2026年5月10日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1381) 「仁世宇」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

仁世宇(にせう)

不明
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 237 号の「幌去橋」のすぐ近くで沙流川に合流する「仁世宇川」という北支流があり、この川を遡ったところが平取町仁世宇です。「仁世宇園」のヤマメ料理は絶品なんですよね……!

北海道実測切図』(1895 頃) には「ニセウ川」と描かれています。『北海道実測切図』では「──川」と描かれる川は珍しいのですが、「ニセウ川」はそんな珍しい川の一つ、ということになりますね。


ニセウ? ムセウ?

ところが、不思議なことに『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「セウ」と描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」にも次のように記されていました。

また少し上り
     ム セ ウ
左りの方相応の川也。其名義は本名ムヱセウにして、此川鱒多きが故に、ホロサルより皆取りに来て、其処にて皆煮て先喰ふよりして号しとかや。此川すじ両岸高山有て椴山也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.65-66 より引用)
どうやらこの川の名前は「ムセウ」で、しかも本来は「ムヱセウ」だったとのこと。

「ムセウ」じゃない「ニセウ」だ!

「ムセウ」がどこかのタイミングで「ニセウ」に化けたと見られるのですが、やはりと言うべきか、永田地名解 (1891) には……

Niseu   ニセウ   檞實ドングリ 此邊檞實最モ多シ故ニ名ク土人拾收シテ食料ニ充ツ○松浦高橋二氏ノ地圖「ムセウ」ニ作ル土人モ亦「ムセウ」ト云フモノアリ並ニ誤ル
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.233 より引用)
「『ムセウ』じゃない『ニセウ』だ!」と書かれていました。似たような流れをこれまで幾度も見てきましたが、永田方正が既存の説をバッサリ切り捨てて「新解釈」を打ち出してきた場合、後にそれは無かったことにされる……というケースが少なからずありました。

「珍妙な地名解」とは

ただ「仁世宇」の場合、永田地名解の「新解釈」がそのまま定着して現在に至ります。何故そうなったのかは、松浦武四郎が記録した内容が珍妙にして意味不明なものだったから……と考えたくなります。

沙流川とその支流の情報は戊午日誌「左留日誌」に記されているのですが、これまで見てきた中ではこんな珍妙な解がありました。

川名戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」地名解
アシバキ川アシバケ聾者がここに来て死んだから
パンケチエブ沢ハンケチユツフ源義経がここで舟を作ったから
オノマップ川アノセ河口部が畳を敷いたようだから
トウナイ川トナイ金持ちのお爺さんが疱瘡で子を亡くして泣いていたから
シュッタ川シユツタ老婆が此処に来て死んだから

これらの解は「地名説話」とも言うべきもので、概して荒唐無稽なものが多いのですが、更に 2~3 通りに大別できそうな気がします。ざっくり箇条書きにすると
  • 駄洒落(似た語彙からストーリーを「創造」する)
  • 故事(実際にそういった「事件」があった)
  • その他(不明)
と言ったところでしょうか。直近の 5 例では「アシバケ」(=アシバキ川)と「ハンケチユツフ」(=パンケチエブ沢)がおそらく「駄洒落」パターンでしょう。「アノセ」(=オノマップ川)も「駄洒落」の可能性が高そうに思えます。

「トナイ」(=トウナイ川)と「シユツタ」(=シュッタ川)は、単なる「駄洒落」と考えるには強引すぎるようにも思えるので、ベースとなる出来事(事件)が別に存在していた可能性を考えたくなります。

いずれにしても、これらの「珍妙な解」(=地名説話)は「地名解」とするには少々難があると思っています。特に「駄洒落」系の解は言葉遊びに過ぎず、「元ネタ」が存在することになるので、その「元ネタ」までたどり着くことで初めて「地名解」と言える……と考えたいところです。

「鱒を煮て食う」とは

本題に戻りますが、「仁世宇」について、松浦武四郎は「『ムセウ』は『ムヱセウ』で『ここで鱒を煮て食う』から」と記しています。「ムセウ」あるいは「ムエセウ」をどう解釈すると「鱒を煮て食う」になるのかですが、suwe あるいは suke で「煮る」を意味するとのこと。

つまり「ムセウ」あるいは「ムエセウ」は、mu-suwe あるいは mu-e-suwe だったと見られますが、ここで問題となるのが mu の解釈です。地名においては mu は「塞がる」あるいは「塞がっている」と解釈することが多く、「鱒を煮て食う」とは関係が無さそうです。

ただ ma であれば「泳ぐ」のほかに「炙る」や「焼く」と言った意味があります。また e は「そこで」や「頭」のほかに「食べる」という意味もあります。つまり ma-e-suwe は「焼く・食う・煮る」となる……ということになるでしょうか。

しかしながら、ma-e-suwe で「焼く・食う・煮る」という地名が果たして実在したかどうかは、かなり疑わしいと言わざるを得ません。では、何故そのような「珍妙な」伝承が存在し得たのか……という話になるのですが、
  • 駄洒落
  • 故事
  • その他(不明)
の 3 分類で考えた場合、「故事」であればもう少し文法的にマトモな言い回しになりそうに思えます(例えば「鱒をいつも煮たところ」となって然るべきです)。

つまり ma-e-suwe は「駄洒落」だったのではないか……というのが現時点での想像です。そして「一般的なアイヌ語地名」と比べると明らかに奇妙な形なので、永田方正は『北海道蝦夷語地名解』(1891) を編むにあたり *切り捨てた* ということなのでしょう。

「ムセウ」は本当に「ニセウ」だったのか

仮に「ムセウ」で「鱒を煮て食う」という解が「駄洒落」だったとしたならば、その「元ネタ」を探すべき……ということになります。永田方正は「『ムセウ』ではなく『ニセウ』だ」として、nisew は「どんぐり」だ……と記したのですが、
  • 松浦(武四郎)と高橋(景保?)の地図は、どちらも「ムセウ」
  • 「ムセウ」と言う地元民もいる
どこからどう見ても「ムセウ」なのに「いやいや『ニセウ』だよ」と強弁しているような……?

ここまで見てきた感じでは、松浦武四郎の記録は「駄洒落」だったのではと思えるのですが、一方で永田方正の「修正」も根拠がかなり疑わしいように思えます(極端な話、永田方正が理解できるアイヌ語の語彙を適当に引っ張ってきただけにも思えます)。

永田方正は「『ニセウ』(どんぐり)が『ムセウ』(焼く・食う・煮る)に化けた」と主張していることになるのですが、永田地名解の補足には「この辺で一番どんぐりが多く、地元民はそれを拾って食べている」とあります。

そんな「由緒正しい」地名が果たして *化ける* ものでしょうか。むしろ「ムセウ」に近い *それらしい語* を探し出してきて、それっぽい「ストーリー」を「創作」したように思えてしまうんですよね。

「仁世宇」どんぐり説は論理的におかしい点が多すぎる……というのが現時点での結論です。沙流方言では「どんぐり」は「ムセウ」と言うのだ……というのであれば万事解決なんですけどね。

極端な試案

仮に「ニセウ」ではなく「ムセウ」だったとした場合、mo-{sar} で「支流の・{沙流川}」だったりして……(それは確かに極端だね)。

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