2025年12月19日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1322) 「シュウレルカシュペ沢・サツナイ沢」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

シュウレルカシュペ沢

si-urenka-us-pet?
大きな・並ぶ・そうである・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
新冠ダムのダム湖である「新冠湖」は南部で十字のようになっていて、西が「モウレルカシュペ沢」とつながり、東は「シュウレルカシュペ沢」とつながっています。

北海道実測切図』(1895 頃) には「シーウレンカウㇱュペ」と「モウレンカウㇱュペッ」という川が描かれていました。何故か現在と東西が逆になっていて、西側を「シーウレンカウㇱュペ」が流れていることになっています。また東側の川が不当に短く描かれているのも気になるところです。


なお陸軍図では既に「モウレルカシュペ澤」と「シウレルカシュペ澤」とあり、東西が逆になっていました。

向き合う川?

「実測切図」の「ウュ」という表記は永田地名解 (1891) 特有のものですが、ところが不思議なことに当の永田地名解には次のように記されていました。

Urenga ush pe   ウレンガ ウㇱュ ペ   向合ムキアヒ川 和親川トモ左右ノ支流相對シテ本川ニ注ク處
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.247 より引用)
なかなか巧みな解ですね。ただ田村すず子さんの辞書には urenka は「皆そろう」という意味だとあり、また『アイヌ語方言辞典』(1964) には urenka は「並ぶ」という意味だとあります。

エゾフユノハナワラビ?

ところが、戊午日誌 (1859-1863) 「毘保久誌」にはかなり異なる形で記されていました。

またしばし過て
     モ×ウシヽカシベ
右の方相応の川也。其名義は不解也。或土人の云に、ウシヽキナと云草多く有るより号ると云り。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.182 より引用)
「其名義は不解也」としながらも「或土人の云に」として「ウシシキナが多くある」としていますが、すぐ先では……

扨また峨々たる山の間をしばし過て、同じく位の川有。
     シイウシヽカシベ
と云相応の大川也。是本のウシヽキナの有る川也と云り。下なるモと云は、少し小さきよりして、一字を附しもの也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.182 より引用)
今度は「ウシシキナのある川なり」と断定しています。usiskina は『植物編』(1976) によると「エゾフユノハナワラビ」を意味するとのこと。「カシベ」が若干謎ですが、usiskina-us-pet で「ウシㇱキナウㇱペッ」を早口で発音した……と言ったところでしょうか。

あるいは usiskina-kar-us-pet で「エゾフユノハナワラビ・取る・いつもする・川」だったが usiskina が長いので usis に略した……とかでしょうか。ただ usis は「ひづめ」を意味するので、果たして kina(草)を略すことがあったかどうか、ちょっと疑問も残ります。

「ウシシ」か「ウレル」か

ただ最大の疑問は「ウカシベ」と「ウカシュペ」のどちらが「正しい」かという点です。カタカナでは「シ」と「レ」は字形が似ていることもあり、互いに取り違えることがちょくちょくあるのですが、松浦武四郎はインフォーマントから川名を「聞いている」筈なので、「ウレル」あるいは「ウレン」を「ウシシ」と「読み間違える」ことはあり得ないでしょう。

では悪筆で名高い松浦武四郎が「ウレル」あるいは「ウレン」を「ウシシ」と書き間違える可能性はどうか……という話ですが、秋葉實さんは『午手控』(1858) を次のように解読していました。まずは「モ──」からですが……

モウレヽカシベG(道庁図モウレンカウシュペ) 右小川
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.79 より引用)
そして「シ──」のほうは……

シウレヽカシベH(道庁図シーウレンカウシュペ) 左中川
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.79 より引用)
これは……。ちょっと(かなり?)面倒なことになりましたね。秋葉さんは「シウレヽカシベ」だとしているのですが、最初の文字は「シ」で三文字目は「レ」なので、つまり「三文字目は『シ』じゃなくて『レ』だったよ」ということになります。

ただ松浦武四郎は、戊午日誌「毘保久誌」で「ウシシキナのある川なり」と明言しているので、これは「ウレレ」→「ウシシ」の転記ミスを否定していることになります。唯一の可能性は、松浦武四郎が「ウシシ」と誤記した時点でありもしないエピソードを追記したということになりますが……。捏造ということは無いにしても、他の川と混同した可能性はゼロではないので。

意外なオチ?

松浦武四郎などが記録した地名を永田方正が「違う、そうじゃない」と言って *改変* したケースは少なくない……いや、枚挙に遑がないとも言えるのですが、永田方正の「改変」が支持されず、結局元の鞘に収まってしまったケースもまた少なくありません。

ただ「シュウレルカシュペ沢」という川名は永田地名解の内容にかなり近い形で現在まで残っていて、川の北の山上には「賣山」という三角点があるのですが、これは「ウレルヤマ」と読むとのこと。また『北海道実測切図』や『永田地名解』よりも古い『改正北海道全図』(1887) にも「シユレヽカシヘ」とあります。

古い記録に大きな異同があった場合、「永田地名解がまたやりおったで」で片付けてしまう悪質な癖がありますが(汗)、今回に限っては松浦武四郎が「やらかした」可能性が高そうな感じもします。si-urenka-us-pet で「大きな・並ぶ・そうである・川」だったと見て良いのではないでしょうか。

サツナイ沢

sat-nay
乾いた・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
新冠ダムのダム湖である「新冠湖」の北東、「賣山」(うれるやま)三角点の北を流れる川です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「サツナイ」とあり、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「サツナイ」という川が描かれていますが、こちらは東西が逆になっています。


戊午日誌 (1859-1863) 「毘保久誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     サツナイ
右りの方小川。サツとは干たと云義のよし也。此川相応の川なれども小沢なし。源はシヒチヤリのイトンナフの山に合するよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.183 より引用)
「右のかた小川」とありますが、これは現在の「サツナイ沢」と一致していて「東西蝦夷──」とは逆ですね。「源は静内イドンナップの山」とあるので、戊午日誌の既述が正しく、「東西蝦夷──」が東西を間違えるというありがちなオチだったようです。

意味はやはり sat-nay で「乾いた・川」と見て良さそうですね。

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