2026年5月22日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1385) 「岩知志・イツカナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

岩知志(いわちし)

iwa-chisi
岩山・あの立岩
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 237 号の「幌去橋」から東側一帯の地名です。このあたりにはかつて国鉄富内線が通っていて「岩知志駅」も存在していましたが、幌去橋のすぐ南に「仁世宇駅」があったことが影響してか、駅は北よりの「上岩知志」にありました(駅名は「岩知志」でしたが)。

『北海道駅名の起源』(1973) には次のように記されていました。

  岩知志(いわちし)
所在地 (日高国)沙流郡平取町
開 駅 昭和39年11月5日 (客)
起 源 地元の人びとの希望により字(あざ)名の「岩知志」をとったものである。
(『北海道駅名の起源(昭和48年版)』日本国有鉄道北海道総局 p.99 より引用)
「地名解」という意味では何の説明にもなっていないようにも思えますが、手前の「仁世宇」や次の「日高岩内」、更にその次の「日高三岡」もこんな感じでした(汗)。

「岩知志駅」のあった「上岩知志」のあたりで「イワチシ川」が東から沙流川に合流しています。ただ 『北海道実測切図』(1895 頃) では何故か無名の川として描かれていました。


ただ「岩知志」という地名表記は明治の頃から使われていたようで、1909(明治 42)年には「岩知志駅逓」が開設されたとの記録もあります。『陸軍図』にも現在の「岩知志」と(通称)「上岩知志」に相当する位置に「岩知志」と描かれていました。

山? それとも川?

『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にもそれらしい川名は見当たりませんが、戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

またしばし上り行や、両岸いよいよ峻しく成て皆椴山のよし也。行て
     イワチシ
扨右の方高山二ツ有。其山の凹し処よりして落来るによつて号るとかや。雪の時には此処まで一日にホロサル村より上るによろしと。夏分は中々行難きよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.70 より引用)
これはちょっと微妙な書き方で、山の名前を記したようにも見えますが、「其山の凹し処よりして落来る」ともあるので、川の名前であるようにも見えます。このあたりの地名・川名も記録によって異同がありそうなので、表にまとめてみましょうか。

戊午日誌東西蝦夷山川地理取調図北海道実測切図国土数値情報
イツカナイイツカナイイㇰカナイイツカナイ川
シキシヤナイシラリチセウシナイ(無名の河川)イワチシ川
-?-ペンケイワナイ川
-?(無名の河川)パンケイワナイ川
イワチシ???
イワナイ?イワナイイワナイ川
ヘンケイワチシ???
フツホコマナイ?(無名の河川)(無名の河川)
サンナコロ?サンナコロサンナコロ川

戊午日誌の「イツカナイ」と現在の「イツカナイ川」が同一であると仮定した場合は、だいたいこんな感じでしょうか。注目すべきは
  • 現在の「イワチシ川」は戊午日誌の「シキシヤナイ」である可能性が高い
  • 戊午日誌の「イワチシ」は現在の「上岩知志」よりも北にあった可能性が高い
ということで、故に……ではないのですが、戊午日誌の「イワチシ」が本当に川の名前であったかどうかも、疑う余地がありそうに思えます。

国土数値情報が「パンケイワナイ川」とする川は、なんと「ペンケイワナイ川」よりもに存在することになっています(panke は「川下側」を意味します)。国土数値情報の川名は当てにならない……と言えそうでしょうか。

「イワチシ」が川名では無いんじゃないか……という疑惑?については、実は松浦武四郎がほぼ答を残していました。

また夫よりしばし過て
     イワナイ
扨右の方小川。其川すじ岩崖のみ有るが故に号しなりとかや。またしばし過て
     ヘンケイワチシ
同右の方也。是また前に云ごとし。此山も前の並びに有なり。依て此名有るなり。またイワナイは其間よりの沢也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.70-71 より引用)
あー、やはりそういうことですか。実は「夏分は中々行難きよし也。」と「また夫よりしばし過て」はそのまま繋がっているので、要は
  • 「イワチシ」→「イワナイ」→「ヘンケイワチシ」である
  • 「イワナイ」は「イワチシ」と「ヘンケイワチシ」の間の川である
ということになります。

中凹み? それとも立岩?

山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には次のように記されていました。

チㇱは「中凹み」の意。この書き方から見ると,岩知志はイワ・チㇱ(iwa-chish 山の・中凹み)だったのではなかろうか。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.367 より引用)
この解釈だと「岩内川」の前後に「中凹み」があったことになるのですが、おそらくそうではなく、岩内川の前後に聳える山そのものが「イワチシ」(と「ヘンケイワチシ」)だったと見るべきでしょう。更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されています。

 岩知志(いわちし)
 沙流川上流の農村。アイヌ語イワ・チシで、イワは神聖な岩山、チシは立岩のこと。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.79 より引用)
「チㇱは『中凹み』の意」と「チシは立岩のこと」で完全に解釈が逆転していますが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) を見ると……

chis, -i ちㇱ ①立岩。②【ナヨロ】岩石の坊主山;丸い岩山。③中凹み。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.20 より引用)
更科さんは①のように解釈し、山田さんは③のように解釈したというオチだったようです。「イワチシ」は iwa-chisi で「岩山・あの立岩」と考えて良いのではないでしょうか。

イツカナイ川

ika-nay?
溢れる・川
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
平取町岩知志と(通称?)上岩知志の間あたりで東から沙流川に合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「イㇰカナイ」と描かれていますが……


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には現在の川名と同じ「イツカナイ」と描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

またしばしを過て
     ベンケヒイ
     イツカナイ
等何れも右の方也。イツカナイ、其名義は昔し鹿取に行犬を他の土人一疋盗みて隠し置しと云事のよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.69 より引用)
この川については、永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Ikka nai   イㇰカ ナイ   盜 澤ヌスビトノサハ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.232 より引用)
これは……。「仁世宇」の記事でも記しましたが、珍妙な解は 2~3 通りに分類できると思っていて……
  • 駄洒落(似た語彙からストーリーを「創造」する)
  • 故事(実際にそういった「事件」があった)
  • その他(不明)
これは「故事」に由来する地名である可能性もあるのですが、仮にそうだとすると、もともと別の川名があったかもしれないのに「盗人の沢」という名前で「上書き」したということになります。果たしてそんなことがあり得るのか……?

そう考えてみると、やはり「駄洒落」の可能性が高いんじゃないかという結論に辿り着きます。ika で「またぐ」「越える」あるいは「溢れる」を意味するので、ika-nay で「溢れる・川」だったんじゃないかな……と。

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