2025年12月27日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1326) 「芽呂川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

芽呂川(めろ──)

mem-o-ru?
水たまり・多くある・路
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
比宇川(厚別川東支流)の東支流です。厚別川から見ると「支流の支流」ということになりますね。『北海道実測切図』(1895 頃) には「メロ川」と描かれていました。大半の川が「ピウカ」「プンカウ」のようにアイヌ語のネーミングそのままで描かれているのに対し、「メロ川」は「厚別川」と同じく早くから「──川」表記だったようです。

「新冠川に抜ける道筋」?

残念なことに永田地名解 (1891) には記載が見当たらないようです。戊午日誌 (1859-1863) 「安都辺都誌」には次のように記されていました。

 またしばし過て
      メ ロ
 右の方相応の川也。其名義はニイカツフえ通りすじと云訳なりとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.108 より引用)
これは……どういう意味でしょう。ru は「路」を意味しますが、「メ」が良くわからないことに……。

『午手控』(1858) もほぼ同じ内容ですが……

メ ロ
 ニイカツフえ通りすじによってか、何事もしられず
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.457 より引用)
若干トーンダウンしたというか、戸惑い?が見える形になっていました。

「泉地のところ」?

新冠町郷土資料館調査報告書 3』(1991) には、次のように記されていました。

 ・扇谷昌康、島田健一氏は、メム・オロ「mem-oro 泉地・のところ」の意味ではないかと推定しています。
(新冠町郷土資料館・編『新冠町郷土資料館調査報告書 3(アイヌ民族文化調査報告 3)』新冠町教育委員会 p.25 より引用)
あー、わかります。やはりそう考えたくなりますよね……。

「メム」と「メロ」

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「メム」と描かれているのですが、これは「ヒウ」(=比宇川)のすぐ下に位置しています。「メロ川」は厚別川から「ピウカ」をかなり遡ったところに位置しているので、厚別川のすぐ近くに「メム」と描かれているのは、
  • 作図上の都合
  • 「メム」と「メロ川」は別もの
のどちらか、ということになるでしょうか。

ささっと答え合わせしましょう。戊午日誌「安都辺都誌」には次のように記されていました。

本川左りの方、右は
     ヒ ウ
川すじ。此幅も弐十間も有、其水有る処は凡七八間、小石川にして急流なり。其さま聞て志るし置に、六七丁上り
      ハンケメモベツ
      ヘンケメモベツ
 右の方山の間の小川、二すじとも同じ位。其名義は川口より少し入りて一ツの溜り有るより号し也。メムヘツなるべし。溜ることを夷言メムと云り。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.106 より引用)
どうやら
  • 「メム」と「メロ川」は別もの
だった可能性が高くなりました。「六七丁上り」とありますが、これは 7~800 m ほどの距離だと思われるので、「芽呂川」と考えるにはちょっと近すぎるような気もします。『戊午日誌』や『午手控』は「メモベツ」と「メロ」の両方を記録しているので、なおのこと「メモベツ」=「メロ」とは考えづらいことになりますね。

「メロ」が mem-oro で「泉池・のところ」ではないかと想定するのは極めて穏当な解だと思いますが、松浦武四郎の「新冠川に抜ける路がある」という解を勘案して mem-o-ru で「水たまり・多くある・路」とも考えられないかな……と思い始めています。

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