この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
失敗の予言
イザベラはどうやら領事館での食事会?に出席していたらしく、「通訳・伊藤はワイが育てた」のチャールズ・マリーズとも領事館で顔を合わせたのかもしれません。昨日私は領事館で食事をして、フランス公使館のディースバッハ伯爵、オーストリア公使館のフォン・シーボルト氏、オーストリア陸軍のクライトネル中尉に会った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.343 より引用)
「シーボルト」と言えば そして「あのシーボルト」ことフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの「シーボルト事件」が発覚したのは 1828 年なので、イザベラの奥地紀行の 50 年も前ということになります(ついでに言えば、イザベラが生まれる 3 年前)。
ということで、どう考えても函館でイザベラが会った「フォン・シーボルト」は別人なのですが、「あのシーボルト」は追放令が解除された翌年の 1859 年に再来日していたのですね。もっとも 1862 年に帰国し 1866 年に亡くなっているので、1878 年に函館にいる筈は無いのですが。
どうやらイザベラが会った「フォン・シーボルト」はフィリップ・フランツの次男の「小シーボルト」ことハインリヒ・フォン・シーボルトだったみたいですね。Wikipedia にも「1878 年には大隈重信の依頼でアイヌ民族の視察と研究に函館、森町を経て平取に赴く」とあり、これはイザベラの「奥地紀行」の「地ならし」だった可能性も指摘されているとのこと。
ただ、そんな「小シーボルト」の奥地探検について、イザベラは次のような「予言」を行っていました。
彼らは明日奥地探検旅行に出かけることになっていて、南部沿岸で海に入る河川の水源地を踏破し、いくつかの山々の高度を測定する予定である。彼らは食糧や赤葡萄酒をふんだんに用意しているが、とても多くの駄馬を連れて行くので、その旅行は失敗に終わることを私は予言する。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.343 より引用)
ぉぃぉぃ……。イザベラにはその自覚が無かった(あるいは知らされていなかった)のかもしれませんが、自身の「奥地紀行」の「先遣隊」を努めてくれる人物に対してその言い草は酷いのでは……。しかし私の方は荷物を四五ポンドに減らしているから、成功は疑いない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.343-344 より引用)
(笑)。ちなみに「小シーボルト」が生まれたのは 1852 年で、「ワイが(略)」のチャールズ・マリーズよりも一年年少ということになります。イザベラが会った時は 26 歳になったばかりで、イザベラ姐さんの目には「この若造が」と見えていた可能性もありそうですね。日本の医者
『日本奥地紀行』の普及版「第三十四信」はこの後がバッサリカットされていますが、イザベラは函館で病院と刑務所の「見学」も行っていたとのこと。食事の後、領事は私を病院へ連れていってくれました。そこで私たちはフカシ[深瀬鴻堂訳注 1]医師の出迎えを受けました。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.140 より引用)
「フカシ」は原文では Dr. Fucasi と綴られていました。イザベラは聞こえたとおりに綴っているのだと思われるので、もしかしたら通訳・伊藤の発音の問題か……? と思ったりもしたのですが、伊藤が「深瀬」をちゃんと発音できない筈も無いでしょうから、やはりイザベラにはそう聞こえたということなのでしょうか。深瀬医師は単に病院長および、医者と医学校の生徒の長というだけでなく、西洋人の医者がいないので、西洋人社会全体の信頼を勝ち得ています。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.140 より引用)
「深瀬鴻堂」でググったところ「鴻寿会グループ 医療法人 鴻仁会 深瀬医院」というページがヒットし、そこには「鴻寿会グループ沿革」として「1818 年 深瀬鴻斎、町医者として函館に開業」とありました。「函館で 200 年続く医院」というのも凄いですよね。函館病院
深瀬鴻堂(初代)が院長を努めていた「函館病院」とその医療体制について、詳細が記されていました。外国人は、これは主に船員ですが、1 日につき、50 銭、つまりおよそ 1 シリング 8 ペンス支払い、現地の人たちは 20 銭を払います。また本当に生活に困っている人たちは無料で治療が受けられます。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.141 より引用)
生活困窮者には無料で医療を提供しているというのは素晴らしいですね。医療費というものは「生存権」を行使するための「必要経費」とも言えるものですが、その費用は人によって千差万別です。その負担を平滑化するために「健康保険」や「高額療養費制度」といった仕組みが整備されたものの、現在の政府与党がその縮小に向けて動いていることには怒りを禁じえません。この病院には 6 人の担当日本人医師がおりますが、病院はその他に、医学校であって、日々の講義と臨床実習がなされています。そこはとても清潔で明るく、患者は英国の病院の患者のように満足しているように見えます。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.141 より引用)
イザベラは久保田(秋田)でも病院を見学していますが、そこも概して良い評価だった記憶があります。イザベラの「見聞」が英国を含む欧米諸国に発信されることを明治政府は十分承知していて、そのために全力で「仕込み」が行われた可能性も考えたくなる……というのは皮相的な見方でしょうか。岩倉[具視]と彼の使節団がヨーロッパとアメリカに西洋文明の視察に行って──日本の土壌に最もよい結果を移植しようという観点から──からわずか 7 年弱しか経っていないのに、帝国の人里はなれたこの場所でのこれらの啓蒙的現象と進歩は(多々ある中のほんの一例ですが)興味深いというだけでなく驚くべきものです。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.141 より引用)
イザベラは函館病院での医療について、歯が浮きまくるような賛辞を連ねていますが、どこまで素直に受け止めていいのか、逆にちょっと不安になってきました。‹ 前の記事
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