2025年11月17日月曜日

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メモリアルシップ八甲田丸 (2) 「JNR マーク」

 

海上博物館「メモリアルシップ八甲田丸」の前にやってきました。「えっ、こんなところに駐車していいの?」と若干不安になるようなロケーションですが……。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「八甲田丸」の船首方向を眺めます。大きな船ですが、太平洋フェリー「きそ」が全長 199.9 m で総トン数 15,795 t なのに対して「八甲田丸」は全長 132.00 m で総トン数 8,313.75 t とのこと(「きそ」の 3/5 くらい?)。津軽海峡フェリーの「ブルーハピネス」が全長 144.13 m で総トン数 8,851 t らしいので、かなり似たサイズと言えそうですね。
まるで今にも出港できそうな雰囲気ですが、よく見ると陸側から大量の電線が船体に伸びています。どことなく生命維持装置に繋げられたような感もありますね。

「ボーディングブリッジ」と「ベイブリッジ」

8 月末の火曜日ですが、遅い夏休みを取った方でしょうか(他人のことは言えないのですが)。
「八甲田丸」と青森駅の間はボーディングブリッジで繋がっています。現役時代は駅と直結していましたが、現在は駅側で切り離されているとのこと。
「青森ベイブリッジ」と青函連絡船ボーディングブリッジのツーショットです。「青森ベイブリッジ」は青函連絡船が廃止された後にできた橋ですが、ボーディングブリッジが保存されたおかげで実現したツーショットですね。
「メモリアルシップ八甲田丸」には、この階段を登って乗船することになります。よく考えてみるとバリアフリーでは無さそうですが、どこかにエレベーターがあるのかもしれません。

JNR マーク

「八甲田丸」は青函トンネルが開通した 1988(昭和 63)年 3 月まで運航されたので、現役時代の末期は JR マークを纏っていました。保存に際して国鉄時代の JNR マークが復元されています。
それはそうと、マークの手前に街灯がばっちり入るアングルでの撮影、やる気の無さが凄まじいですね……(すいませんすいません)。
この JNR マークですが、今にして思えば「J」の字のデザインがめちゃくちゃ強引ですよね(いや現役当時から思ってましたが)。あと「DHL」のロゴと、どことなく通じるものがあるかも……?

このマークは東京と大阪の間を電車特急「こだま」が走ることになった際に公募で決められたもので、1958(昭和 33)年に制定されたものとのこと。1964(昭和 39)年には東海道新幹線が開通しているので、在来線の電車特急「こだま」はたった 6 年しか走らなかった……ということになりますね。

運輸省港湾文化交流施設認証第 1 号

改めて「八甲田丸のご案内」を。「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」ですが、「青森市港湾文化交流施設」にして「運輸省港湾文化交流施設認証第 1 号」とのこと。肩書がものすごいですが、それだけの果たした役割の大きな船だった……ということでしょう。
それでは階段を登って乗船口に向かいましょう。
「八甲田丸」は海上に係留された状態での展示なので、当然のことながら潮位や波によって船体は常に動揺しています。「渡り橋」には可動部分があり、立ち止まることの無いよう注意喚起されていました。

ゆるいシンボルマーク

船体には「HAKKODAMARU」と書かれたイルカのイラストが。いかにも現代風のゆるいイラストですが、https://aomori-hakkoudamaru.com/question.html によるとこのシンボルマークは 1977(昭和 52)年(もちろん国鉄時代)に描かれたものとのこと(!)。
函館で保存展示されている「摩周丸」にも同様のシンボルマークが描かれていましたが、これが 1977(昭和 52)年に描かれていたというのは驚きしかありません。めちゃくちゃ先進的な画風ですが、誰がデザインしたのでしょう……? 
「八甲田丸」のシンボルマークは「乗船口」と「下船口」の間に描かれていました。あれ、出入り口の数が違う? もしや「博物館」にする際に増設した? となったのですが、どうやら「摩周丸」は二つあったドアの片方を使用していなかっただけ、ということのようです。

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