2026年5月9日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1380) 「池売川・茂岩山」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

池売川(いけうりがわ)

e-kewre-i??
頭(水源)・を削る・もの(川)
(?? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
振内町は主に沙流川の北岸に市街地が広がっていて、中学校などがある南岸へは道道 797 号「貫気別振内線」の「池売橋いけうりはし」を渡ることになります。

国道 237 号は振内の東の「振内橋」で沙流川を横断しているのですが、不思議なことに「振内橋」のすぐ西で「池売川」が南から沙流川に合流しています。陸軍図を見るとフレナイ(=振内)からの幹線道路は沙流川の北側を東に抜けていたので、現在の「振内橋」が架けられたのは「池売橋」よりも後だったのかもしれません。

「ケウレ」は「削る」

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「イケウシリ」と描かれています。


ただ戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

行まゝ十七八丁にて
     イケウレリ
右の方小川。其名義は船を作りに行て削ると云儀のよし也。ケウレは削ると云り。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.65 より引用)
どうやら「イケウリ」の「シ」は「レ」の誤字だったっぽいですね。「シ」を「レ」と誤記・誤読することが多いので、それが裏目に出たようにも思えます。

「イケウレリ」に「池売」という字が当てられたことで「レ」の音が落ちて「いけうり」になったと思われますが、振内中学校の南に「池売」という名前の四等三角点(標高 203.9 m)があり、1947 年の点の記には「イケウレリ」とルビが振られていました。

「削る」と「はつる」

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Ikeure-i   イケウレイ   木ヲ斫ル處 斧ニテ木ヲハツルヲ「イケウレ」ト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.232 より引用)
「斫ル」にはルビが振られていないのですが、どうやら「はつる」と読むようですね(「木ヲハツル」ともありますし)。

kewre は松浦武四郎も記した通り「削る」を意味するとのこと。i-kewre-i で「それ・を削る・ところ」と読めそうで、これは戊午日誌「左留日誌」の解とも永田地名解とも一致します。

一本の原木から街作りまで

ただ、仮に「木を削るところ」だったとして、何故イケウレリで木を削る必要があったのか……という問題が出てきます。一本の原木から街作りまでを一貫して行う製材所があった……とも考えづらいですし。

一応、戊午日誌「左留日誌」には次のように答が記されているのですが……

此辺椴山計にして是を土人等材木山と云へり。其義サル場所にて用ゆる処の材木皆此辺より出す也。よつて号るとかや、ホロサルよりして此材木山え凡弐里と云也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.65 より引用)
あれ、改めて見てみると割と完璧な答なのでは……?

「エケウレリ」?

遅まきながら 『北海道実測切図』(1895 頃) を見てみると、そこには「ケウレリ」とありました。多分そうなんじゃないかと思った解がそのまま描かれていたのですが、e-kewre-i で「頭(水源)・を削る・もの(川)」だったのではないかと。改めて地形図を眺めてみると、「池売川」は「茂岩山」の南側を派手に削っていました。


ただ「実測切図」が「エ──」としたのかは実はかなり謎で、他の記録は軒並み「イ──」となっていました。実際には「イ──」に近い形で認識されていたと見るべきですが、となると何故「実測切図」では……という話に無限ループしてしまいます。

午手控 (1858)シュッタ-イケウレリ
戊午日誌 (1859-1863)シユツタフウレナイイケウレリ
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)シユツタ-イケウシリ
永田地名解 (1891)シュータ-イケウレイ
北海道実測切図 (1895 頃)-フレナイエケウレリ
陸軍図-フレナイイケウレリ
地理院地図シュッタ川振内川池売川

そういえば

この kewre という語は『地名アイヌ語小辞典』(1956) には立項されておらず、代わりに kewru-ru で「大きな道」という語がありました。この kewru-ru は【K】とあり「樺太方言」という扱いのようですが、根っこは kewre と近い、あるいは同じだったんじゃないでしょうか。

茂岩山(もいわやま)

mo-iwa?
静かな・霊山
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「池売川」の北東に聳える山で、山頂付近には同名の三等三角点もあります(標高 403.1 m)。三角点の名前は「もいわやま」ですが、地理院地図の「地名情報」は「しげいわやま」とのこと。そりゃないわ……(汗)。

手元の資料にはこの山についての情報を見つけられず、『北海道実測切図』(1895 頃) や『陸軍図』でもこの山名は確認できません。ただ 1915(大正 4)年の時点で「俗稱モイワ山」とあるので、戦前からそう呼ばれていたことは確認できます。

「モイワ」は mo-iwa で「小さな・岩山」だったと考えたいところですが、むしろ「静かな・霊山」と捉えたほうがいいかもしれません。

改めて『地名アイヌ語小辞典』(1956) から(一部を)引用しておくと……

mo も 《完》静かデアル(ニナル)。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.59 より引用)
iwa イわ 岩山;山。──この語は今はただ山の意に用いるが,もとは祖先の祭場のある神聖な山をさしたらしい。
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.38 より引用)
と言ったところです。mo って pirka などと同じく完動詞だったんですね。

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