2026年5月2日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1377) 「幌去峯・幌毛志・幌消末峰」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

幌去峯(ほろさりみね)

poro-sar
大きな・葭原
(? = 旧地図等に記載あるが位置に疑問あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ポロケシオマップ川の西には南に向かって尾根が一直線に伸びていて、尾根上に「幌消峠」四等三角点と「幌去峯」四等三角点、そしてその北に「幌毛志山」四等三角点が設置されています。

現在の平取町域には、かつて
が存在していました。中でも「幌去村」は現在の平取町東北部のみならず日高町域(海に面していないほう)も含む広大なものでしたが、大正 8 年に「右左府村」を分村、大正 12 年からは平取村の大字となった後、1973 年に「振内町」「岩知志」「仁世宇」「幌毛志」となり、歴史のある「幌去」の地名は姿を消してしまいます(面白いことに、幌毛志と富内を経由する道道 131 号「平取穂別線」の富内側に「幌去川」が現存していますが)。

『北海道実測切図』(1895 頃) には漢字で「幌去」と描かれていて、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ホロサル」と描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

扨其ホロサルの名義は、ホロシヤリのよしなり。多く蘆荻が有りと云て、是サル場所の根元と云伝えたり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.59 より引用)
ということで、poro-sar で「大きな・葭原」ではないかとのこと。ただ sar は他ならぬ「沙流川」を指す可能性もあるので、本当に大きな「葭原」があったのかどうかは、ちょっと判断できません。

問題は『東西蝦夷山川地理取調図』に描かれた「ホロサル」がどこの何を指していたかですが、「ホロサル村」について松浦武四郎は以下のように記していました。

扨此処より向岸え川船にてわたり、原道三丁計過坂を上りてまた弐三軒人家を過、又坂を上り
     ホロサル村
に到る。此処地形南東向一段高く、うしろに山をうけ、其下川有て、川の向ふヒラチンナイ、奥はムセウの方(ま)(見)わたし、南の方ヲサツナイまで一目に見、実に蝦夷第一の開け場所也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.59 より引用)
「ホロサル村」の川向かいには「ヒラチンナイ」を一望するとあるので、これは現在の平取町幌毛志のあたり(=「幌去峯」三角点の東隣)を想起させますが、一方で「ムセウ」(=仁世宇?)まで見渡せるとあり、これは振内町のあたりを指しているようにも見えます。

松浦武四郎の記したヒントを列挙すると次のようになるでしょうか。
  • 南東向きの地形
  • 一段高くなっている(台地?)
  • 川向かいに「ヒラチンナイ」(=ピラチナイ川か)
  • 奥はムセウ(仁世宇?)まで見渡せる
  • 南はヲサツナイ(長知内)まで一目に見える

また「ホロサル村」の上のほうより「ホロサルナイ」という「小川」が流れているとのこと。前後の川をリストアップすると……

戊午日誌 (1859-1863)
「左留日誌」
東西蝦夷山川地理取調図
(1859)
北海道実測切図
(1895 頃)
地理院地図
ホロケシヨマ-ポロケㇱュオマㇷ゚ポロケシオマップ川
ヒラチンナイヒラチンナイピリパリシナイピラチナイ川
ホロサル村---
ヲヽコツナイヲヽコツナイオウコッナイオコチナイ川
タン子サルタン子サラ--
ホロサルナイホロサル--
シユツタシユツタ-シュッタ川
フウレナイ-フレナイ振内町

だいたいこんな感じになるでしょうか。とりあえず「ホロサルナイ」は「ポロケシオマップ川」と「振内川」の間を流れる川だ……ということになりますね。

地理院地図では、この条件に合致するのは「幌毛志川」ということになるので、「ホロサル村」は「ポロケシオマップ川」と「幌毛志川」の間の南東向きの高台にあった……ということになるでしょうか。

地理院地図には、かつての「幌毛志駅」の北東あたりに記念碑が描かれているのですが、このあたりにかつての「ホロサル村」コタンがあったのかもしれません。松浦武四郎が記したヒントとも概ね合致しそうな場所と言えそうな感じです。

古くから知られた地名だったが故に一帯を表す「大地名」になってしまい、それ故に分割されて消滅してしまったことになるのですが、「ホロサル発祥の地」の近くにひっそりと三角点の名前として生き延びていた……ということになりそうです。

幌毛志(ほろけし)

pira-kes-oma-p?
崖・末端・そこにある・もの
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
平取町長知内と振内の間の地名で、かつて国鉄富内線の駅もありました。ということで随分と久しぶりですが『北海道駅名の起源』(1973) から。

  幌毛志(ほろけし)
所在地 (日高国)沙流郡平取町
開 駅 昭和33年11月15日 (客)
起 源 アイヌ語の「ホロケウ・ウシ」(オオカミの多くいた所)から出たものと思われる。
(『北海道駅名の起源(昭和48年版)』日本国有鉄道北海道総局 p.98 より引用)
「オオカミ」を意味する horkew という語があります。horkew-us-i で「オオカミ・多くいる・ところ」となりますね。

ただ幌毛志には「ポロケシオマップ川」があり、これは『北海道実測切図』(1895 頃) にも「ポロケㇱュオマㇷ゚」と描かれています。仮に「幌毛志」が horkew-us-i であれば「ポロケㇱュオマㇷ゚」は horkew-us-i-oma-p で「オオカミ・多くいる・ところ・そこにある・もの(川)」となってしまいます。


もちろん horkew-us-i が既に地名としてひとまとめになっていたと仮定すれば {horkew-us-i}-oma-p となり問題は解消されるのですが、ちょっとご都合主義になりそうな気もします。

「ポロ」は「ポロサㇽ」?

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Poro kes omap  ポロ ケㇲ ヲマㇷ゚  夥多ノ茅ノ端ナル處
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.232 より引用)
「幌毛志」こと「ポロケシオマップ」は poro-kes-oma-p ではないかとのこと。永田方正はこれを「夥多ノ茅ノ端ナル處」としましたが、よく見るとどこにも「茅」に相当する語が見当たりません。ただ次の項に答が用意されていて……

Poro sara    ポロ サラ     夥多ノ茅 幌去村
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.232 より引用)
つまり永田方正は poro-kes-oma-pporo-sar-kes-oma-p が略されたものと解釈した……ということになりますね。poro-sar-kes-oma-p であれば「大きな・葭原・末端・そこにある・もの(川)」ということになります。

「崖の下の小川」

戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

また少し上りて
     ホロケシヨマ
西岸大岩の平の下に有小川也。よつて号る也。相応の川にして鱒も入るよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.57 より引用)※ 原文ママ
これは……なんとも微妙な表現ですね。永田方正は poro-kes-oma-pporo-sar-kes-oma-p-kes が落ちたものと想定しましたが、より大胆に仮定するならば pira-kes-oma-p で「崖・末端・そこにある・もの」と見ることも可能なのではないか……と思えてきました。

pira-kes-oma-p であれば実際の地形とも合致しますし、地名としても自然な形です。そして松浦武四郎は「ホロケシヨマ」を「大岩の平(崖)の下にある」と記しましたが、その記述とも整合性が取れています(但し「崖の下にある」のは川の位置を示したものであり、川の「名前」とは記していません)。

「ピラ」が「ポロ」に化ける可能性はあるか

更に松浦武四郎が記録した川名は「ケシヨマ」であり、しかも近くに「チンナイ」があるとしています。これは「ヒラ」を「ホロ」と聞き違える可能性が極めて低いことを示しているようにも思えます。

もともとは pira-kes-oma-p だったものの、近くに poro-sar という名のしれたコタンがあり、その kes(末端)でもあったので {poro-sar}-kes-oma-p という別名があった? という可能性も考えたくなります。

もちろん永田方正が言うように {poro-sar}-kes-oma-p が「本名」である可能性も十分考えられるのですが、都合よく sar だけが落ちるというのが今ひとつ納得できないんですよね……。

幌消末峰(ぽろけしまっぽう)

pira-kes-oma-p?
崖・末端・そこにある・もの(川)
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「幌去」(幌去峯)と「幌毛志」でお腹いっぱいですが、ちょっと項目を分けるわけにも行かないので……。「ポロケシオマップ川」の東、「幌毛志川」の北に「幌消末峰」という珍妙な名前の山があります。頂上付近には同名の三等三角点もあります(標高 265.7 m)。

出落ち感が凄まじいですが、この山名は「ポロケㇱュオマㇷ゚」に「幌消末峰」という字を当てた……のでしょうね。-p に「峰」という字を当ててそのまま山名にしてしまったということなのでしょう。

仮に「ポロケㇱュオマㇷ゚」が pira-kes-oma-p であれば「崖の末端にある川」で、この「崖」は「幌消末峰」のある山ではなく「ポロケシオマップ川」の向かい側にあったと思われます。

松浦武四郎も「ホロケシヨマ」は川の名前だとしているので、「幌消末峰」として山の名前になってしまったのは二次創作的なものと言えるのかもしれません。あくまで「元ネタは」という話であれば pira-kes-oma-p で「崖・末端・そこにある・もの(川)」と考えたいところです。

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