(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
蜷摘橋(になつみはし)
ninar-chimi-p?
台地・左右にかき分ける・もの(川)
台地・左右にかき分ける・もの(川)
(? = 旧地図等に記載あるが位置に疑問あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
道道 131 号「平取穂別線」が「ポロケシオマップ川」を横断する橋……です。難読ですが、「蜷川」を読むことができればなんとかなりそうな感じもあるでしょうか。かつては国道 237 号の橋だったようです。国道 237 号の「下幌毛志橋」は 1985 年に完成しているようなので、そのタイミングで国道ではなくなった可能性もありそうです。
沙流川流域とその周辺には何故か「荷菜」あるいは「荷菜摘」という地名が目につくのですが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「蜷摘橋」のあたりにそれらしい地名は見当たりません。
「フウレナイ」の先の「ニナツミフ」
ただ戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には「ホロサルナイ」(幌毛志川?)、「シユツタ」そして「フウレナイ」(振内?)の次に「ニナツミフ」という地名?が記されていました。またしばし上りて
ニナツミフ
左りの方山の間に有り。此辺より川すじ至て急に成也。其名義前に有せば志るさず。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.64-65 より引用)
地名の由来は「前に書いたから省略」とありますが、えーと……「左留日誌 巻の三」に「イナツミ」という川の記録がありますね。またしばし過
イナツミ
左りの方小川、本名ヘンケニナツミなるよし。此処平地にしてよき地面の中に小川一すじ有が故に号しもの也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.15 より引用)
「蜷摘橋」のネタ元かもしれない「ニナツミフ」は「山の間に有り」ですが、「イナツミ」のほうは額平川の支流で「此処平地にして」とあります。「荷菜村」と「荷菜摘村」
更に話がややこしくなります。現在の平取町域には、かつてが存在していました。「荷菜村」と「荷菜摘村」があっただけでややこしいのですが、「荷菜摘村」のあったあたりに「紫雲古津」が移転してきたような感じです(余計にややこしい)。
「荷菜摘村」については、山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) に次のように記されていました。
荷菜摘 になつみ
平取町の南端の処の地名。「になちみ」のように呼ぶ。元来は川上のペナコリの南の辺の地名であったが,その部落の人たちが諸地を遍歴し,ここに落ちついたが,旧地の名をそのままここに残したという。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.362 より引用)
改めて『北海道実測切図』を見てみると、カンカン(=看看川)の北に「ポンニナチミ」と「ポロニナチミ」という川が描かれていました(現在の「ペナコリ川」に相当する?)。これは「フウレナイ」の近くの「ニナツミフ」とは別だったと見られるので、「荷菜」を含めれば平取町内の沙流川流域に「ニナ」「ニナツミ」「ニナツミフ」等の地名が 4 つあり、更に(沙流川支流の)額平川にも「ポンナチミ」なる川があった……ということになりますね。
これを読んでくださっている方の頭上にクエスチョンマークが複数表示されてそうな気がしますが、ご安心ください。書いている側も「???」となっていますので。
ということで(平取町南西端の)「荷菜摘」に話を戻してしまいますが、
語意ははっきりしない。いろいろに読めるが,ninar-chimi-p「高台を・分けて流れ下る。もの(川)」のように聞こえる。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.362 より引用)※ 原文ママ
ninar-chimi-p で「台地・左右にかき分ける・もの(川)」なんじゃないか……とのことですが、同感です。山田秀三さんは「いろいろに読める」としていますが、自分には ninar-chimi-p 以外の読み方が見えてきません。最近良く出てくる感のある chimi ですが、これまでは「似た規模の谷が複数並ぶ」ような場所で見かける地名……という印象がありました。
「ニナツミフ」はどこにあった?
地形図を見てみると、現在の「蜷摘橋」の東(幌消末峰の南麓)に似たような谷が並んでいる場所があるので、そこが「ニナツミフ」だった可能性もありそうですが、松浦武四郎は「フウレナイ」の「先」(=東)に「ニナツミフ」があったように記しているので、「ニナツミフ」の位置を「振内の手前」に求めるのはちょっと問題があるかもしれません。まぁ、いずれにせよ幌毛志から振内のあたりのどこか(ぉぃ)に「ニナツミフ」と呼ばれた場所があり、それは ninar-chimi-p で「台地・左右にかき分ける・もの(川)」だった可能性がありそうだ……ということで。
えっ?
ところが、ここまで書き上げた後で『午手控』(1858) に次のような記述があることに気づきました。ニナツミ
薪取の事也
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.446-447 より引用)
ninar は「川沿いの台地」ですが nina は「ヒラメ」を意味し、また「木を取ってくる」という意味もあるとのこと。まぁそれだと「ツミ」が意味不明になってしまうので、あくまで参考情報ということで……。部鳧橋(ぺければし)
peker??
清冽な
清冽な
(?? = 旧地図等で未確認、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
平取町振内の西、「部鳧橋」が渡る川の名前は不明で、『北海道実測切図』(1895 頃) にも川として描かれているものの名前の記入がありません。
「ぺけれ」が peker であれば「白い」あるいは「清い」「あかるい」と言った意味です。ただ「白い」であれば retar という語もあるので、peker の「白い」は「清冽な」に近いと見るべきでしょうか。
このあたりには hure-nay(赤い・川)があった筈なので、その対となる川があったのかもしれません。古い記録には見つけられていないので、昔からそういった川があったかどうかは謎ですが、少なくともアイヌ語の peker に関係のあるネーミングだったとは言えそうな気がします。
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