、と。

mak-un ではなく mak-us というのは多少の違和感がありますが、mak-us というケースも僅少ながら存在した……ような気がします。

ペナコリ

penake-oro??
あの川上側の・ところ
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
看看川と額平川の間のあたりの地名です(旧地名かも知れませんが、同名の川があります)。ガソスタがあるところですね(振内にもありますが)。

北海道実測切図』(1895 頃) には「ペナコレ」と描かれていて……


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヘナコリ」と描かれています。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

また少し上りて
     ベナコリ
東岸平地なり。此処小川有。其名義は昔しより此村は男女とも子供の育ちがよいによつて此名有りといへり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.693 より引用)※ 原文ママ
「ベナコリ」という地名は「男女とも子供の育ちがよいから」だと言うのですが……???

こんな時こそ永田地名解 (1891) ……の筈ですが、何故かそれらしい記述が見当たらないようです。その代わり……というのも変な話ですが、山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には次のように記されていました。

土地の萱野茂さんが, ペナ・コ・リ(上流・に向かって・高い) とも読めそうだがと言っておられたやに覚えている。それなら言葉にあった名であろう。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.364 より引用)
pena-ko-ri で「川上のほう・に向かって・高くなる」ということでしょうか。文法的には大きな矛盾は無さそうですが、類例を見かけないのが気になるところです。

……と、ここまで書いたところで完全に行き詰まってしまいました。他ならぬ萱野さんの解なので傾聴に値するものですが、そこはかとない違和感が拭えないのです。

インスピレーションを求めて(その使い方はどうかと)辞書を眺めてみたのですが、そこには Penakori の上に pénake という項目がありました。

'''pénake ペナケ【位名】[所](概は péna ペナ)……の/その川上(側)。
(田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』草風館 p.521 より引用)
となると penake-oro で「あの川上側の・ところ」だった可能性が出てくるでしょうか。あるいは penake-ori で「あの川上側の・丘」かも知れません。

もっとも ori は樺太方言・宗谷方言とされているものの、1786 年の『蝦夷拾遺』には「谷」を意味する語として「オリ」が記録されているとのこと。地名では hur が使われることが多い「丘」ですが、古語として ori が使われた時期もあったのでは……などと想像したくなります。

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