2025年8月23日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1272) 「メナブト・ルート川・オショロベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

メナブト

menas-kot-pet??
東・窪地・川
(?? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
向別川を遡ると「目名太橋」のあたりで二手に分かれていて、右側(東側)の支流が「メナブト川」です。「メナブト」はメナブト川を遡ったあたりの地名(通称かも)です。

北海道実測切図』(1895 頃) には「メナコㇷ゚ルイ」という名前の川が描かれています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では「メナコヒレ」と描かれているように見えます。

戊午日誌 (1859-1863) 「牟古辺都誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     メナコビ(レ)
右の方相応の川也。其名義は不解也。此川すじ鯇・鱒の二種有。源はホロヘツのケハウの山に至るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.442 より引用)
頭註には次のように記されているのですが……

mena 細流川
ko  に向って
pur  出水
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.442 より引用)
うーん、何となく違和感が……(「感覚」で評価するのはいかがなものか……という話もありますが)。

北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

(通称)メナブト 向別川は上向別地区で,メナ川と本沢 2 つの枝流となる。メナ川は数㌖余だが,ここにも川沿いに水田が多い。メナ川の川口の意の地名。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.577 より引用)
まぁ、普通はそうなりますよね。mena-putu で「たまり水・その口」と解釈できるでしょうか。

かなり強引な試案ですが

色々と可能性を考えてみましたが、まず mena から疑ってかかりたいところです。前述の通りメナブト川は向別川と二岐になっていて、*どちらかと言えば*「東」側に位置しているように思われるので、mena ではなく menas だったのでは無いかと……。

あとは「コビシ」あるいは「コビレ」、「コㇷ゚ルイ」をどう捉えるかですが、案外 menas-kot-pet で「東・窪地・川」とかだったりして……。「向別」が mo-kot-pet だとしたら、menas-kot-pet は「東向別川」だった可能性すら出てきそうな……。

まぁ、この考え方だと「実測切図」の「コㇷ゚ルイ」を完全に切り捨てることになるのですが、petpe-ru と解したとか……(かなり無理矢理感が)。ただ悪くないところもあって、-pet-putu に化けたと考えることもできたりして……。

ルート川

ru-turasi-pet
道・それに沿って上がる・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
向別川の上流には「浦河ダム」があるのですが、ダムの 1.5 km ほど手前で「ルート川」が向別川に合流しています。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には何故かそれらしい川が見当たりませんが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「ルートラシペッ」と描かれていました。

戊午日誌 (1859-1863) 「牟古辺都誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ルウトラシヘツ
左りの方中川なり。其名義は昔し此川すじよりウラカワえ山越有りしによつて号るものなり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.442-443 より引用)※ 原文ママ
ru-turasi-pet で「道・それに沿って登る・川」と見て良さそうですね。「路」に沿った川が「ルート川」というのも、なかなか出来過ぎのような……。

オショロベツ川

o-so-oro-pet?
河口・滝・のところ・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浦河ダムのダム湖である「うらら湖」の北で向別川に合流する北支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「オシヨロペッ」と描かれていました。

戊午日誌 (1859-1863) 「牟古辺都誌」には次のように記されていました。

またしばしを過て
     ヲシヨルヘツ
左りの方相応の川也。此川上滝有るよりして此名有る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.443 より引用)
うーむ、これはどう考えれば良いのでしょうか。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲシヨマヘツ」という川が描かれていて、これであれば o-so-oma-pet で「河口・滝・そこにある・川」と読めそうなので、「ヲシヨルヘツ」であれば o-so-oro-pet で「河口・滝・のところ・川」あたりでしょうか……?

永田地名解 (1891) にもちょっと気になる記述がありました。

O-sar'u nai   オサル ナイ   茅ノ川尻
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.278 より引用)
「ムㇰオペッ川筋」(向別川筋)のどこか、おそらく最も上流部に「オサル ナイ」という川がある……としています。

不思議なことに『東西蝦夷山川地理取調図』には「ヲシヨマヘツ」という川が描かれていて、これとは別に元浦川筋に「ヲサルンナイ」という川がある……としていますが、この「ヲサルンナイ」の所在は不明です。永田地名解では、元浦川筋に「オサルン ナイ」があり、向別川筋に「オサル ナイ」があった……ということになりますね。

ただ永田地名解を精読してみると、「ムㇰオペッ川筋」の川は水源部から海に向かった順で並んでいるように見えますし、河口に近いところに「オサルナイ」が存在していました。そのためこの「オサル ナイ」は「オショロベツ川」とは無関係と見て良さそうです。

「オショロベツ川」には河口部に so と呼ばれるような落差(や水中のかくれ岩)があったとは考えづらいのですが、o-so-oro-pet で「河口・滝・のところ・川」と考えるしか無さそうな感じですね。o- は無条件に「河口(に)」とすることが多いのですが、「そこに」と捉えるべきなんでしょうか……?

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