2021年7月14日水曜日

春の道北・船と車と鉄道で 2016 (141) 「幅 200 m ほどの回廊エリア」

いつの間にか北竜町に入っていましたが、北竜町(恵岱別川沿い)に入ってから急に峠らしくなってきましたね……。この覆道は「北勇覆道」と言うそうですが、由来は何なんでしょう……?
ちなみに、覆道の右側、50 m ほど下に恵岱別川が流れていますが、恵岱別川は雨竜町域とのこと。北は増毛町なので、北竜町にとっては幅 200 m ほどの回廊エリアということになります。

恵岱別ダム

「北勇覆道」を抜けて、下り坂を東に向かいます。まだ僅かに雪が残っていますね。
右側に「恵岱別ダム」のダム湖が見えてきました。
おっ、また覆道ですね(名前は「北光覆道」とのこと)。雄冬のあたりの覆道は本格的と言うか重厚長大なものでしたが、この覆道は「落石と雪崩をしのげたら良し」と言った感じでしょうか。

真っ白でまっ平らな「北竜トンネル」

覆道を抜けると、前方にちょっと見慣れない感じの青看板が見えてきました。
この先に……トンネルがあったんですね。町境に差し掛かるまでは峠らしい雰囲気が皆無だったんですが、北竜町に入ってからすっかり峠道モードですね。
「恵岱桟道橋」で左カーブを抜けると……
「北竜トンネル」です。左側には非常電話の電話ボックスも見えますね。それはそうとこのトンネルポータル、とにかくシンプルというか、真っ白でまったいらですね。
トンネル内は一直線で、特に変わったところはありません。
ただ、「恵岱別ダム」の堰堤はトンネルの南側にあったようで、トンネルを抜けた先にはもうダム湖はありません。右手の山が酷く崩れていますが、地理院地図を見た感じでは、どうやら意図的に崩しているものでは無さそうな感じですね。

川のない谷

恵岱別ダムの下流側は、川によって形成された平野が広がっています。ここもかつての開拓の成果だと思うのですが、このあたりは現役バリバリの畑のようですね。
ちなみにこの先にはこんな地形が広がっています。


もともと恵岱別川は南側を迂回?していたと思われるのですが、今は道道 94 号沿いの短い経路を流れています。人為的な河川整備の結果かと思ったのですが、大正時代の陸軍図でも既に短絡経路を流れていたようで、もしかしたら自然な河川争奪の結果……なのでしょうか。

前方に交叉点があるんですが、右折すると旧河道沿いの谷に入ります。
ちなみに左折すると「石油沢川」沿いを通る道道 1068 号「留萌北竜線」ですが、北竜町と留萌市の境界付近に高低差 70 m ほどの片勾配(しかも結構急な)があり、その区間が未開通のため留萌に出ることはできません。
雨竜郡のあたりで良く見かける各種施設への案内が出ていますが、もちろん左折を促すものは一つもありません。

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