2023年3月26日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1024) 「婦羅理川・ヒキウス川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

婦羅理川(ふらり──)

hura-ruy-moy?
臭い・甚だしい・湾
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
根室歯舞の集落の西側、マッカヨウ岬とヒキウス岬の間の湾状の海に注ぐ川です。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「フラルムイ」という名前の川が描かれています。

明治時代の地形図には、漢字で「婦羅理」と描かれています(「婦羅理村」を意味する)。また地名としては「フラリ」、川名として「フラリモイ」と描かれています。現在の「マッカヨウ岬」の位置に「フラリモイ崎」と描かれているのは以前の記事でも記した通りです。

陸軍図では歯舞村の「婦羅理」と描かれていて、1980 年代の土地利用図でも「婦羅理」と描かれていますが、現在は「根室市歯舞二丁目」という扱いのようで、「婦羅理」は川名として残るのみのようです。

「初航蝦夷日誌」(1850) には「フラルヱモヱ」と記録されています。また戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     フラリムイ
此処小石磯え昆布多く寄り上りて腐りたり。よつて其臭甚しきによつて号るなり。フラリは悪臭の事、ムイは湾にて、悪臭の有る湾と云儀なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.585 より引用)※ 原文ママ
……。なんとなく予感はありましたが、やはりそう来ましたか。永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Hurari moi   フラリ モイ   臭氣灣 昆布腐リテ臭氣アル灣ナリ○婦羅理村
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.362 より引用)
うーむ……。もう逃げ道は無いかと思ったのですが、更科源蔵さんが次のような助け舟を出していました。

 婦羅理(ふらり)
 根室ノサップヘ行く途中の部落。アイヌ語のフラル・モイであるという。フラルは靄のことであるが、これまでの地名解では湾内に昆布が流れよっと腐り、臭気が甚だしいので「くさい入江」と名付けたという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.275 より引用)
そうなんですよね。「におい」を意味するのは hura であって、hurar だと「靄(もや)」を意味することになるので、hurar-moy であれば「靄・湾」とも読める筈です。

となると「初航蝦夷日誌」の「フラルヱモヱ」は hurar-e-moy で「靄・食べる・湾」とかでしょうか。地形の関係で靄が流れ込むような湾だったのかな……と考えたくなります。

ただ、「フラルヱモヱ」は hura-ruy-moy で「臭い・甚だしい・湾」と捉えることもできそうです。松浦武四郎も永田方正も「臭い」と記録していて、やや異なる形で記録されている「再航蝦夷日誌」(1850) の解もこう解釈できることを考えると、やはり逃げ道は無さそうな感じです。

ヒキウス川

siki-us-i?
鬼茅・多くある・ところ
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
根室歯舞と根室市双沖ふたおきの境界あたりに「ヒキウス沼」という海跡湖があります。この沼には「ヒキウス川」が注いでいるほか、同名の岬(ヒキウス岬)が沼の南東に存在します。「ヒキウス岬」の近くには「引臼」という名前の四等三角点(標高 12.6 m)もあります。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「ヒキウス沼」のあたりに「シキウシ」と描かれています。「初航蝦夷日誌」(1850) にも「シキウシ」とあり、戊午日誌 (1859-1863) 「東部能都之也布誌」には次のように記されていました。

また小石原のより(寄り)昆布の多き処をしばし行て
     シキウシ
本名シ(ニ)ウシのよし。シニは休むと云、シキと云時は荷物の事也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.584 より引用)
「シキウシ」は本当は「シニウシ」で、sini-us-i で「休む・いつもする・ところ」ではないかとのこと。「シキと云時は荷物の事」とありますが、これは sike-us-i で「荷を負う・いつもする・ところ」でしょうか。 sike-us-i で「荷物・多くある・ところ」とも読めますが、これは流石に意味不明な感じが……(もっとも「いつも荷を負うところ」も割と意味不明ですが)。

実はまだ続きもありまして……

また一説には、山の片平に二ツ大なる穴有るが眼の如きと云によつて号ると云へり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.584 より引用)
これは sik-us-i で「目・ある・ところ」と考えたのでしょうか。イマジネーション溢れる珍説が次々と飛び出していますが、永田地名解 (1891) を見てみると……

Shiki ushi   シキ ウシ   鬼茅多キ處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.362 より引用)
普通はこう考えますよね。「キウ」も siki-us-i で「鬼茅・多くある・ところ」で良いと思うのですが……(白老町の「敷生」と似た地名ではないかと)。

おまけ「ヒキウス岬」

ちなみに、「ヒキウス沼」の南東に「ヒキウス岬」がありますが、ここは「東西蝦夷山川地理取調図」では「フンヘケウニ」と描かれています。明治時代の地形図にも「フㇺペケウウニ」とあり、これは humpe-kew-un-i で「クジラ・骨・ある・ところ」と読めそうです。クジラの死体が漂着してその骨が残ったことがあったのでしょうね。

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