(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
サンナコロ川
san-enkor?
出ている・鼻(岬)
出ている・鼻(岬)
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 237 号の「日高大橋」のすぐ北で、東から沙流川に合流する支流です。川の上流部の北側には同名の四等三角点も存在します(標高 572.2 m)。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川名を確認できませんが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「サンナコロ」という名前の川が描かれていました。
鯨のしっぽ?
戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。またしばし過て
サンナコロ
右の方小川也。其名義は、鯨の尾を昔しひらひ持て居たりしが、空腹に成し時に此処にて喰て仕舞しと云事のよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.71 より引用)
これはまた……。日高エリアで最も山深いところに「クジラ」が出てくるのは明らかに奇妙なので、これは「駄洒落」だったと考えるべきでしょう。となると、どこをどう解釈して「鯨の尾」が出てきたのか……という話になるのですが、知里さんの『動物編』(1976) には次のように記されていて……
( 5 ) nokór-humpe [<no(? <nu 豊漁)kor(もつ・支配する)humpe(クジラ)] 小イワシクジラ《H.》
注.──‘もしおぐさ’に‘ノコル’‘髭の好き’とある。
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 動物編」』平凡社 p.176 より引用)※ 原文ママ
以下のように続いていました。( 6 ) sinokor-humpe [<si-(真の・大なる)nokor-humpe(小イワシクジラ)] イワシ・クジラ [Balaenoptera borealis LESSON]《H.》
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 動物編」』平凡社 p.176 より引用)
あー、「サンナコロ」はこの sinokor だったのかもしれませんね。「ヒゲの好き」というのは謎ですが、『アイヌ語古語辞典』(2013) には「ノコル」の項に「髭のごとき」とあるので……あ。「好き」は「如き」の誤植だった可能性が(汗)。「御影」の旧称「佐念頃」
ということなので、鯨のことは忘れて「サンナコロ」の意味するところを考えてみましょう。道東は清水町の JR 根室本線に「御影駅」という駅があるのですが、この駅は 1907 年の開業から 15 年ほど「佐念頃駅」という名前でした。『北海道実測切図』には「サ子ンコロ」という川も描かれていましたが、現在は川名も「御影川」になってしまったとのこと(品のない戯れ歌で名が広まってしまったため、改名を余儀なくされたのかも?)。
この「サ子ンコロ」こと「御影川」ですが、河岸段丘を斜めに切り取るような形で流れていて、川の南が尖った出崎のようになっていました。そのことを形容して san-enkor で「出ている・鼻(岬)」と呼んだのではないかと考えられています。
「サンナコロ川」の河口付近を見てみると……これも岬のようになっていますね。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ということで、「サンナコロ川」は san-enkor で「出ている・鼻(岬)」か、それに極めて近い地名だったと見て良さそうに思えます。なお国道 237 号に「三菜頃橋」という橋がありますが、この橋は「サンナコロ川」の 3 km ほど北で「モミジノ沢川」を横断するものです。陸軍図を見ると「サンナコロ」は川名のみならず地名としても認識されていたようですが、「三菜頃橋」のあたりはどちらかと言えば「岡春部」に近かったと目されるので、橋の名前が何故「三菜頃」なのかは謎です。
岡春部川(おかしゅんべがわ)
o-kus-un-pet?
河口・向こう側・にある・川
河口・向こう側・にある・川
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「サンナコロ川」の 4 km ほど北で沙流川に合流する東支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川名が見当たりませんが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「オカシュウンペ」という名前の川が描かれていました。しゃもじを忘れて帰ったので
戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。またしばし過て
ヲカシユクク ンベ
右のかた小川なり。其名義は昔杓子を忘れて帰りしと云より号るとかや。カシウは杓子の夷言なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.72 より引用)
「カシウは杓子」とありますが、頭註には「ヲ・カシユプ・ウン・ペツ」とあります。『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) にも kasup で「汁用のしゃくし(しゃもじ)」とあるので、松浦武四郎が「カシウ」としたものは kasup だったと見て良さそうでしょうか。これも実際に「しゃもじを忘れて帰った」と考えるのはあまりに珍妙なので、何らかの駄洒落だったと見るべきでしょう。素直に考えれば o-kas-un-pe は「河口・仮小屋・ある・もの(川)」なんですが、何故か松浦武四郎のインフォーマントはそう認識していなかった……という点が気になっています。
川向こうにある川?
何か見落としがあるのではないか……と考えてみたのですが、斜里町に「奥蘂別川」という川があり、知里さんによると「川向こうにある川」だったのではないか、とのこと。「川向こうにある川」というのも意味不明ですが、知里さんは「奥蘂別川」について次のように考えていたとのこと。オクシュンペッ 奥蘂別川。「オ・クㇱ・ウン・ペッ」(o-kus-un-pet 川向うにある川)。一番浜側にサクㇱペッがあり,その奥にマクㇱペッがあり,更にその川の彼方にこの川が流れていたのでそう名づけた。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.260 より引用)
そう言われてみれば……ですが、サンナコロ川のあたりから沙流川を遡った場合、「一号ノ沢川」と「中の沢川」の *向こう* に「岡春部川」が流れている……ということになります。そのため、「一番奥にある川」と言ったニュアンスで o-kus-un-pet で「河口・向こう側・にある・川」だったような気もしてきました。‹ 前の記事
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