2021年7月31日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (853) 「レカセウシュナイ川・オサチナイ川・トキタイ山」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

レカセウシュナイ川

{pipa-sey}-us-nay?
{カラス貝}・多くある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
浜頓別の市街地の西側に広がる「クッチャロ湖」は、東側(下流側)の「大沼」と西側(上流側)の「小沼」の二つに分かれています。「レカセウシュナイ川」はクッチャロ湖(大沼)の最南端に注ぐ川の名前です。

この川はかなり疑問の多い川で、地理院地図には「レカセウシュナイ川」とあるにもかかわらず、国土数値情報には「ルカシュナイ川」という名前で記録されています。ということで、まず「どちらの川名が正しいのか」というところから話を始める必要があるのですが、道道 84 号「豊富浜頓別線」の橋にも「レカセウシュナイ川」とあったので、おそらく現地では「レカセウシュナイ川」という名前で通用しているものだと思われます。

「東西蝦夷山川地理取調図」や松浦武四郎の各種著作には、「レカセウシュナイ川」あるいは「ルカシュナイ川」に相当しそうな記録を見つけることができません。「東西蝦夷山川地理取調図」は現在の「頓別川」に相当する川が「クッチャロ湖」に注ぐように描かれているなど、地理認識の点でも妙なところが散見されることもあり、クッチャロ湖周辺の記録としてはやや心許ないところもあります。

幸いなことに、明治時代の地形図にはこの川が描かれていました。川名は「レカセウシユナイ」と描かれているように見えますが、最初の文字は「レ」ではなく「シ」のようにも見えます。

より大縮尺の地形図にもこの川は描かれていましたが、こちらは「ピカセウシュナイ」と描かれているように見えます。

現在の川名が「レカセウシュナイ」で、古い地形図には「シカセウシュナイ」あるいは「ピカセウシュナイ」と描かれているように見えるのですが、これが「ピパセウシュナイ」であれば、{pipa-sey}-us-nay で「{カラス貝}・多くある・川」と読めそうです。「ピパ」が「シカ」に転訛して、そして「シ」を「レ」に転記ミスした……と言ったところでしょうか。

「ルクシナイ」説

「角川日本地名大辞典」には「北西部の字界をなすレカシウシュナイ川はアイヌ語のルクシナイで『道が通る川』の意」とありました。なるほど、この考え方ならば「レカセウシュナイ」が「ルカシュナイ」に化けたのも理解できます。

ru-kus-us-nay で「路・通行する・いつもする・川」の -us が抜けて ru-kus-nay で「路・通行する・川」になったという考え方ですが、-us が抜け落ちるのは本当にいくらでも例がありますからね。

「レカセウシュナイ川」に沿って南に向かうことで、丘の鞍部を越えて頓別川沿いの「楓」地区に出ることができます。「レカセウシュナイ川」は大正時代に測図された「陸軍図」では「レカシゥナイ川」という名前になっていて、これが国道数値情報の「ルカシュナイ川」の元になったと考えられそうです。

「レカセウシュナイ川」または「ルカシュナイ川」を ru-kus-nay と考えるのは実際の地形からも首肯できるものですが、ただ明治時代の地形図には、明らかに「ピカセウㇱュナイ」と描かれているんですよね。ちょっとこれが「レ」または「ル」の誤りだったとは流石に強弁しづらいものがあるのですが……。

オサチナイ川

o-sat-nay
河口・乾いている・川
(典拠あり、類型多数)
「クッチャロ湖」の流出河川は、湖の名前の由来となっている「クッチャロ川」ですが、クッチャロ湖の「小沼」と「大沼」の間の川も「クッチャロ川」という名前で、また小沼に注ぐ川のひとつも「クッチャロ川」という名前です。別の言い方をすれば、頓別川河口付近に注ぐ「クッチャロ川」という川があり、その途中に「大沼」と「小沼」がある、ということになります。

「クッチャロ川」を遡ると、道道 84 号「豊富浜頓別線」のあたりで「仁達内川」と「オサチナイ川」に分かれます。道道 84 号はオサチナイ川沿いを遡り、トキタイ山の北側を抜けて猿払村に入ることになります。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、次のように記されていました。

 オサツナイ川
 仁達内川の小枝川。オ・サッ・ナイは川尻の乾く川の意。尾札部などと同じ。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.190 より引用)
やはり o-sat-nay で「河口・乾いている・川」と考えて良さそうですね。「尾札部おさつべ」は函館近郊にあった「尾札部村」のことで、南茅部みなみかやべ村(南茅部町)を経て現在は函館市尾札部町となっています。

トキタイ山

to-kitay
沼・奥
(典拠あり、類型あり)
オサチナイ川には「菊水川」や「三線川」、「中島川」など多くの西支流がありますが、これらの支流を遡った先に、標高 291.5 m の「トキタイ山」があります。トキタイ山の山頂は東側が浜頓別町で、西側が猿払村です。

更科さんの「アイヌ語地名解」には、猿払村の章で次のように記されていました。

 トキタイ山
 浜頓別町との境の小山。ト・キタイは沼のかしらの意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.192 より引用)
ということで、どうやら to-kitay で「沼・頭のてっぺん」と考えられそうで、もう少し具体的に表現すると「沼・奥」ということになりそうです。

「トキタイ山」は、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「トウキタイノホリ」という名前で(山として)描かれています。ただ「東西蝦夷──」で描かれている場所は現在の「頓別川」と「クッチャロ川」の間で、山の西側は幌延町の「問寒別川」の流域として描かれているので、現在の位置ではなく、浜頓別町・幌延町・猿払村の境界にある標高 356.3 m の山を指していた可能性がありそうです。

ただ、明治時代の地形図を見ると、ほぼ現在の位置に「トキタウシ」とあるので、位置認識にズレが生じたとすると、それは明治以前の出来事だったということになりそうです。

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2021年7月30日金曜日

春の道北・船と車と鉄道で 2016 (151) 「湖畔駅跡」

国道 275 号で朱鞠内方面に向かいます。外は相変わらずの霧模様ですが、あまりに代わり映えしないのは流石にマズいのでは……(何を今更
幌加内町共栄と朱鞠内の間にある「朱鞠内トンネル」が見えてきました。そう言えば何を今更という話ですが、国道 239 号と国道 275 号が分離してから朱鞠内までは約 9 km ほどしかありません。この区間はあまり遠いと感じたことが無いのですが、実際に遠くなかったのですね。
朱鞠内トンネルの中はずっと右カーブが続きます。
1970 年代の空中写真を見ると、現在の朱鞠内トンネルの東隣に旧トンネルに繋がっていたと思しき道路が見えます。国鉄深名線の線路は更に東側ですね。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
トンネルの前後には覆道が設けられています。なんかカメラの「絞り」をクローズアップしたみたいな写真になりましたね。

いつの間にか朱鞠内

トンネルを抜けても霧、ですが……
そんな中、突然右手にめちゃくちゃ近代的な建造物が!
そして左手には「朱鞠内郵便局」が。いつの間にか幌加内町朱鞠内に到着していたみたいです。

うっかり(意図的に)直進

朱鞠内の集落の北側で、国道 275 号は右折することになります。うっかり直進すると道道 528 号「蕗の台朱鞠内停車場線」に入ってしまうことに……。
ということで、お約束どおりうっかり直進してみました。朱鞠内湖の展望台やキャンプ場に向かうには、ここは直進しておかないといけないので……。直進しても霧、です。

バス停の待合室?

あれ、この建物は何でしょう。向かい側にはジェイ・アール北海道バスのバス停があるので、やはりバス停の待合室なんですかね……?

それにしてもこの待合室(だと思う)、ちゃんと避雷針らしきものも備えていて、なかなか良くできていますね。

「二重の滝」まで 12 km(到達不可)

前方に交叉点が見えてきました。
これは空知管内でよく見かける「名所案内」的なものです(幌加内町は支庁解体時に「上川総合振興局」に移ってしまいましたが)。直進すると「二重の滝」というスポットがあるんですね……。ただ、この先の道道 528 号は「万年通行止め」状態なので、おそらくたどり着くのは不可能でしょう。
「二重の滝」が気になったので場所を確認してみたんですが、あー、これは「蕗の台」の近くなので、道道 528 号の通行止めが解除されない限り自家用車で近づくのは不可能っぽいですね……。

湖畔駅跡

ちなみに現在地は国鉄深名線の「湖畔仮乗降場」(JR 北海道に継承後は「湖畔駅」)があった場所だったみたいです。交叉点の右手前に「朱鞠内湖」の案内が出ていますが……
すぐ先が湖畔駅の跡地だったみたいです。


確かに湖畔のキャンプ場に向かうには、ここがもっとも近そうですね。国鉄もなかなか気の利いたことをしてくれたのだなぁ、と感心してしまいました。

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2021年7月29日木曜日

春の道北・船と車と鉄道で 2016 (150) 「添牛内こ線橋」

国道 239 号の「霧立峠」を越えて幌加内町に入りました。カントリーサインもぼんやりとしてしまって残念な感じですが、「412」の文字が見えますね。これは「-41.2 ℃」を記念したモニュメントのイラスト……でしょうか?
峠を越えるとコロッと天気が変わる場所もありますが、霧立峠の場合は……あまり変化は無さそうな感じですね。
「早雲内川」沿いの覆道ですが、川に面した側が割とオープンな構造になっていることもあってか、冷気が覆道の中まで立ち込めてしまっています。

意外とすぐに添牛内

「霧立峠」は苫前と幌加内町添牛内の間の峠ですが、苫前町に属する区間が 46 km 近くあるのに対し、霧立峠から幌加内町添牛内まではわずか 8.2 km ほどしかありません。Google さんも 8.2 km を約 8 分で走破できると言っていますが、そうか、50 km/h 制限は霧立峠まででしたね。
下り坂をすいすい~と走っているうちに、添牛内まであと 4 km となりました。
そして更に数分後……そろそろ添牛内でしょうか。

特殊車両の通行には特殊車両通行許可が必要です

幌加内町添牛内から北星までの約 1.8 km ほどの間は、国道 239 号と国道 275 号の重複区間となります。
霧立峠を通行止めにする際に使用するであろうゲートが見えてきました。上に道路情報表示板も見えますが、「特殊車両の通行には特殊車両通行許可が必要です」と出ていますね。どこかの大臣を思い出してしまいましたが、きっと「これは意外と知られていない」ということなんでしょうか……。

添牛内こ線橋

国道 239 号と国道 275 号の接続点は、どの方向に進んでも急カーブにならないように、デルタ線のような形をしています(この写真ではさっぱり何がなんだかわかりませんが)。
注目すべきは手前の橋の名前で、「添牛内こ線橋」とあります。かつての JR 深名線の上を跨いでいた橋なのですが、深名線の掘割を跨ぐ橋なので、特に撤去させることも無く今も健在です。
国道 239 号には「羽幌線」や「名寄本線」の跨線橋も残っていましたが、これらは跨線橋を撤去することで線形の向上が見込めるということで、どちらも撤去されたと記憶しています(名寄本線については残っているものもあったかもしれませんが)。

添牛内の交叉点の構造は、やはり上から見るのが一番わかりやすいですね。

雨竜川を渡る

右折して南に向かえば幌加内町の中心部に行けますが、左折して北(東)に向かうことにしました。士別・朱鞠内方面に向かうことになります。まぁ左折したところで景色が変わるわけでもありませんが……(汗)。
国道は東(やや東北東?)に向きを変えて、雨竜川を渡ります。

青看板の罠

このまま国道 239 号を直進すると士別に向かうことになります。左折して国道 275 号に入ると朱鞠内湖の近くを経由して美深方面に向かうことになるのですが、またしても左折して朱鞠内湖方面に向かうことにしました。
「朱鞠内湖まで 12 km」という看板が立っているのですが、左折するのはここではありません(!)。
ストリートビューで見るとこんな感じなんですが、青看板の直後に左折できそうな交叉点があるので、「えっ」と思ってしまいますよね。


左折すべきは 80 m ほど先にある、もう少し広い交叉点です。

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2021年7月28日水曜日

春の道北・船と車と鉄道で 2016 (149) 「霧平トンネルから霧立峠へ」

道道 742 号「霧立小平線」の「霧平トンネル」に入ります。そう言えばこのタイミングで写真を撮影することはあまり無かったですね……。

旧道は破壊済み

偶然 Google Map を開いていて気づいたのですが、今から十数年前に「霧平トンネル」が開通する前は、普通に峠道があったのですね。


この「旧道区間」の入口にはゲートがあり、中に入れないようになっていますが、


一部の区間では既に路盤が切り崩されて、もう道路としての形をとどめていないみたいですね。旧道が現道に崩されているというのは割と珍しいような気もしますが……。

ここから苫前町

「霧平トンネル」は苫前側の出口に近いところでゆるく右にカーブしています。そう言えば「霧平トンネル」ってどう読むんでしょうね(何を今更)。
出口が見えてきました。このサビのような色合いのものは……普通にサビなんでしょうか?
トンネルを抜けると苫前町ですが、カントリーサインらしきものが見当たりませんし、そう言えば「苫前町」という案内もありませんね……?
旧道区間の入口にあるゲートです。割としっかりした構造のゲートで、当然ながらちゃんと施錠されています。

気温は下がり、視界は悪化し……

ここからは国道 239 号に向かって走るのみなんですが、更に視界が悪くなってきたような……。外気温センサーは 8 ℃ を指しているのですが、朝 9 時の滝川市内では 17 ℃ あったので、結構な差がありますね。
視界は更に悪化の一途をたどり……(汗)
慎重に車を走らせて、国道 239 号との交叉点にたどり着きました。ここが道道 742 号の起点で、通行止めの際に使用するゲートも見えます。

霧立峠

右折して、霧立峠経由で幌加内町添牛内に向かいます。
国道 239 号に入っても、相変わらずの視界の悪さですが……
右に左にとカーブを抜けているうちに、右側に駐車場が見えてきました。ということは……
ここが霧立峠の最高地点ですね! 見事にピントが合っていないのはお約束、ということで……。
霧立峠を越えると幌加内町に入ります。最近、霧立峠では二輪車の事故が続発しているようですので、ライダーの皆さんはどうぞご安全に……。

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2021年7月27日火曜日

春の道北・船と車と鉄道で 2016 (148) 「小平しべ湖」

小平おびら達布たっぷ」には、1941 年から 1967 年まで「天塩炭礦鉄道」の終点である「達布駅」がありました。炭鉱鉄道の終点ということは運炭設備があったということで……
道路脇には巨大なホッパーも見えます。それにしても、もうちょっと天気が良ければなぁ……。

ホッパーの脇を通過して、更に奥へと進んでゆくと……。やがて前方にトンネルが見えてきます。
これ、実は右側に「小平おびらダム」が見えている……筈なんですが、さっぱり何がなんだか状態ですよね……。

小平ダムを一気に渡る「滝見大橋」

小平ダムも「恵岱別ダム」と同じく、堰堤の近くはトンネルで抜ける構造です。
トンネルを抜けて「小天狗橋」を渡ると……
ダム湖の真ん中を一気に渡る「滝見大橋」が見えてきます。
それにしても、この区間を一気に橋で越えようという設計はなかなか天晴ですよね。ダム湖のほぼ真ん中に島があるのを完全に無視したのは何故だろう……という疑問も出てきますが。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ダム湖を一気にショートカットする「滝見大橋」は、なんと途中から右にカーブする構造です。

小平しべ湖駐車公園

橋を渡った先には「小平しべ湖駐車公園」があります。あっ、また「駐車公園」ですね。
ダムの名前は「小平ダム」ですが、川の名前は「小平蘂おびらしべ川」です。「小平蘂」の「蘂」が難読だということでひらがなにしたのでしょうが、一歩間違えると「小平レベ湖」と誤読されそうな感じも……。
またしても、湿り気を帯びた空気が残雪によって冷やされたか、もやがかかったようになってきました。涼しそうなのは良いのですが……。

この先 通り抜けできません。

そう言えば、この道路は道道 126 号「小平幌加内線」なんですが……
実は、小平と幌加内の間は未開通で、道路そのものが存在しません。
ただ、すんごく幸いなことに、道道 742 号「霧立小平線」で国道 239 号に出ることができます。国道 239 号の「霧立峠」を越えることで幌加内町添牛内に出ることができるので、遠回りすれば幌加内町の中心部にも一応出ることができる、ということになりますね。
ちなみにこの道道 742 号、国道 232 号が何らかの事情で使えなくなった場合は、小平町と苫前町を結ぶ最後の幹線道路ということになります(道道 1049 号「苫前小平線」には未開通区間があり通行不可のため)。
ダム湖の先にも農地が広がっていて、なんと農場もあるようです。

道道 742 号「霧立小平線」

道道 742 号「霧立小平線」は下手な国道(!)よりもよく整備されていて、とても走りやすい道です。国道 239 号まではあと 10 km とのこと。
前方にトンネルが見えてきました。
「霧立峠」と「小平町」を結ぶ道道 742 号「霧立小平線」のトンネルは「霧平トンネル」という名前のようです。道道 742 号が認定されたのは 1972 年のことだそうですが、このトンネルはもっと新しそうに見えます。
https://www.itogumi.co.jp/trackrecord/civil-engineering-detail.php?eid=00307&cat1=00002 によると「施工年/月」は 1999 年 3 月と出ているので、2016 年時点では「完成して十数年」と言ったところでしょうか。

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