2026年5月1日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1376) 「主辺山・ピラチナイ川・オコチナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

主辺山(しゅべやま)

mo-ru-pes-pe
小さな・路・それに沿って下がる・もの(川)
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
沙流川の南東側、長知内の東、幌毛志の南に位置する山で、頂上付近には(何故か)「主辺」という四等三角点(標高 240.3 m)があります。

『北海道実測切図』(1895 頃) には貫気別の北に「シュプンタㇷ゚コㇷ゚」という山が描かれていて、その関連を疑っていたのですが、これは見事にミスディレクションでした。山の読み方が「しゅべ──」なのは「しゅへん──」が誤読された……という想定だったのですが、「三角点の記」には所在地の欄に「大字幌去村モルベシユベ1870番地」と書かれていました。やられた……という感じですね。

つまり「主辺山」の「しゅべ」は「モルベシュベ」が略されたものだったというオチだったようでした。「モルベシュベ」は「モルベシベ川」のことで、mo-ru-pes-pe で「小さな・路・それに沿って下がる・もの(川)」とのこと。

なお、モルベシベ川とキタルシナイ川支流の間の鞍部(峠)のすぐ西、タウシナイ川の水源付近に「主辺山」(しゅべやま)という三等三角点があります(標高 277.0 m)。こちらは所在が「大字長知内村 俗稱モルペシユペ山」とあるので、全く同じ由来で似て非なる三角点が二つ存在する、ということになりそうですね。

ピラチナイ川

pira-chimi-nay
崖・左右にかき分ける・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「主辺峠」三角点があるほうの「主辺山」(ややこしい)の東側を流れる川で、北に向かって流れて沙流川に注いでいます。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ピラパリシナイ」と描かれているように見えます。


ただ『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では「ヒラチンナイ」と描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」にも次のように記されていました。

少し上り
     ヒラチンナイ
東岸相応の川也。其名義平の傍に川口有りと云義のよし也。此処畑多し。余は此処えニヨイより山越致し出たり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.58 より引用)
この「ニヨイ」は現在の「荷負」ではなく、「本荷負」三角点や「荷負本村生活館」があるあたりの「荷負本村」のことでしょう。地図を眺めた感じでは「キタルシナイ川」を北に上がり、峠を越えて「ピラチナイ川」に出た可能性がありそうです。

「ヒラチンナイ」は「平の傍に河口がある」だとしていますが、「平」は pira で「崖」だとして、問題は「チン」です。『地名アイヌ語小辞典』(1956) には次のように記されています。

chin, -i ちン 脚;崖脚(→地名解 242)
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.18 より引用)
これを見た限りでは pira-chin-nay で「崖・脚・川」となるでしょうか。「名詞・名詞・名詞」というのは「パン、茶、宿直」的な感もありますが、{pira-chin} という用法があり -nay の手前の何らかの動詞が略されたとすれば問題は無さそうに思えます。

ただ永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Pira chimi nai   ピラ チミ ナイ   崖ヲ分ケテ落ル川
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.231 より引用)
pira-chimi-nay で「崖・左右にかき分ける・川」ではないかとのこと。chimi は毎回解釈に苦慮するのですが、これまでの経験で言えば巨大な手が指を広げて山を引っ掻いたような地形が多かった印象があります。

別の言い方をすれば、短い、似たような長さの支流(谷)が多い川という印象があるのですが、「ピラチナイ川」もその特徴に一致する……ような気がします。ということで、今回は(珍しく?)永田地名解をそのまま追認する形になりそうです。

オコチナイ川

o-u-kot-nay
河口・互い・につく・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「ピラチナイ川」の東隣を南から北に流れ、沙流川に注ぐ支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「オウコッナイ」と描かれています。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

凡五六丁過て
     ヲヽコツナイ
右の方小川。其名義は二川一ツに成、犬の交合なしたる如くなる故に号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.64 より引用)
どうやら「興部」と同様に o-ukot だったようですね。『地名アイヌ語小辞典』(1956) の ukot の項には次のようにありました。

ukot ウこッ《完》交尾する。──二つの川が合流して一つになっているのを云う。[u(互)kot(に附く)]
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.136 より引用)
今回の「オコチナイ川」の場合は o-u-kot-nay で「河口・互い・につく・川」と解釈すれば良さそうな感じですね。沙流川に合流する直前に東隣の川と合流しているので、そのことを形容したネーミングだと思われます。残念ながら東隣の川名は不詳ですが……。

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