2017年1月31日火曜日

冬の北海道の旅 (63) 「謎の『常呂■』」

前日に引き続き、北見市常呂町にやってきました。
もはやお馴染みのカントリーサインの先には……
実はこんな看板も用意されていました。
「常呂町」は北見市と合併して「北見市常呂町」となりました。どちらにせよ「常呂町」であることには違いはないのですが、英語表記の TOKORO TownTown だけが消されたように見えてしまいますね。これ、よーく見ると雪がついているだけにも見えるのですが……。

美しき白き流氷!

国道 238 号「オホーツク国道」は、常呂町に入ってからは 2 km ほどずーっと直線が続きます。
そして、「オホーツク国道」の名前通り、右手には一面に広がるオホーツク海が!
「えっ、どこに海が?」と思ってしまいますが、実は、遠目に見えている「明るい白」がオホーツク海です。流氷に覆われてしまっているので、もはや海のようには見えないですけどね。

謎の『常呂■』

Day 3 では、アドヴィックス常呂カーリングホールに向かうために国道を外れて旧道を向かったのでした。Day 4 ではそのまま国道を直進することにしましょう。
このあたりは「ところ森林公園」の陰に当たるからか、まだ暗い印象がありますね。路面温度もやや低いかもしれません。
常呂川にかかる「常呂大橋」の手前に、ちょっと面白い青看板がありました。
道道 7 号を右折すると「常呂」に行けるように書かれていますが、そもそも今いる場所が常呂ですから、ちょっと変ですよね。同様の理屈で「常呂町」だったと考えることもできません。となると、これは「常呂駅」と書いてあったのだろうな、という想像が成り立ちます。
橋を渡った先の青看板は、最近のデザインのものでした。なるほど、「常呂市街」という表現にしてありますね(笑)。

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2017年1月30日月曜日

きょうの出来事(2017/1/30)

「きょう」ではなく「きのう」の出来事ですが、寝台特急「サンライズ出雲」に乗車してきました!
目的地はもちろん、終点の出雲市です。……もっとも、これは偶々時間に余裕があったからでもあるんですけどね。

A 個室の旅

部屋はちょいと奮発して A 個室を確保してみました。一週間前にふと思い立って「部屋あるかなー、取れるかなー」とみどりの窓口に行ったのですが、ふつーに 2 部屋ほど残っていましたね……。
寝台だけを見ると「ふーん」という印象ですが、実は洗面台だけではなくデスクまであるんですよね。下手なビジネスホテル並みの設備かもしれません。すばらっ!
さて、日付は変わってきょうの月曜日です。寝台特急「サンライズ出雲」は伯備線を北上していました。夜の間は結構雨が降っていましたが、幸い晴れ模様になってきました。
その後は米子や松江と言った主要都市に停車してから、宍道湖沿いを西に向かいます。

JR 木次線各駅停車の旅……の筈が

終点の「出雲市駅」に到着したのは朝の 9:58 ということで、11 時間 58 分の旅でした。
出雲市駅で帰りの切符(主に乗車券)を買って、3 駅手前の「宍道駅」まで戻ります。ここからは、JR 木次線で「備後落合駅」を目指します。
山間の風光明媚な路線として知られる木次線ですが、なんと「出雲横田駅」から「備後落合駅」の間が先週の大雪の関係で……
まさかの「バス代行」に(汗)。
予定外のハプニングではありましたが、生まれて初めてかもしれない「代行バス」の旅を堪能して、無事時間通りに「備後落合駅」にたどり着きました。

備後落合から芸備線で新見まで

備後落合からは、これまた本数の少ないことで知られる JR 芸備線で「新見駅」に向かいました。
その後、特急「やくも」と新幹線「のぞみ」で帰宅の途についたのでした。

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2017年1月29日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (412) 「勘太浜・宮津・球島」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

勘太浜(かんたはま)

kanna-ota?
上方にある・砂浜
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
稲穂岬の南、稲穂集落から見て東に位置する集落の名前です。

東西蝦夷山川地理取調図や西蝦夷日誌には「勘太浜」との記述は無く、一見和名のようにも思えますが、古い地形図(北海道測量舎五万分一地形図)に「勘太歌」という記載が見つかりました。「歌」は ota だと考えられるので、「カンタウタ」もアイヌ語に由来するのかもしれません。

kanna-ota であれば「上方にある・砂浜」と読み解けます。kanna は今まであまり目にすることの無かった語彙ですが、koy-ka(波のかみ)でお馴染みの ka から派生したものですね。アイヌの考え方は「東方上位」だと言われますから、島の北東部にある浜の名前としてアリだったりするかな? と無理やりこじつけてみました(ちょっと苦しいですかね)。

なお、東西蝦夷山川地理取調図や西蝦夷日誌には「フレフタトマリ」あるいは「フレフタ泊」という記録があります。これは hure-ota-tomari で「赤い・砂浜・泊地」と読めるかもしれません。鉄分の多い谷地水が流れ込んだか、あるいは赤っぽい藻が繁茂していたのか、その辺でしょうか。

繪圖澗(えづま?)

既に失われた地名だと思われますが、稲穂岬と勘太浜の間(灯台の東側あたり)に「繪圖澗」という地名があったようです(現在の字では「絵図澗」ですね)。音からは etu-oma で「岬・そこにある」と読み解けそうですね。

はい。こんな感じで失われた地名も少なからずあるのだなぁ……と言うお話でした。

宮津(みやづ)

chasi
(典拠あり、類型あり)
勘太浜の南の地名で、「宮津弁天宮」のあるところです。どう見ても和名に思えるのですが……まずは西蝦夷日誌を見てみましょう。

マウサン(北岬〔稲穂岬〕)、フレフタ泊(澗)、上にチヤシ〔茶津〕(平地)、此所昔しの城跡也。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.22 より引用)
ということで、宮津のあたりは元々「茶津」という地名だったようです。「茶津」をどう読んだのかは不明ですが、アイヌ語の chasi」に由来すると考えて良さそうですね。

ちなみに、まだ続きがありまして……

寶徳三年(辛未)秋八月二十八日、公(信廣〔武田〕)與ニ其臣佐々木繁綱(兵衞尉)・工藤祐長(九郎右衞門)自奥州南部(田名部蠣崎村)來于北夷遂上國(松前記)。其時暫時爰に住せしと土人の口牌〔碑〕に残る。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.22 より引用)
ふわわわ、漢字が多いですね(汗)。えーと、蠣崎信広が家臣とともに宮津に上陸して暫し滞在した、ということでしょうか。現在「宮津弁天宮」がある場所は、砦としても絶好の立地に思えるのですが、ここが砦の跡だったということでしょうかね。

球島(きゅうしま)

chiw-as-suma??
波・立っている・岩
(?? = 典拠なし、類型あり)
奥尻島北東部に「球島山」と言う山があって、その南東麓に「球浦」(たまうら)と言う集落があります(球浦川もありますね)。この「球」はどこから来たのだろう……と思っていたのですが、球浦の沖合に「球島岩」という孤岩を見つけました。地理院地図には「球」に「きゅう」とルビが振ってあり、どうやら「球島」で「きゅうしま──」と読むようです。

球浦には「白水川」と「球浦川」が流れているのですが、古い地形図を見ると現在の「白水川」のところに「球島川」と記されていました。「球島川」こと「白水川」を遡った先に「球島山」があるので、他の例と同様、山の名前は麓の地名に由来するように思えます。

「玉島」ではなくわざわざ「球」の字を当てて、しかも「たま」ではなく「きゅう」と読ませるのは、もしかしたらもともと「キュウシマ」に近い呼ばれ方をしていたのかもしれません。chiw-as-suma で「波・立っている・岩」と読めるのですが、いかがでしょう……?

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2017年1月28日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (411) 「滝ノ澗・海栗前・稲穂」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

滝ノ澗(たきのま)

tak-oma?
ゴロタ石・そこにある
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
学生街……じゃなくてガロ川の東に位置する岬の名前です。地理院地図には「滝ノ潤岬」と記されていますが、「潤」は「澗」の誤字だと思われます。岬の南側一帯の地名も「滝ノ澗」なのですが、こちらは「澗」の字が使われていますね。

ガロ川と滝ノ澗岬の間には「ポロ島」という「岩」があります(「島」では無いのがミソ)。これは poro-suma で「大きな・岩」なのでしょう。

本題の「滝の澗」に戻りますが、東西蝦夷山川地理取調図には「タキノマ」と記されています。また西蝦夷日誌には次のように記されています。

瀧の間(小瀧)、
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.22 より引用)
わざわざ枠を設けて引用することも無かったような気もしますが……(汗)。確かに滝ノ澗岬……じゃなくて「滝ノ潤岬」と「ポロ島」の間を川が流れていて、標高 50 m ほどの台地から海に向かってまっすぐ流れ落ちているように見えます。

ですので、「滝」は和語で「澗」が ma である可能性もゼロではないのですが、tak-oma あたりで「ゴロタ石・そこにある」とも考えられるのではないかなぁ、と思っています。

海栗前(のなまえ)

nona-oma-i
ウニ・そこにある・ところ
(典拠あり、類型あり)
滝ノ澗の東にある集落の名前です。道道 39 号「奥尻島線」も、海栗前から先は海岸部を通ります。このあたりは津波の被害があったところなので、今は道道と海の間に立派な防潮堤ができていますが……。

この「海栗前」は、東西蝦夷山川地理取調図や西蝦夷日誌には記載がありません。戦前の地形図(陸軍測量部図)には、既に現在と同じ(?)「海栗前」の記載があります。更に古い地形図(北海道測量舎五万分一地形図 後志国)には「野名前」とあります。もしかしたらこっちのほうが古い表記なのかも知れませんね。

「海栗」は「ウニ」のことですが、アイヌ語の nona も「ウニ」という意味です。つまり、ウニを意味する nona という音に対して、ウニという意味の「海栗」という漢字を当ててしまったということになりますね。「『本気』と書いて『マジ』と読む」系の地名でしょうか(何か違うような)。

ということで「海栗前」の地名解ですが、nona-oma-i で「ウニ・そこにある・ところ」だと考えられます。「海栗前のなまえが野名前」です(意味不明)。

稲穂(いなほ)

inaw-us-i?
木弊・多くある・ところ
maw-san
息吹・山から浜に出る
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)(典拠あり、類型あり)
奥尻島最北の岬の名前であり、また、岬の西側の大地名で、同名の集落もあります。東西蝦夷山川地理取調図や西蝦夷日誌には記載がありませんが、明治期の地形図に「稲穂岬」の記載が見られます。ということで和名の可能性もあるのですが、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」によると……

 稲穂岬(いなほみさき)
 奥尻島の東北端のみさきの名。稲穂の地名は北海道内に随分多い。多くは山奥の峠か海岸の岩礁の多い岬に名付けられている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.27 より引用)
ふむふむ。続きを見てみましょうか。

この稲穂岬も岩礁が多く、多くの船が難破し、幾多の人命をのみ込んだ所。その岬のもとにそれらの人びとの供養に石を積み重ねた賽の河原という所がある。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.27 より引用)
稲穂岬の「賽の河原」、残念ながら雨模様だったのでちゃんと見られていないのですよね。惜しいことをしました。そして、更に続きがあります。

 稲穂はアイヌ語の木幣のことで、イナウ・ウㇱ(木幣沢山あるところ)の略で、木幣をあげて安全を祈って通った所。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.27-28 より引用)
はい。ということで更科さんは「稲穂」の語源が inaw-us-i木弊・多くある・ところ)ではないかと考えたようです。確証は無いですが、筋は通っているようにも思えます。

一般にゴメ岬と呼んでいる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.28 より引用)
そうなんですよね。戦前の陸軍測量部図には「岬穂稻」という文字が二つ描かれていて、一つは現在の地形図にも「稲穂岬」と記されている海沿いの突端部で、ルビが「ホ ナイ」即ち「イナホ」と記されています。

もう一つ、灯台のところにも「岬穂稻」と記されているのですが、こちらには「メ ゴ」(即ち「ゴメ」)とルビが振られているのです。「ゴメ」で連想されるのは「カモメ」ですが、果たして「ゴメ岬」の由来は……?

稲穂(集落)

さて、岬の西側にある「稲穂」集落に話題を移します。ここは元々「菰澗」と書いて「ごむま」と読ませていたのだとか。東西蝦夷山川地理取調図には記載が見当たりませんが、西蝦夷日誌に気になる記述がありました。

イワヲイ(小川)、ホンイワヲイ(小川)、轉太濱上に硫黄の気有るコモマ(小川)、瀧の間(小瀧)、エクマ(岩崩)、マウサン(北岬〔稲穂岬〕)、
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.22 より引用)
この「コモマ」が「菰澗」の元になったようにも思えるのですが、文章からは滝ノ澗……じゃなくて「滝ノ潤岬」の *西側* の川の名前と読み取れます。「菰澗」集落は「滝ノ潤岬」よりも東なので、厳密には異なる地名ということになりますね。

もっとも、名前が同じなのであれば由来も同じである可能性が高いので、意味を考えてみましょうか。素直に kom-ma と読めば、「曲がった・澗」となりそうです。

また、先に引用した「西蝦夷日誌」によると、後の「菰澗」のあたりを「エクマ」と呼んでいたように読み取れます。これを e-kuma(-ne-sir) と考えると「頭・横棒(のような山)」と読めそうです。稲穂集落の東に位置する山は、台地状の平べったい形をしているように見えるので、それを指して「頭が横棒のような山」と呼んだのではないかなぁ、と思ったりもします。

稲穂岬ふたたび

西蝦夷日誌は「稲穂岬」のことを「マウサン」と記していますが、これは東西蝦夷山川地理取調図も同様です。これは maw-san で「息吹・山から浜に出る」と読み解くことできます。この maw-saninaw-san にいつしか転訛して、最終的には「稲穂岬」になったと考えることもできそうです。

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2017年1月27日金曜日

冬の北海道の旅 (62) 「青い空と白い雪」

Day 3 に引き続き、国道 238 号「オホーツク国道」で常呂に向かっています。雲一つない青空ですね! 気温も下がる訳です(放射冷却ですね)。
二見ケ岡から道道 76 号で能取岬に向かう途中に「レイクサイドパーク・のとろ」というところがあるのですね。前日は積雪のため通行止めでしたが、この日はどうでしたっけ……?

危険予知トレーニングふたたび

さて、こちらの写真ですが、一見ふつーの雪道の写真に見えると思います。確かにふつーの雪道の写真なのですが、実は……
除雪中の人の姿が。ちょうど後ろが林だったので、せっかくの暗色の服が背景に溶け込んでしまっています。
(画像に修正を加えています)
除雪中の人が足を滑らせることも十分に考えられるので、車で通過する際にも気を配らないといけませんね。

青い空、白い雪……

道路の右側に鳥居が見えてきました(二見ケ岡神社みたいです)。青い空、白い雪、暗色の森のなかで赤い鳥居がとても良く映えていますね。

卯原内

サンゴ草の群生地があることで有名な「卯原内」の集落にやってきました(二日連続三回目)。前の日から気づいていたことですが、道路の脇の雪の量が半端じゃないですね。ここでも除雪作業中の方の姿が見えますね。そう、実はこの日は日曜日だったのでした。

内心気が気でなかったり

予期せぬ車の不調に内心気が気でなかったりもしたのですが、地名は平穏そのものでした。
卯原内からは能取湖の西側を北上します。おっ、ここには文明の利器で除雪をしている方が!
能取湖とオホーツク海の間にある「ポント沼」の近くの左カーブを曲がります。カーブを曲がり終えたら間もなく常呂町です。
路面を覆っていた雪が随分と少なくなりました。下は氷かもしれないので要注意ですね。

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2017年1月26日木曜日

冬の北海道の旅 (61) 「この絵はどこかで見た絵」

氷結した網走湖の東側を北上していましたが、突き当りの T 字路を左折して、国道 238 号を西に向かいます。
今度は網走湖の北側を走ることになります。常呂まで 28 km、紋別まで 105 km、そして国道 238 号の終点・稚内までは 322 km です。
そして、「オホーツク国道」と言えば案内標識の裏側が見ものですが……
あれっ? 全く同じ文章を 1/3 の記事でも書いていましたね。そう、写真のトリミングも似たような感じですし……
もちろん、案内標識の裏側も同じという訳です。そりゃあどこかで見たことがある筈ですよね。

路面が黒いからと言って

国道 238 号も、国道 39 号と同じく網走湖畔を走るわけですが、路面が天都山の陰に隠れていた国道 39 号とは異なり、既に日の差し込む状態になっていた国道 238 号は、車線の右半分が既に黒くなっていました。もちろんブラックアイスバーンである可能性もあるので、油断は禁物なわけですが。
そんなわけで、道路情報表示版も……
ですよね。この「路面状態に合わせて安全運転を」の 14 文字を忘れることなく、安全運転に努めたいところです。

まずは常呂へ

国鉄湧網線跡の自転車道の下をくぐって……
まずは(前日にも行った筈の)常呂を目指します。
今更ながらではありますが、Day 4 のルートをお目にかけます。


カーナビでは「471 km」で Google Map は「467 km」ですから、まぁ、ほぼ同じルートを検索できたのかなと思います。久々の 450 km 超えでもあるので、いつも以上に気をつけないといけませんね……。

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2017年1月25日水曜日

冬の北海道の旅 (60) 「アイドリング不安定」

「冬の北海道の旅 2015」も Day 4 に入ります。慣れない極寒の地で調子を崩したか、エンジンのアイドリングが安定しないので、念のため 20 分ほど暖機運転した後に出発することにしました。
ガソリンエンジンはガソリンを燃焼(爆発)させることによって動力を得ているわけですが、ガソリンを燃焼させるためには相応の酸素も必要になります。自然吸気エンジンの場合は酸素の量を調整できないので(自然吸気と言われる所以です)、ガソリンの量を微調整することで理想的な空燃比を目指すことになります。

理想的な空燃比でガソリンを燃焼させると、無駄なく燃料を使うことができる上に、排気もキレイになるので良いことづくめなんですよね。ただ、理想的な空燃比は気温によっても変わってくるので、排気管にセンサーをつけて、得られた情報を元に自律的に調整を行います。排気に酸素が多く残っていれば「まだガソリンを燃やす余地がある」としてガソリンの量を増やします。逆に燃え残ったガソリンが排気に混じっていたら「酸素が足りない」ということになるので、燃料を絞ることになります。
アイドリングが安定しないのは、酸素が余ったりガソリンが燃え残ったり(後者は本来は論外なのですが)を際限なく繰り返しているからなのでしょうね。いつもだとちょうどいいところに自動的に調整されるのですが、この日は何故か調整に難航していたようでした。

ANTIPOLLUTION FAULT」というのは、汚染防止に関する問題の発生、即ち燃え残ったガソリンが排気に含まれている状況で、「CATALYTIC CONVERTER FAULT」というのは三元触媒の故障、つまり排気の中の有害成分を除去する機構に問題が生じていることを示します。つまるところはいずれもガソリンの燃え残りを示唆していることになります。

とは言え、特に "ANTIPOLLUTION FAULT" は実はプジョー車ではちょくちょく見られるエラーだという話もありますし、コンピューターをリセットして治ったなんて話も聞いたことがあります。寒地に適応できていないだけという可能性も捨てきれません。

出発!

……まぁ、悩んでいても仕方がありません。そろそろ出発することにしましょう。前方に歩行者がいますが、徒歩での出発なのでしょうか……?(少し先にホテルの第二駐車場があるので、そこに向かったのだと思いますが)
第二駐車場の前を通り過ぎると、前方に SL を象った標識が見えてきました。
いや、ふつーに釧網本線の踏切があるだけなんですけどね。踏切を渡って、右折して国道 39 号を網走市街に向かいます。

グリッピーな雪道

網走湖畔の国道 39 号は一面真っ白の雪道状態でした。実はこの路面状況はかなり走りやすいんですよね。湿り気の少ない雪は、思ったよりもグリップするものなのです。
天都山に向かう道の踏切が見えてきました。途中に「網走監獄(博物館?)」もあるので、バスも多く通る道なんでしょうね。

そして気がつけば

マルチファンクションディスプレイには外気温などの情報が表示されるのですが、気がつけば……
最低気温記録がさり気なく更新されていました(汗)。

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2017年1月24日火曜日

冬の北海道の旅 (59) 「外はマイナス 12 度!」

「網走観光ホテル」の駐車場は、車のキーをフロントに預けるシステムでした。ということで、「駐車券」と引き換えに車のキーを返してもらいます。
キャリーバッグ片手に駐車場に向かうと……あれっ?
なんとまぁ、玄関の真ん前に停めてあるじゃありませんか。もちろん自分で停めたわけじゃなくて、ホテルの係の人が停めたんですけど……。そう言えば、部屋から駐車場を眺めた時も、
一台だけ変なところに停まってるなぁ……と思ったのでした。ちなみに上からの写真だと、車体の後ろ半分は雪に埋もれていましたが、
ちゃんと除雪済みでした。素敵なサービスをありがとうございます! そして前から見ると……
車体についた雪を削ぎ落とすヘラのようなブラシがあるじゃないですか。その跡がくっきり残っていました。おかげさまで何の苦もなく車に戻ることができそうです。

謎の不調のその後

Day 2 の夕方から謎の不調に見舞われていたこの車ですが、「ANTIPOLLUTION FAULT」のエラー音を出しながらもエンジンは無事かかってくれました。ただアイドリングが不安定なので、出発はしっかりと暖機運転を済ませてからにしましょう。

外はマイナス 12 度!

いつになく慎重なのは、もちろんエラー音のこともあるのですが、
こんな表示を見ちゃったからなんですよね。拡大しておきましょうか?
……(汗)。マイナス二桁というのは久しぶりに見ました。もしかしたらこの車では初めてだったかもしれません。

Day 4 は 471 km

暖機運転の間にカーナビに目的地をセットします。この日のゴールまでは 471 km とのこと。久しぶりの長距離ドライブですが、浜厚真に夜 10 時に到着すれば良いので割と楽勝の筈です。何もなければ……ですけどね。

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