2008年8月31日日曜日

北海道の旅 2008/夏 (14) 「どうでもいいことに限ってすぐ気がつく」

越川橋梁は夏以外が良い

ちょいと遅くなったものの、「越川橋梁」を見ることができて満足でした。ただ、思った以上に周りの木々が鬱蒼としていたのは計算外でした。もっと橋の全貌が見渡せると思っていたのですが、季節を選ぶようですね(秋口あたり?)。

さて、Day 3 はウトロの「ホテル知床」に宿を取ったので、ウトロに向けて急ぎます。途中で「オシンコシンの滝」という、ちょっとした景勝地があるのですが、国道 334 号線はその脇を「オシンコシントンネル」で通り抜けています。

どうでもいいことに限ってすぐ気がつく

ここで、重大なことに気づいたのでした。これって、今日初めてのトンネルだな、と。稚内から 8 時間近く、距離にして 440km ほど。ひとつもトンネルが無かったのですね。

本当は、国道 238 号の「北オホーツクトンネル」があったのでした。ただ、気まぐれでトンネルを通らずに、旧道を抜けてきた経緯は、8/27 の記事に書いた通りです。

その「オシンコシントンネル」を抜けると、7km ほどでウトロの中心地です。ナビの言うままに、推奨ルートを辿ってみたところ、なぜか最後はダート(未舗装路)に誘導されましたが……。18 時過ぎに「ホテル知床」に到着です。

翌朝、明るくなってからの写真ですが……。
かなり巨大な温泉旅館でした。

土産屋さんの副業

大勢の宿泊客でごった返す中、フロントでチェックインすると、「部屋までご案内します」とのありがたい申し出が。ただ、ホテルのボーイさんのような洗練された動きではなく、いかにも慣れていない雰囲気がありありと……。話を聞いてみると、本職は土産物を売っている売店の店員さんなんだとか。増築に増築を重ねたホテルで、宿泊客が迷わないように、純粋に「部屋まで道案内」をしてくれた、というのが真相のようです。

面白いのが、従業員のネームプレートに「○○出身」と書かれていることで……。エレベーターですれ違った女性従業員は「三重県出身」でした。学生さんのバイトなんでしょうね、きっと。

明日(Day 4)の予定

ウトロは知床半島へのベースキャンプとなるところで、「知床五湖」や「知床峠」へは車で行くことができますが、かの「知床岬」には、そもそも道路が通じていない、という理由で、行くことができません。仕方が無いので、事前に観光船を予約しておきました。二十数人乗りの小型クルーザーです。

クルーザーの出発は 9:30 で、クルーザー屋さんからは「9 時には店に来てください」と言われていたので、日付が変わる前に床についたのでした。

何が悲しくて、知床の温泉旅館でサーバサイジングをせにゃあならんのか……(←
あ、噂通り PHS は圏外でした。:-)

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2008年8月30日土曜日

北海道の旅 2008/夏 (13) 「列車の止まる道の駅&越川橋梁」

列車の止まる道の駅

またしても昼食を取るチャンスを逃したと思しきわたくし。と思いきや、前方に道の駅「葉菜野花(はなやか)小清水」なるものが見えてきました。ここは、「道の駅」と言いながら、列車も止まる面白いところです(いや、単に「浜小清水駅」と隣り合ってるだけですけどね)。

てなわけで、意気揚々と道の駅「葉菜野花(はなやか)小清水」に向かいました。中にはうどん屋さんが……。うどんなら、脂っこくないのでベストです。

昼食のご利用は計画的に

さっそく注文を……と思ったのですが、カウンターに人気(ひとけ)がありません。よーく見ると、何か札が吊してあります。曰く、「本日は仕込みが無くなったので営業を終了しました」とか(……。

確かに、もう 15 時半なんですけどね。一足どころか相当遅かったのかも知れません。今日も昼食は無しになりそうな予感……。

「道の駅」の隣にラーメン屋さんはあったので、そこに行っても良かったんですけど、胃腸への負担を考えて、ちょっと脂っこいものは避けたかったので……。

結局、道の駅の駐車場に車を止めて、3~40 分ほどメールチェックしてました。会社で支給されていた PHS が EMOBILE に化けて久しいのですが、個人持ちの PHS を持っていたのが、久々に役に立ちました。

越川橋梁

メールチェック後、国道 244 号を斜里(しゃり)に向かいます。斜里の中心部からウトロには、ウトロから知床を横断して羅臼(らうす)に至る、国道 334 号線を進むのですが、この時点で 17 時ちょい前。越川に寄り道する時間があると言えばあります。というか、この機会を逃せば、次にいつ来ることができるかわからないので、これは行くしかないかな、と腹を据えました。

というわけで、行ってきました「第一幾品川橋梁」。
きれいなアーチ型のコンクリート橋なんですが、途中で切れています。これは、まさに手前に写っている国道 244 号を通すために、わざわざ一部分だけ壊したから、なのだそうです。何となくもったいない気もしますが、逆に風情があるようにも思えます。

文化財なんですね

ちゃんと案内板もあります。なんせ「登録有形文化財」だそうですから。
この通称「越川橋梁」は、案内板にもありますが、太平洋戦争期に工事が行われた関係で、いわゆる「タコ部屋労働」と呼ばれる、過酷な強制労働の舞台となったと言われます。しかも、「人柱」が埋まっているとの言い伝えもあるとか……。

伝説

タコ部屋労働が行われたとされる越川橋梁には、人柱が埋められているといわれている。テレビ局が番組で実際に調査したところピアのコンクリート内部にそれらしき空洞があったという。
(Wikipedia 日本語版「越川橋梁」より引用)

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2008年8月29日金曜日

北海道の旅 2008/夏 (12) 「君はプリンスホテルを見たか」

興部(おこっぺ)から渚滑(しょこつ……これも読みづらいですよね)に抜けて、ほどなく紋別に辿り着きました。渚滑から紋別にかけては、国道 238 号もバイパスが整備されているので、街中は通らずじまいでした。今から思えばちょっと惜しいことをしたような気がします。

紋別プリンスホテル」の看板を良く見かけたのですが、これって西武系列の「プリンスホテル」とは関係無い、のですよね?

Day 2 では昼食を食べそこねたので、Day 3 こそはそろそろ昼食を……ということで、「道の駅」が見つかったので、そこに立ち寄ることにしました。「オホーツク流氷科学センター」なるものも併設されているようです。わくわく。

……月曜日は休館日でした(←

結局、トイレに寄っただけで、先を急ぐことにしました(←←

サロマ湖・能取湖・網走湖

オホーツク紋別空港の脇を通り抜けると、ほどなく湧別(ゆうべつ)に辿り着きます。さらに常呂(ところ)に向けて進むと、左手にサロマ湖が見えてきます。サロマ湖は日本最大の汽水湖……だったと思う……けどどうでしたっけ。あ、合ってますね。
でも、こうやって見ただけでは、ふつーの海と何ら違いがわからないです。

カーリングで有名常呂(ところ)を通りすぎ、能取湖のほとりをぐるっと回って先に進みます。こちらは能取湖の写真です。
ちょっとした丘を越えると、今度は右手に網走湖が見えてきます。サロマ湖や能取湖と比べてマイナーな網走湖ですが、意外と美しいですよ。写真は撮れずじまいでしたが……。

網走はやはり大都市だった、が……

そのままだらだらと走っていると、網走の街に入ります。有名な「網走刑務所」の前をあっさりと通り過ぎ、先を急ぎます。

地図を見て気づいたんですが、網走駅はちょっと変なところにありますね。かつての湧網線との接続の関係もあったのかも知れませんが、微妙に町外れ(刑務所寄り)に位置しています。

今日は盆明けの月曜日(8/18)。ふつーの人は仕事を再開しているわけで、そろそろメールが溜まっている筈……と思って、「どこかで昼食でも食べながらメールをチェックしよう」と思い始めました。網走市内にはファミレスのヴィクトリアとかミスドとかがあったので、そこに寄れば良かったんですが、つい通り過ぎてしまって、気がつけば濤沸湖畔の「原生花園駅」近辺に……。こんなところにレストランやファストフード店がある筈も無く、己の不明を恥じたのでした(笑)。

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2008年8月28日木曜日

北海道の旅 2008/夏 (11) 「興部をアイヌ語で読み解く」

富士山麓には雄武は無かった

国鉄興浜北線の終点だった枝幸から、国鉄興浜南線の終点だった雄武(おうむ)に入って、これまた「思ったよりは大きな街だな」との印象を抱きつつ、ひたすら網走に向けて走り続けました。こーんな、快適な道を……。
そういえば、北海道はやたらと道路工事が多い印象を受けましたが、これは、雇用の創出という側面もさることながら、「冬場から春にかけては工事のやりようが無い」というのが正解……なんでしょうか。

遊び心も大切です

ま、小難しい話は置いといて、工事現場でみかけたちょいと和むものを。
こいつは「蛙」バージョンですね。他にも「猿」バージョンもあります。
別になーんてことは無いのですが、お茶目ですよね。

興部(おこっぺ)

雄武から、かつて国鉄興浜南線と名寄本線が合流していた興部(おこっぺ)に辿り着きました。興部は、かつては「難読駅名」の代表格として有名?だった印象がありますが、盲腸線だった興浜南線はともかく、仮にも「本線」だった名寄本線まで廃止されてしまい、駅そのものが無くなってしまいました。

かつての国鉄の「本線」が全線廃止されたのは、確か名寄本線だけだったと記憶しています。

などと思い出しながら書いていますが、車で走った分にはこれといった特色も無く、実は、単に通り過ぎただけです(笑)。罪滅ぼし(?)に、少し地名の由来について書いてみましょうか。

興部をアイヌ語で読み解く

Wikipedia には、次のようにあります。

町名の由来は、アイヌ語の「オウコッペ」(川尻の合流しているところ)から。
(Wikipedia 日本語版「興部町」から引用)。

確かに、興部川は、海に注ぎ込む直前に別の川と合流していますが……。これが由来なんでしょうかね。

こんな時こそ知里真志保氏の畢生の大作「地名アイヌ語小辞典」をちぇけら!ということで……。

o-u-kot-pe オうコッペ 二つの川が川尻で合流しているものを云う。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」より引用)
あ、そのまんまですね。ただ、続けて、より詳しい説明もあります。

[o(陰部〔が〕)u-(おたがい)kot(〔に〕くっついている)-pe(者)]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」より引用)
んー、なんだか凄い話になってますよ?

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2008年8月27日水曜日

北海道の旅 2008/夏 (10) 「神威岬と北見枝幸」

猿払村を抜け、浜頓別の街に入ります。国道 238 号は、浜頓別の街中を左折して海側に進むのですが、町並みが広々としているせいか、都市の中心部っぽくない印象がありました。日本離れした、とも言えますね。

怪しい築堤

さて、頓別川を渡り、まさに海沿いを進んでいると、山肌が迫ってきます。その麓には、不自然に勾配の少ない築堤の跡が……。いかにも鉄道の跡っぽいですね。
そういえば、浜頓別から、これから向かう北見枝幸までの間には、かつて国鉄の興浜北線が走っていたのでした。おそらく、その跡なんでしょうね。

神威岬

国道 238 号は、まっすぐ南東に向かって延びています。やがて、「北オホーツクトンネル」なる、比較的新しそうなトンネルが見えてきました。見た感じ、旧道が残っていそうだったので、旧道を進んでみることにしました。

「北オホーツクトンネル」でバイパスしていたのは、神威岬でした。ちゃんと灯台もあります。
正式名称は「北見神威岬灯台」と言うようですね。立派な案内板も用意されていました。「記事」の部分が消されている理由はちょっとわかりませんが……。
ここもまさに、灯台と国道(旧道)の間に、かつての興浜北線が通っていたようです。灯台への坂道を歩いて登ると、踏切跡と思しきところがありました。写真は枝幸方向です。

「西條」ふたたび

興浜北線の終点は「北見枝幸駅」でした。枝幸町にも、かの「西條」があるのですが、枝幸店は、1 階建てで広々とした、これまた今風のスーパーでした。「○武」ではなく「○友」かな、といった雰囲気です。

で、その「西條」の向い側がバスターミナルになっていて、その 90 度向かいに「北見枝幸駅跡」がありました。文章では位置関係が良くわからないと思うので、地図もつけておきますね。
赤い道路が、かつての興浜北線の跡地です。

北見枝幸駅跡

「北見枝幸駅跡」の写真です。
実際に行ってみて初めて理解できたのですが、枝幸町は宗谷支庁内で 2 番目に大きい町なんですね(浜頓別や豊富より大きい)。なので、天北線経由で浜頓別から鉄道が敷設されたのも理解できますし、美深から枝幸まで鉄道を敷設しようとした(途中の仁宇布まで完成したのが、かの「美幸線」)のも、決して荒唐無稽なことではなく、それなりには意味のあることだった、とわかりました。

まぁ、現地に行かなくても、国勢調査のデータとかである程度はわかる話ですけどね。ただ、町並みとか活力のようなものは、やっぱ実際に行ってみるのが手っ取り早いということも、改めて実感できました。

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2008年8月26日火曜日

北海道の旅 2008/夏 (9) 「キタキツネと謎の柵はご苦労さまです(←」

Магазин

まず、稚内のとあるお店が出していたロシア語(ですよね)の看板を。
Магазин は、日本語では「お店」という意味みたいですね(そのまんま)。どう発音するかは、さすがにさっぱりわかりません(笑)。

キタキツネとの邂逅

豊富バイパスの入り口から北東に折れて、内陸部を鬼志別に向けて走っていた時のこと。昨日の国道 238 号線に引き続き、今日もキタキツネと遭遇! 慌てて車を止めて、ダメモトでケータイを構えてみると……。
全然逃げようとする気配がありません。しかも、車に近寄ろうとする始末。人を恐れていない、というか、人に懐いている風すら感じられます。
窓を開けて、写真を撮り直してもこの通り。完全に懐いてしまってますね、こりゃ。不覚にも、何かエサをあげたい誘惑にかられましたが、持ち合わせがなかったので(というか、そもそも何をやったらいいのかわからない)、そのまま逃げるように走り去りました(←

足場……じゃない筈です

道内のあちこちで見かけた、見るからに頑丈そうなこの柵。これはいったい何でしょうか。
家畜や動物の飛び出しを防止するための柵なのか、「雪捨て場」として使用するための柵なのか(除雪作業で排出された雪が、再度道路に崩れてこないように)、あるいは、吹雪から道路を守るための柵なのか。このうちどれかだと思うんですが……。どなたか教えてくださいませ。

ヒッチコックもびっくり

ちなみに、こういった写真を撮ってる間もそうなんですが、本州ではあまり見かけない、虫の大群に悩まされました。
これは、単なる蠅っぽいですが、もうちょっと大きな虫も、やたら飛んでいましたね……。

ご苦労さま

猿払村には、自衛隊の演習場があるみたいです。村にとっては貴重な収入源だからか、こんな看板もあちこちで見かけました。
イデオロギーがどうとか、そういったものを度外視して、お客様を歓迎する心構えは清々しいですね。目上に対する言葉じゃないですけど(←

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2008年8月25日月曜日

北海道の旅 2008/夏 (8) 「ずうぅぅぅっっとオホーツク海沿い」

セルフ・コントロール

セルフのガソリンスタンドってありますよね。私、どうもセルフって今ひとつ好きになれないんです。確かに無駄が無くていいとは思うんですが、セルフじゃないほうが、店員さんとのふれあい(笑)が多くて楽しいですし、何よりも、多少なりとも雇用を創出しているじゃないですか。間違った考え方のような気がしてならないですが、んまぁ、セルフじゃないスタンドが好きですよ、ってことで。

なので、稚内でも、セルフじゃないスタンドを選んで入ってみました。すると、出てきたおねーさんが「当店の仕組みをご存じですか?」と聞いてきました。窓拭きとかが別料金っぽいことは想像ができたのですが、改めて説明してもらったところ、「給油のみ」と「給油+窓拭きなど」のどちらかを選ぶ必要があるとの由。どちらも別途料金が必要(窓拭き込みで \210 だったかな?)なのですが、その代わりリッター単価は近所のセルフと合わせているとのこと。

なかなかいいアイディアだと思いませんか? 全国的に普及してほしいなと、真剣に思っています。

Day 3 のルート

さて、月曜日(Day 3)のルートはこちらです。約 440 km のリエゾンもういい)で、ドライブプランを考えた当初は、一番無理のあるルートだと思ってました。

すべて一般道で 440 km ですから、仮に、朝の 10 時にスタートしたとして、平均 60 km/h をキープできたとしても 7 時間以上かかるわけです。今日こそ昼ご飯を食べるヒマは無さそうです。

今日も地図を用意しました……。さすがに縮小をかけざるを得ませんが(苦笑)。Day 3 のゴールは、世界遺産・知床の玄関口、斜里町ウトロ(宇登呂)です。
宗谷岬は、前日に回っているので回避して、鬼志別(おにしべつ)までは内陸部を走ります。鬼志別(猿払村)から浜頓別(はまとんべつ)、枝幸(えさし)、雄武(おうむ)、興部(おこっぺ)、紋別(もんべつ)、湧別(ゆうべつ)と、ずうぅぅぅっっとオホーツク海沿いを進みます。

サロマ湖能取湖網走湖を経て網走に入り、原生花園駅の近所を抜けて小清水そして斜里に至ります。斜里から少し寄り道をして、越川橋梁こと第一幾品川橋梁を見に行くオプショナルプランもあります。

何かの間違いで、かなり時間が余りそうであれば、摩周湖と屈斜路湖でも見に行くか、という目論見もありました。

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2008年8月24日日曜日

北海道の旅 2008/夏 (7) 「緊張の夏、国境の夏」

作り物のレトロ

察しのめちゃくちゃ良い方はお気づきかもしれませんが、音威子府でそばを食べそびれ(店がめっちゃ混んでた)、そのまま昼食抜きで夕食時に突入してしまいました。

ホテルでの夕食というのもありきたりなので(というか高そう(笑))、稚内の街に繰り出してみることにしました。そういや途中にイタ飯屋があったよな、と。

稚内港には、港の中の港というか、「副港」というものがあるようで、その副港沿いに「稚内副港市場」という、集合店舗がありました。昭和 30 年代ごろの町並みを再現した内装は、まぁ、良くも悪くも今風のつくりです。

ピンボール台ではありません

観光客(わたし)の目を引いたのは、やっぱり樺太(現在のサハリン)についてのオブジェですね。北方四島とは違って、ハナっから領有権を放棄していることもあり、ふつーの人はほとんど関心を持ってないと思いますが……。
そうそう。夕食の話でした。イタ飯の看板に吸い寄せられてやってきたのですが、離れの「ロシア料理」の店に少し気を引かれつつ、最終的にはにぎり寿司を食べてきました。いや、港だし、イタ飯よりは魚のほうがいいかなぁという、単純な発想なんですけどね。

セゾンカードを愛用している私ですが

夕食の後、少し気になっていたお店に寄ってみました。
西條」というお店です。間違えても「○武」ではないので要注意です。

いや、Wikipedia の記事にも、「西武百貨店」「西武ライオンズ」「セゾングループ」が「関連項目」にあるんですよね。シャレ、かな?

「西條」(百貨店っぽいですが、厳密には「百貨店」とは呼べないのだとか)稚内店を覗いてみたのですが、地方都市(稚内に限った話ではないです)にあって 19 時半というのは、もう「店じまいの時間」なので、あっさりと撤退して、ホテルに戻ることにしました。

緊張の夏、国境の夏

翌朝、前日から気になっていた写真をパチリ(死語)と。
このキリール文字は……。ロシア語ですね。さすが日露国境の町といった感じですね。

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2008年8月23日土曜日

北海道の旅 2008/夏 (6) 「北防波堤ドーム」

とりあえず北の果て

日曜日(Day 2)は、札幌から稚内まで、400 km 強のリエゾンで(いや、スペシャルステージがある訳無いですけど)、びみょうに時間があったので(予定通りとも)、宗谷岬まで足を伸ばしてみました。

あ、無駄にでかいですがルート図をご用意しました。おおよその位置関係を掴んでいただけましたら幸いです。(21) が音威子府、(29) が天塩(町)です。(29) から (30) の間が、かの「萌える天北……」に当たります。
とりあえず日本最北端っぽい地(択捉島が日本領だとすると、カモイワッカ岬が最北端になるので)の写真です。右のおじさんはまったく知らない人です(笑)。
宗谷岬に着いたのが 16 時 20 分頃。まだ、ちょいと時間があるので、猿払村(さるふつむら)まで行ってみました。途中、野生のキタキツネを見かけました……。

北防波堤ドーム

猿払某所には 30 分ほど滞在して、その後、慌てて稚内に戻って、全日空ホテルに直行しました。広い敷地の一部は駐車場になっていますが、駐車場から北防波堤ドームが見えます。
稚内全日空ホテルのまわりは、やたらと不自然なくらい広々としているので、きっと何かの跡地にホテルが立っているのだと推測しますが、何の跡地かまではちょいとわかりません。ただ、北防波堤ドームが、かつての稚泊連絡船への乗り継ぎのために作られたということを考えると、国鉄(当時)の施設か、港湾施設用地だったと考えるのが自然なんでしょうね。

地図がバカでかいので、今日はこの辺で(笑)。

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2008年8月22日金曜日

北海道の旅 2008/夏 (5) 「平坦で茫洋とした風景の中に現れる正義の騎士(ちと違う」

まずは訃報から

AS Roma の会長だった、フランチェスコ・センシがお亡くなりになったとか(享年 82 歳)。こうなると、次はカルロ・マッ……(こらこら

平坦で茫洋とした風景の中に現れる正義の騎士(ちと違う

てなわけでノシャップ岬からお届けします(違う)。あ、その前に「萌える天北オロロンルート」からの、利尻島の遠望をご覧に入れます。
それにしても、道道 106 号稚内天塩線の紹介文「平坦で茫洋とした風景の中に現れる利尻富士は感動ものです」は、なかなかの名文ですね。「茫洋」なんて言葉、生まれてこの方使ったことがありません。

ノシャップ岬は……。意外と開けたところで、ちょっとした観光地になっていました。
超逆光の、最悪な写真ですね(笑)。ご覧の通り、結構な数の観光客が来ていました。

イー・モバイルは圏外かも知れないけれど(未確認

230 度ほど「まわれ右」をすると、自衛隊のレーダーサイトが見えてきます。
サハリン沖での大韓航空機撃墜事件(1983 年 9 月 1 日未明)の際に大活躍したであろう施設群です。サハリンとは目と鼻の先、実際にサハリンの山々が肉眼で目視できるくらいの場所ですから、電波傍受も行っている筈です。

サハリンの島影は、写真にも収めたんですが、ちょーっとうっすらぼんやりとしちゃってます。

北の果てで南極越冬隊に思いを馳せる

ちょいと面白いのが、岬のはずれにひっそりと存在している「稚内市青少年科学館」の、さらにその別館になる「南極越冬隊資料展示コーナー」で……。越冬基地の建物が展示してあったり、アザラシ?の剥製が置いてあったり。
壁面には映画南極物語」で一躍有名になった樺太犬「タロ」と「ジロ」(日本の南極越冬隊に帯同するも、越冬隊は荒天に阻まれ撤退を余儀なくされ、南極に置き去りにされた)についての新聞記事スクラップが展示されていたりします。映画の予告編風の見出しがいい感じです。

この時点で 15 時半ごろ。まだチェックインには時間があるので、予定通り宗谷岬に向かったのでした。

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2008年8月21日木曜日

北海道の旅 2008/夏 (4) 「いつもと同じ程度に回ってました」

テンポ苦戦

音威子府の駅も、御多分に洩れず「交通ターミナル」になっていました。ここは、かつての「宗谷本線」で、いつしか「テンポ苦戦」、じゃなくて「天北線」というローカル線に格下げされて、挙句の果てに廃止されてしまった路線が分岐していた駅でした。

こうやって書いてみると、随分と悲惨な目に逢った路線ですね。
その、天北線の転換バスの乗り場も見えます。マークを見る限り、東急グループの会社のようですね。本数は怖くて確認できませんでした(←

かつてはもっと大きな駅だったのでしょうが

ホームはこんな感じです。蒸気機関車を模したオブジェがありますね。後ろの貨車と思しきところが、椅子になっているのでしょう、たぶん。
天北線が分岐していたであろう方向も撮っておきました。

斯くして昼食は遠ざかった

音威子府には「道の駅」もあり、そばを食べさせてくれるレストランが営業中だったのですが、お盆休みの日曜日とあってか、もの凄い混みようでした。なんとなーく、客が苛立っているような雰囲気を感じたので、そそくさと立ち去ることにしました(笑)。

日頃ではありえない客の入りということで、相当バックオーダーが溜まっていたのだと推測しました。あくまで推測ですけどね。

いつもと同じ程度に回ってました

音威子府からは、中頓別・浜頓別経由(旧・天北線沿い)の国道 275 号と、天塩川沿いに稚内に至る国道 40 号が分岐していますが、そのまま 40 号ルートを選択し北上しました。ただ、幌延のちょいと手前で、40 号線からは離れて、天塩川に沿って南西の天塩町に向かいました。

天塩町からは、サロベツ原野と日本海の間をまっっっっっすぐに突っ切る道路があるので、そこを突っ走って、まずはノシャップ(野寒布)岬に向かうことにしました。
あ、この道路、道道 106 号稚内天塩線と言いますが、萌える天北オロロンルートの一部分、です。いや、それにしても凄いネーミングですね。道路萌え(笑)。

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2008年8月20日水曜日

北海道の旅 2008/夏 (3) 「道央道に日本のアウトバーンを(ちょっとだけ)見た」

日曜日の午前中は、道央道を旭川方面に向けて走っていました。意外とみんなスピードを出さないのね、と思いながら追越し車線を走っていたところ、気がつけば真後ろにメルセデスさんが張り付いているではありませんか(笑)。「うっへー」と思いながら、あわてて走行車線に戻ると、メルセデスさんはべらぼうなスピードでかっ飛んでいきました(推定 180 km/h くらい?)

え、てめーはどうなんだって? わたしゃもう安全運転ですよ。:-)

かっとびメルセデスさん、再び

ナビには「宗谷岬」を行き先に登録していたのですが、ナビさんのお薦めは、深川から留萌経由のルートとのこと。確かに留萌にも萌えますが(ぉ)、名寄に寄ってみたかったので、ナビさんの意向は一切無視して、そのまま旭川方面に直進しました。

道央道は、どうも深川から先は設計速度が低いらしく、制限速度が 80 km/h になりました。あわてて巡航速度を落として、周りを見渡してみたところ……、追越し車線をもの凄い勢いで近づいてくる車が……! なんのことはない、さっきのメルセデスさんでした(笑)。かっ飛びぶりは相変わらずで、またしても「ばきゅーん」と抜き去って行きました(推定 180 km/h くらい?)。つまり、メルセデスさんは、どっかの SA か PA で道草を喰っていた、ということですね。:-)

需要と供給

旭川鷹栖 IC だったかを過ぎたあたりで、ついに片側 1 車線になりましたが、それ以上に交通量の減少が顕著で、片側 1 車線でじゅーぶんだな、と思わせるのにじゅーぶんでした。

道央道の北端(終点)となる、士別剣淵 IC で下り、その後は国道 40 号線を、ひたすら北上します。士別の街を通り過ぎ、名寄に入ります。

名寄の見所は季節限定

名寄の街はこんなところです。
つまり、この季節は見るべき所が無いと(←こら

無料開放中の名寄バイパスは、思ったよりは交通量が多かったです。

金を失う道=鉄道

美深駅は、小ぎれいな駅舎でした。てっぺんの「美幸の鐘」は、川中美幸とは関係なく(そりゃそうだろうよ)、かつて美深から仁宇布(にうぷ)までを結んでいた、「日本一の赤字線」こと「美幸線」を偲ぶ鐘、なのだそうです。確かに美幸線は金を食いつぶし放題でしたからね……(←
美深の街は、名寄よりもむしろ元気な印象がありました。こぢんまりとした、いい街です。

テストに出ます

その後も国道 40 号線を北上し続け、音威子府につきました。音威子府は「おといねっぷ」と読みます。次のテストに出ますから覚えておきましょう(たぶん出ません)。

微妙にだらだらしてきたので、続きは後ほど……。

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2008年8月19日火曜日

北海道の旅 2008/夏 (2) 「インプレッサさん@札幌、衝撃の登場」

なんかお祭りやってました

今は釧路なんですが、いつまでも船の話をしてもしょうがないので……。細かい話はまた今度にして、ここまでの大まかなルートを書いておきます。いや、珍しく夕食時にワインなんか飲んじゃったものだから、眠くて眠くて……(←

上陸後のできごと

まず、8/16(土) ですが、苫小牧東 FT に上陸後、日高道厚真 IC に直行しました。日高道(暫定無料開放中)を西にひとっ走りして、苫小牧東 IC から道央道に入り、一路札幌を目指しました。

周りの車のペースが上がらないのをいぶかしく思いつつ、道央道を北上しました。ナビは北広島 IC での流出を指示しましたが、「そりゃねーだろ」との勝手な判断で流出は却下、そのまま北上し続けました。

次は札幌南 IC ですが、「確か、そんな名前の IC じゃなかったような気がする」との勝手な思い込みで、そのまま本線に残り、結局、北郷 IC で流出したのですが……。結論から言えば、事前に想定していたルートは、札幌南 IC で流出するルートだったのでした(北郷だと、ちょいと北に行きすぎ)。

インプレッサさん、衝撃の登場

「菊水」という地名に、北海道らしからぬ違和感を感じて、「後で由来を調べよう」と思いながら北 1 条雁来通を西に向かいました。途中、大通東 13 の交差点(東橋からやってくる国道 12 号との合流点)で信号待ちをしていたところ、コーナリング出口で軽くテールスライドしながら立ち上がっていくインプレッサを発見(笑)。さすがは今年度 Rally Japan の開催地、街行く車も気合いの入り方が違います。

次の信号待ちで、「テールスライドさん」の横に並んだので、ちらっと覗いてみると、ちゃんとロールバーが装着されています(笑)。そういえば、北海道では郵便配達のおっちゃんが 2 輪で雪道をテールスライドしながら走っていく、という都市伝説を聞いたことがあったな、と改めて思い起こしたのでした。全車ロールケージ装着も当たり前なのかもしれません(まさか)。教習所では HANS の装着も教えるのかもしれません(んなわけない)。

思いっきり話が逸れますが、HANS って、やっぱ効果はかなりあるそうですね。いっぱんじんが HANS を装着すれば、追突されたときのむち打ちが軽減されそうな気がしますが、装着感が最悪だ、なんて話も耳にするので、まぁ、あり得ないでしょうね。全車ロールケージ+ヘルメット+HANS 必須、なんて世の中は、ちと困ります(笑)。

そう言えば、インプレッサさんの後ろについたグロリアさんだったかな、あからさまに近寄るのを避けてました(笑)。立ち上がりでホイールスピンすることはあるかも知れないけれど、いきなり後ろに下がったりは、さすがにあり得ないのに、ねぇ。

札樽道の真実

とまぁ、そんな元気の良いクルマも目にしながら、札幌の某ホテルに向かったのでした。翌朝は、とりあえずガソリンを満タンにして、道央道・札幌 IC から、旭川方面に向けて出発したのでした。

そうそう、インプレッサさんのインパクトに押されて忘れていましたが、「札樽道」が「さっそんどう」だったことに初めて気づきました。いや、ずーっと「さったるどう」だとばかり……。言われてみれば、「さったる」って重箱読みですもんね。うーむ。

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2008年8月18日月曜日

新日本海フェリー「すいせん」特等 乗船記(つづき)

今は稚内にいるんですが、いやいやこれがまた……。もの凄い掘り出し物を掘り出しましたので(意味が重なった文章の例)、後ほどご紹介しますね。

その前に、もう少し「すいせん」について。新日本海フェリーのページを見ると、雰囲気が掴めると思います。リンク先は「すずらん」のページですが、気にしてはいけません。船の中身は同じですので。

あ、1996 年就航でしたか……。それなりに古いんですね。小樽・舞鶴航路の「はまなす」「あかしあ」のほうが新しいみたいです。

パブリックスペース

スイートと特等船室、そしてビデオシアターがある 5 階から見た階段です。4 階左の扉は、レストランの入り口です。
朝食はレストランでバイキング形式。特に変わったところはありませんが、トレイの表面が滑り止め加工されていました。さすがです。

揺れについて

ただ、揺れに関しては、飛行機や列車・バスの比では無いです。客室は、ちょうどエンジンの真上あたりにあたるのか(煙突?の直下っぽいような)、ディーゼルエンジン特有の振動がずーっと続くのですが、飛行機なんかで顕著な、突如やってくる「ガクン!」というような揺れは皆無です。

ヨーダンパが利いてるな、と思わせる、かなり長い周期の横揺れはありましたが……。そうそう、横 G がかかると微妙にきしみ音が出ます。どちらも慣れれば何てことはないですし、実際すぐに慣れました。

10:14 頃に、姉妹船の「すずらん」とすれ違いました。船体中央からディーゼルエンジンの黒煙がもくもくと立ちのぼっています。都内では航行できないかもしれません(笑)。
自動車のディーゼルエンジンは軽油を使いますが、鉄道なんかだと重油ですね。フェリーも、多分重油なのかな、と想像していますが……。

パブリックスペース(つづき)

船体後方の甲板(4 階相当)に出てみました。緊急時に使用するシュータの乗船口が見えます。そういえばそんな名前の野球選手が居たような(←
航海速力 29.4 ノットは、時速にすると約 57 km/h。なぁんてこと無い速度に思えますが、実際に見てみるとこれが結構速いです。さすが「高速船」ですね……。

ほぼ丸一日の航海ですからね

ちなみに、写真を撮るのを忘れましたが、プールは無い代わりに、後方甲板の中央にはジャグジーがあります。水着着用必須とのこと。

あと、サウナもありました。これも同じく水着着用必須とのことで、水着のレンタルもできるとのこと。

ほかには、レンタル DVD の視聴ブースと、エアーホッケー、そして卓球台がありました。どれも温泉旅館の基本アイテムですね(笑)。

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2008年8月17日日曜日

新日本海フェリー「すいせん」特等 乗船記

フェリーと言えば Bryan Ferry であったり Roxy Music だったりするのですが……(←

既報(どんなだ)の通り、新日本海フェリーに乗って北海道にやってきました(!)。生まれて二度目の北海道だったりするのですが、前回は日帰りだったので、ま、実質初めてみたいなもんです。

「すいせん」は「水栓」に非ず

乗船したのは、新日本海フェリーの「すいせん」です。どんな船かと言うと、こんな船です。
うわ、おそろしく下手くそな写真ですね(苦笑)。

客室(← 手を抜いた題名の例

部屋は、ちとワケアリで奮発して「特等船室」にしました。
下手なビジネスホテルのツインルームと変わらないです。ただ、テレビ(SHARP の AQUOS だったような……)の画面にはこんなものが……。
飛行機でもおなじみ、救命胴衣の付け方ビデオです。イージス艦か氷山にでもぶつからない限り、使用することは無いかなぁ、と、使わずに済むことをさりげなく期待しながら(どんなだ)、音量を絞ってみました(←
エアコンを切ったクルマの中で 2 時間近く待っていたこともあって、エアコンが効いた船内はめっちゃ快適……! エアコンはダイキン製で、うちのオフィスにあるのと同型のスイッチでした。うん、船の中とは思えんな。

お風呂兼トイレ(←

お風呂兼トイレはこんな感じ。
見たところ、良くあるユニットバスのようにも思えますが、壁の下 1/3 くらいと床面がタイル張りなのが目を引きます。とはいえ、建造されてからまだそんなに経っていない(まだ 10 年未満じゃなかったかな?)船なので、古くささは感じません。
さりげなくトイレは TOTO のウォシュレットですし、水栓も混合タイプ。SHARP だったりダイキンだったり、メジャーブランド揃いなのが凄いなぁ、と妙な感心をしていたのですが、混合水栓は聞いたことのないブランドのものでした。もしかしたら海外のメーカーなのかもしれませんね。使い勝手は凄く良かったですよ。

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2008年8月16日土曜日

北海道の旅 2008/夏 (1) 「動く寝床(ちょいと豪華かも)」

旅立ちの夜

というわけで、これから旅に出ます(ぉ)。とりあえず、今日の寝床をちょっぴりお見せしますと……。
まぁ、ちょいとしたビジネスホテルっぽい雰囲気がありありと出てますが、実はこの部屋が動くらしいのですよ(笑)。19 時間ほどかけて 1,000 km ほど。スペック上は 30 ノット弱出るらしいので、km/h に換算すると、50 km/h をちょいと超えるくらいですね。

今後の予定

明日……じゃなくて、今日、か。20:30 頃に苫小牧東 FT に上陸の予定です。:) その後は札幌、稚内、知床(ウトロ)、釧路、帯広、函館、仙台に立ち寄る予定となってます。ナッチャン Rera にも乗る予定です(^^)

昨日の戦果

あ、ちなみに昨日は「抱徳煬和」をコンプしてきました(謎)。

これだとワケがわかりませんね。徳山ダム(岐阜県)の工事に伴う付け替え道路(国道 417 号線)のトンネルの入り口に、たとえば「抱徳煬和」のような含蓄のある言葉が添えられているのですが、改めてそれを全部見てきた、ということです。

どこかに一覧があると思っていたのですが、ググっても見つからないので、再訪した、ということですね。これについても、後ほど記事にした……い……なぁ……。

では後ほど

そうそう、このポストですが、フェリーの中から PHS 経由です(爆)。まだターミナルに停泊中ですが、さすがに EMOBILE はダメでしたので。それでは、短いですがこの辺で。おなか減った……(←

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2008年8月13日水曜日

Bojan のホテル探訪~「エルイン京都」編

ちょいと理由(と書いて「ワケ」と読む)があり、京都に泊まることになったので、「今度こそグランヴィアに泊まるぞぉ」と思って探したものの……残念ながらちょいとお高い部屋しか残っていないようで。

仕方がないので(と書くと大変失礼ですね(笑))、こちらの「エルイン京都」さんのお世話になることにしました。他に「新・都ホテル」「ホテル京阪」という選択肢もあったんですけど、どっちも使ったことがあったので。

この「得る印僑と」じゃなくって「エルイン京都」さん、関西電力グループのホテルだったんですね……。ご覧の通り、こぎれいな(良くあるタイプの)シングルルームに案内されました。もちろん、ベルボーイのお兄さんが案内してくれたわけではありません(金額的にあり得ないですものね)。
液晶テレビと、荷物置き場……でしょうか。ちょっとしたデスク代わりにも使えそうです。
もちろん、このような立派なデスクも用意されています。
液晶テレビとデスクは、このような位置関係にあります。テレビが右側、デスクがベッドを挟んで左側です。
これも良くある話ですが、イーサネットの口はテレビ側にあります。デスクに PC を置いたとすると、かなり長めの LAN ケーブルが必要になっちゃうのですね。

というわけで、ちゃんと用意されていました(笑)。
備え付けのイーサネットケーブルを使用した状態ですw
せっかくのイスも台無しです(笑)。

一応、バス・トイレの写真も。
リモコンタイプのウォシュレット《商標名》はポイント高いです。

まとめ

1 階がすかいらーくで、竹田街道に面していることを考えると、遮音性も悪くなく、落ち着けるホテルでした。お値段相応以上の価値はあるんじゃないでしょうかね。お高くとまっているわけでも無いけれど、おっとりとした、とでも言うのか、落ち着いた印象がありました。

星の数は、文句なしの星二つ「★★・」を進呈します。二つ半もアリかな? と思わせました。

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