2025年11月14日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1307) 「上アブカサンベ沢川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

上アブカサンベ沢川

apka-san-pe?
牡鹿・出てくる・ところ
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
新ひだか町道春別農屋線の「小似軽橋」から 6 km ほどシュンベツ川静内川支流)を遡ったあたりで東から合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ペンケアㇷ゚カサンペ」と描かれている川で、南に「パンケアㇷ゚カサンペ」も存在していたことがわかります(現在の「クリノ沢」とその支流)。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヘンケアカシヤンヘ」と描かれていました。

半魚人ならぬ半魚鹿?

戊午日誌 (1859-1863) 「志毘茶利志」には次のように記されていました。静内川支流の「シュンベツ川」の情報なので、例によって一字下げです。

 また上りて
      ハンケアフカシヤンベ
      ヘンケアフカシヤンベ
 二川とも右の方に有て相応の川也。また上下とも左右に小川も有れども、其名はしれず。魚類鱒・アメマスの二種有。名義は往昔此処にて鹿を取りし処、其(頭)魚形にして恐ろしきものなりしかば、土人等是を持帰らずして此処に捨置しと云儀のよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.606 より引用)
頭註には「アプカ 牡鹿」とあり、続いて「シヤンペ 頭」とあるのですが、sampe は「心臓」なので「シヤンペ 頭」というのは謎です。何か見落としているような気もしますが……。

飲み水の出る川?

永田地名解 (1891) はちょっと変化球を出してきました。

Panke wakka san pe  パンケ ワㇰカ サン ペ  飮水出ル下川
Penke wakka san pe  ペンケ ワㇰカ サン ペ  飮水出ル上川
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.257 より引用)
一見「なるほどー」と思ってしまう解ですが、改めて考えてみると wakka(水、飲水)を san(出る、山から浜へ出る)で受けるというのも微かな違和感が……(いや、本当に微かなんですけどね)。

牡鹿の出るところ?

永田方正は、何らかの根拠によって(あるいは自身の「理解」によって)「アフカ」を「ワㇰカ」に「訂正した」と思われるのですが、実はお隣の新冠町にも「アㇷ゚カサンペ」と呼ばれた川があり、こちらは

Apkosanpe=Apku-o-san pe  アㇷ゚コサンペ   牡鹿ノ下ル處 松浦地圖「アフユサレヘ」ニ誤ル
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.248 より引用)
としていました。更に面白いことに、この解は知里さんの『アイヌ語入門』(1956) において、音韻変化の実例として紹介されていました。

   apka-o-san-pe(雄鹿〔が〕・そこへ・出てくる・所) →Apkosampe[あㇷ゚コサンペ](地名解 248)
(知里真志保『アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために』北海道出版企画センター p.160-161 より引用)
この記述からは、知里さんも「アㇷ゚コサンペ」については apka-o-san-pe で「牡鹿・そこに・出てくる・ところ」で良い……と考えていたように見受けられます。

「牡鹿」か「歩く」か

この川名を悩ましいものにしているのが、apkaapkas という語の存在です。どちらも『地名アイヌ語小辞典』(1956) の本文には項目がありませんが、「用例の索引と補遺」には次のようにあります。

apka 雄のシカ。
apkas 《完》歩く。
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.147 より引用)
索引もアルファベット順なので、当然のことながら両者は隣り合わせです。「アブカサンベ」は apka-san-pe で「牡鹿・出てくる・ところ」と見るのが一般的かもしれませんが、{apkas-an}-pe で「{われら歩く}・ところ」とも考えられたりしないかな、と。

更に apkas-kamuy で「冬が来ても穴に入らずに山野をうろついているクマ」という用例もあるとのこと。ただしこの用例は足寄美幌で採取されたものなので、静内でも通用したかどうかは微妙なところです。

「入口」だったりして?

そして、これは「またかよ」と言われそうな話ですが、apa と絡めて考えられたりしないかなぁ、と。apka でも apkas でもなく apa-kasu だったらどうかな、と。

apa は「戸口」や「入口」を意味する語で、chise(家)においては外から中の様子が丸見えにならないように設けられたクランク状の動線……と言ったところでしょうか。要は「外から中を覗えない」というのがポイントで、地名においては(主に山などが邪魔をして)中の様子が覗えない川がそう呼ばれる……んじゃないかと考えています(思いっきり独自研究ですが……)。

今回の「上アブカサンベ沢川」の河口付近を見てみると、南北に衝立のような山があり、河口が屈曲しているようにも見えます。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
かつて「パンケアㇷ゚カサンペ」と呼ばれた現在の「クリノ沢」は……河口から上流側を覗うことは難しそうですが、衝立のような(戸口のような)山があるかと言われると、正直なところ微妙ですね。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
あ。こういう時にこそ類例をチェックすべきでしたね。ということで新冠川支流の「アブカシャンペ川」を見てみたところ……

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
うー。確かに河口近くで谷が S 字を描いていて、上流部が覗えないようになっていますが、まぁ似たような地形の川は他にもあるので、これまた何とも言えない感じですね。

kasu は「渡渉する」という意味なので、apa-kasu-us-pe であれば「入口・渡渉する・いつもする・もの(川)」ということになるでしょうか。「アパカシュシペ」だったものが、原義が失われて多少の転訛が生じた結果「アㇷ゚カサンペ」になったと考えるのは……流石に無理がありましたね(ぉぃ)。

まとめ?(まとまってない)

もっとも apka-san-pe で「牡鹿・出てくる・ところ」という解にも疑問点はあります。最大の謎は何故 apka(雄鹿)なのかというところで、雌鹿や子鹿も通るんじゃないか……というところですね。

事実上「鹿」を意味するとも言える yuk(本来の意味は「獲物」だったとも言われる)という便利な語もあるのに、あえて apka を選んだ意図が良くわからないのです。

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