ただ幸いなことに、イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』(講談社)には「蝦夷に関するノート」も含まれていました。ということで、「蝦夷に関するノート」については時岡敬子さんの訳をベースに見てみることにしました。
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
漁業
「地形的特徴」「開拓使」「新しい中心地」の次は「漁業」と題された内容が続きます。蝦夷の漁場はすばらしく、太平洋をはさんだ対岸オレゴン州のそれに匹敵するが、漁獲高の一〇─二五パーセントという過度に重い税金がかかる。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.22 より引用)
「過度に重い税金がかかる」……。税金を搾り取っては溶かしてしまう困った国だなぁという印象ですが、昔からそうだったということでしょうか。鮭が特産物で、いか、海藻、なまこも重要な移出品目である。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.22 より引用)
まさかイギリスでも「なまこ」が食べられているのかと思ったのですが、流石にそれは無さそうですね。「なまこ」を英語では Sea cucumber(海のキュウリ)というのだそうですが、原文では……Salmon is the specialty, but cuttle-fish, seaweed, and bêche de mer are also important articles of export.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)
どうやら bêche de mer が「なまこ」のようですね。ラテン語、あるいはフランス語っぽい語ですが、https://en.wikipedia.org/wiki/B%C3%AAche-de-mer にも Sea cucumber (food) へのリンクが張られています。南の海岸には漁場が数多くあるが、最重要なものは北の石狩と新主都札幌付近のものである。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.22 より引用)
「北の石狩」(Ishikari in the north)という表現はちょっと面白いですね。「石狩」は、本来は「石狩川」を指すのでしょうが、現在の個人的な印象では石狩川流域でも中流域から下流域を指すイメージがあります(「石狩振興局」や「石狩市」の影響が大きいのでしょう)。北海道の地方名であることは自明ですし、石狩エリアは「道北」とは言えないので、「北の石狩」という表現を使うことはほぼ無さそうな気がするのですね。イザベラがどのような含意で in the north としたのかは良くわかりませんが、函館から見て、あるいはイザベラの旅程(函館→室蘭→平取)から見て「北」ということを指し示しているのかもしれません。
イザベラは「ここでの鮭漁は日本での
こうやって穫れた魚は国内だけではなく「清国にも輸出される」とのこと。今も昔も重要な「お得意様」だったんですね。
この島の先住民であるアイヌは漁業に広く雇用され、また漁のシーズンには南部地方や羽後地方からおびただしい数の出稼ぎが蝦夷に集まる。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.22 より引用)
「南部地方」と「羽後地方」が原文ではどうなっているのかが気になったのですが、an immense number of emigrants from the provinces of Nambu and Ugo resort to Yezo for fishing season. となっていました。特に変わったところは無かったですね。「この島の先住民であるアイヌは漁業に広く雇用され」とありますが、これは……まぁ、その通りですね。冷涼な気候のため農産物の栽培は容易ではなく、それに代わって「手っ取り早く金になる」のが漁業だった……ということでしょう。
かつては「場所請負制」によって事実上の強制労働も行われていましたが、さすがのイザベラもその歴史には触れていません。
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