2025年12月21日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1324) 「節婦虎・蒙受冠」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

節婦虎(せぷとら)

{sep}-utur??
{節婦川}・間
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
新冠節婦町(かつて JR 日高本線・節婦駅のあったところ)の北、節婦川と大節婦おおせっぷ川の間に聳える山の頂上からやや西に行ったところに「節婦虎」という名前の二等三角点が存在します(標高 146.8 m)。「節婦」ではなく「節婦虎」で「せぷとら」と読ませるそうですが……。

北海道実測切図』(1895 頃) には、なんとポンセプ川(=節婦川)とポロセプ川(=大節婦川)の間に「セプトラ」と描かれていました。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「セツフ」と描かれているものの「セプトラ」に近い地名は見当たりません。

ちょっと「困ったなー」と思っていたのですが、『初航蝦夷日誌』(1850) の「蝦夷地行程記」に次のように記されていました。

一、従ホロセツフ        ホンセツフヘ     十丁
一、従ホンセツフ        セツフウトル     九丁
一、従セツフウトル       ホンノツカ      九丁
松浦武四郎・著 吉田武三・校註『三航蝦夷日誌 上巻』吉川弘文館 p.314 より引用)
なんと……。どうやら「節婦虎」は「ポロセプ川」と「ポンセプ川」の間なので {sep}-utur で「{節婦川}・間」だったみたいです。つまり壮大な出オチをやらかしたということに……(「節婦川と大節婦川のに」)。

ところが、よく見ると少々奇妙なことに気づきます。この行程によると「ホロセツフ」(=ポロセプ川)から「ホンセツフ」(=ポンセプ川)に向かい、その先に「セツフウトル」があることになっています。

ただ『竹四郎廻浦日記』(1856) には次のように記されていました。

     ホンセツフ
此所小川有。タカイサラ村なる土人二軒(コンヘ、コント)出稼せし家残れり。
     セツフウトル
     ホロセツフ
此処昔し夷家有し由。今はなし。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読『竹四郎廻浦日記 下』北海道出版企画センター p.524 より引用)
こちらは「ホンセツフ」と「ホロセツフ」のに「セツフウトル」が存在するように記されています。都合のいい解釈を切り出しているだけじゃないか……と言われそうですが、実測切図もそうなっているので……(汗)。

蒙受冠(もうくるかっぷ)

mo-ukur(-kina)-kar-p
小さな・タチギボウシ・採る・ところ
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
節婦おおせっぷ川」と「受乞うけごい川」の間、共栄 7 号川の東の山上に「蒙受冠」という名前の三等三角点が存在します(標高 185.7 m)。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ウクルキカップ」と「モウクルキカップ」という川が描かれていました。「モウクルキカップ」は現在の「共栄 5 号川」のように思えます。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲクルカワ」とだけあり、「モ──」に相当する川名は見当たらないようにも思えます。

「カラスに魚の皮をさらわれて激おこ」説

戊午日誌 (1859-1863) 「安都辺都誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     モウクルカ(プ)
右の方小川有る也。其名義は昔し老人が此処に漁事に来りて、其魚の皮を干て置し処、烏が来りて其を皆とりしによつて、大に腹立たるとかや。其故事也。
     ヲン子ウクルカ(プ)
右の方相応の川也。此名義前に云ごとし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.95-96 より引用)
「老人が魚を獲って、魚の皮を干しておいたらカラスに盗まれて激おこ」だそうですが……(汗)。

「サジオモダカを採るところ」説

一方、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Ukuruki katp   ウクルキ カップ   澤潟サジオモダカヲ取ル處 土人其ノ白莖ヲ食フ○受乞村
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.250 より引用)
永田方正は「ウクルキ」を「オモダカ」としたようですが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) には ukur-kina は「タチギボーシ」とあります(『植物編』(1976) でも同様ですね)。

なお『植物編』によると、「オモダカ」は「辭書」(ジョン・バチェラーの辞書か?)に shumari-kina とある……とのこと(『蝦和英三對辭書』(1889) では確認できず)。また『藻汐草』(1804) には tokaopto-kina とある……としています。

この項は、ほぼ「受乞」の項のリライトなんですが(汗)、今回も「ウクルキ」は「サジオモダカ」ではなく「タチギボウシ」としておきます。「ウクルカㇷ゚」はおそらく ukur(-kina)-kar-p で「タチギボウシ・採る・ところ」なので、「モウクルカㇷ゚」は mo-ukur(-kina)-kar-p で「小さな・タチギボウシ・採る・ところ」と見るべきなのでしょうね。

mo- に「蒙」の字を当てたところが珍しいのですが、その点を除けばなんてことの無い地名……かもしれません。

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