2017年2月4日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (413) 「倶知安」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

倶知安(くっちゃん)

kut-sam-un-pe?
崖・傍・ある・もの
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
羊蹄山の北にある町の名前で、函館本線に同名の駅もあります。有名な難読地名ですが、あまりに有名であるが故に、もはや難読とは言えないのかもしれません。

では、まずは「北海道駅名の起源」から。

  倶知安(くっちゃん)
所在地 (胆振国)虻田郡倶知安町
開 駅 明治37年10月15日(北海道鉄道)
起 源 アイヌ語の「クチャ・アン・ナイ」(猟人の小屋のある沢)から出たといわれていたが、「クチャンナイ」という地名は見当たらず、倶知安峠にある「クッ・サム・ウン・ペツ」(がけのそばにある川)が語源と思われる。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.31 より引用)
「北海道駅名の起源」は、高倉新一郎、更科源蔵知里真志保、河野広道の各氏の共著ですが、著者の一人である更科源蔵さんは自著「アイヌ語地名解」にて次のように記していました。

 倶知安(くっちゃん)
 クチャ・アン・ナイからでたものだと古くからいわれていたが、そういう地名は昔の記録にも地図にも発見されないが、現在、倶登山(くとさん)といわれている川が倶知安の北方の山中を廻って流れ、町の一キロほど北で尻別川にそそいでいる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.50 より引用)
相変わらず一文が長いので引用する際に苦労するのですが……(汗)。続きがあります。

この川は古い時代にはクッチャムンペッといわれた川で、クッチャムンペッとはクッ・サム・ウン・ペッで岩崖のそばにある川というのが語源だろうといわれている、然し地図の上ではこの川筋は割合広い谷間を流れていて岩崖らしいものが見当たらないが、あるいはもと尻別川への落ロのあたりにあったのかも知れない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.50 より引用)
相変わらずいc(ry

えー、とりあえず「北海道駅名の起源」の「倶知安駅」の項は更科源蔵さんの筆によるものである可能性がありそうですね。

山田秀三さんの「北海道の地名」では、様々な説が比較検討されていました。

倶知安 くっちゃん
倶登山川 くとさんがわ
 倶知安は倶登山川が尻別川に注ぐ川口の処であるので,アイヌ語地名の慣例から見て,この地名は,この川名から出たものであったろう。kut-san を続けて呼べばクッチャンとなるので,つまり同じ言葉だったようである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.465 より引用)
現在の倶知安の市街地は、尻別川と倶登山川の合流点のすぐ川上にあります。kut-san が「くっちゃん」に化けたという説はなかなか説得力がありますね。

永田地名解はこの辺の地名は虻田(倶知安は虻田郡だった)のアイヌから聞いて書いているのであるが,「クトゥサニ kutu-sani。?。泥土の濁川なりといふ」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.465 より引用)
丁巳日誌「曽宇津計日誌」には「クツシヤニ」とあり、東西蝦夷山川地理取調図にも「クツシヤニ」という記録がありました(厳密には倶登山川の西側に記されています)。「クツシヤニ」がどのように「くっちゃん」に化けたのだろう……というところが気になるわけですが、まだ続きがあります。

 バチラー博士は「クチャウンナイ kucha-un-nai。猟人の小屋・の・谷」と書いて,その解が後の人に伝わり諸書に書かれて来た。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.465 より引用)
ああなるほど。「北海道駅名の起源」などで紹介されていた「クチャ・アン・ナイ」説のオリジナルはバチェラーさんだったのですね。非常に優れた解のようにも思えるのですが……

音の当て方は巧いが,クトサン川の音とは離れたものなので賛成できない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.465 より引用)
そうなんですよね。kucha-an-nay が「クトサン」に化けた(あるいはその逆)と考えるのは、ちょっと無理があるように思えます。

 この名の始めの処は kut あるいは kutu (その kut)だったらしいが,kut にはいろいろな意味があり,①中空の管,筒②帯→帯状に地層の現れている断崖のような形で地名に使われていることが多い。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.465 より引用)
ほう。これは知りませんでした。ということで知里さんの「──小辞典」を見てみると……

kut, ,i/,u くッ ①岩層のあらわれている崖。帯状に岩のあらわれている崖。②【チカブミ】川岸に高い nupuri(山)があって,その側面が岩壁になっていて爪もかからぬような断崖;絶壁。──そういう岩崖の「ぽル」(póru 洞窟)にはよくクマが住んでいる。そういう所にはブドーズルなどをかけて上下する。③岩崖についている岩層の段々。岩棚。④のど。⑤中空の茎。⑥帯。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.55 より引用)
ほほう。確かに「⑤中空の茎」とあります。平たく言えば、ストローのような茎ということでしょうか。

山田秀三さんの「北海道の地名」に戻りましょう。kut を「①中空の管」と捉えた場合の考え方です。

①松浦氏の丁巳日誌には「クツシヤニ。訳して魚を取る具の事を云也。我が勢(伊勢)にて此具をかごし(篭簀)と云なり」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.465 より引用)
ん、丁巳日誌にそんなことが書いてあったかな……と思ったのですが、ありました。こちらですね。

 クツシヤニ、訳して魚を取る具の事を云也。我が勢にて此具をかごしと云なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.140 より引用)
さて、この「魚を取る道具」説について、山田秀三さんは次のように考えていたようでした。

この道具を知らないが,言葉からいうと篭で筒形に作り,そこに魚が shan(san・流れ下る)する仕掛けのものだったろうか。あの倶登山川に簗のようなものでも仕掛けてあって名になったのだろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.465 より引用)
なるほど。推測の域を出ない解ではありますが、kut がストロー状の筒を意味するという傍証を考えるとなかなか興味深い解でもあります。もっとも、kut-san-i であれば「筒が流れ下がるところ」と解釈できてしまうような気もするので、ちょっと違和感もあるのですけどね。

続いて kut を「②帯状に地層が露出した断崖」と捉えた場合の考え方についてです。

②倶登山川の下流には岩崖は見当たらない。この地出身の山田文明氏(道教育庁)は「私の若いころ倶登山川の川尻に近い西岸に崖があって,岩燕がたくさんいました」といわれた。行って見ると,川水が昔ぶつかって崩していた土崖があった処である。kut はふつうは岩崖であるが,土崖でもそう呼んだのかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.465-466 より引用)
「川尻に近い西岸」で崖のありそうなところと考えると、クトサン橋の北側あたりでしょうか。このあたりで倶登山川は旭ヶ丘スキー場のある山に接近しています。あるいは更に倶登山川を遡ると、「共和導水路」の橋の少し下流側で川が山にぶつかって 90 度向きを変えているところがあります。これを評して kut-sam-un-pe で「崖・傍・ある・もの」と呼んだという説も頷けますね

山田秀三さんは -sam ではなく -san と考えたようで、次のような試案を記していました。

それでクッシャニ「kut-shan-i 崖(の処)を・流れ出る・もの(川)」と呼ばれ,語尾の i は下略されるのでクッシャン(クッ・サン)→クッチャンとなり,倶登山,倶知安となったものか。これはほんとうの一試案である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.466 より引用)
なるほど、kut-san-i で「崖(のところを)・流れ出る・もの(川)」と考えたのですね。これも検討に値する説だと思います。

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