2025年12月11日木曜日

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メモリアルシップ八甲田丸 (16) 「キハ 82 101」

 

メモリアルシップ八甲田丸の 1F「車両甲板」を歩きます。続いてはディーゼル特急が見えてきました(!)。
このディーゼル特急の保存展示は、個人的には賛否両論があったんじゃないかなぁ……と想像しています。というのも、青函連絡船における客車の航送は早い段階で廃止されていて、基本的には貨車を運ぶためのものだったので、ディーゼル特急を車両甲板に積載することは無かったと思われるのですね(新車の回送に使われた可能性はあるかもしれませんが)。

なお当時の国鉄は客車航送の復活を真剣に考えていたようで、「八甲田丸」の後に建造された「摩周丸」「羊蹄丸」「十和田丸」には 2F に繋がる階段を持つプラットホームが追加されていたとのこと。寝台車を積載して乗客は車両甲板の中で一夜を過ごす構想だったようですが、運輸省が OK を出さなかったために結局お流れになったそうです。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

ディーゼル特急の隣にもプラットホームがあり、2F「船楼甲板」に繋がる階段が見えます。プラットホームに向かうルートも整備されていますが、「通行禁止」の札がかかっていました。

キハ 82 101

ディーゼル特急(キハ 82 101)の前面です。現役時代は何とも思わなかったのですが、改めて見てみると端正でとても良くできたデザインですよね。翼を模した?赤い飾り帯なんかも最高ですが、パノラミックウィンドウのサイズと配置なんかも絶妙に思えます。
ちょっと不思議なのが、逆三角形の「特急マーク」とヘッドマークの方向幕が取り外されているところです。解体を目前に控えて留置されているようにも見えてしまうのですが、何故こんな姿に……?
「車両甲板」の見学順路では、運転台から見て右側を見ることができます。乗務員室のドアのガラスは金網で保護されていますが、これはタブレット交換をしていた頃の名残でしょうか?
「JNR」エンブレムは客室窓の上にありました。特急電車だと運転台の下に窓のない場所があるのですが、キハ 82 は諸々のコンポーネントが無駄なく詰め込まれていたが故に、エンブレムを飾るスペースが無くなった……ということかもしれません。

自由席 8 号車

「キハ 82 101」の車番はペイントではなく金属製のものです。設置も維持(再塗装とか)も手間暇がかかるので合理的では無いのですが、美意識……というか、ある種の美学なんでしょうね。
車内は現役時代さながらの状態で、蛍光灯も点灯してありました(蛍光灯の生産が終了した後はどうするんでしょう?)。
(残念なことにピントが合ってませんが)客室妻面には「自由席」のプレートと「8 号車」の文字も。実物だったので当然かもしれませんが、リアリティありますよね。

宇都宮 富士重工 昭和40年

デッキ部のドアは何故か開放状態でしたが、中に入れないように棒が X 字状に渡してありました。
車体の後尾には「キハ 82」の解説がありました。製造初年は 1961(昭和 36)年とのことですが、東海道新幹線の開業が 1964 年なので、2~3 年しか違わないんですね。
妻面には「宇都宮 富士重工 昭和40年」の銘板が張られていました。上にあったと思しき銘板は取り外されていますが、「日本国有鉄道」の銘板だった可能性が高そうですね。
連結面からは車内の様子を覗うことができます。あれっ、客室からデッキに出るところのドアは引き戸では無く開き戸だったんでしょうか?
車内の状態はとても良さそうに見えます。整備が行き届いているということでしょうか。

展示資料に関する質問と回答

車両甲板の船尾部にやってきました。仕切りロープには「展示資料に関する質問と回答」がかけられていましたが、こういったフォローがしっかりした展示っていいですよね。
一般的な博物館であれば学芸員さんのお仕事だと思われるのですが、「メモリアルシップ八甲田丸」の場合はどうだったのでしょう。この手の保存展示の関係者はボランティアの方が少なくないので、専門の学芸員さんがいるのかどうかは……?

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