2011年6月30日木曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (139) 「地形から来るエネルギーがどーのこーの……」

「三航北国日誌」第 139 回です。本日は、せめぎあうエネルギーとその波動を具現化したモニュメントについてご紹介します(一応合ってるんだけど……)。

脇野沢ターミナルをウロウロ

下北半島の脇野沢から、陸奥湾を横断して津軽半島の蟹田に向かおうとしています。「むつ湾フェリー」の乗船手続きは無事終わったので、ちょっと近くをウロウロしてみましょう。
写真を撮るのを失念していたのですが、このフェリーターミナル兼待合室には、売店や食堂もあったりします。とりあえず売店を冷やかして、続いて食堂を覗いてみたのですが、かなり満席に近い状態だったので、中に入るのは断念したのでした。お昼ご飯にまだありつけてないけれど、まぁいいか!

「原子力船『むつ』消失事件」!

で、待合室の中には……
こんな案内があったり。そう、ここは「むつ市」。「むつ」と言えば、「原子力船『むつ』消失事件」……! って、あ、あれは小説だったか(←)。まぁ、消失事件の虚実はさておき、この「むつ科学技術館」に行けば、原子炉が見られるのだそうです。ポスター曰く「世界でただ一つ、ここだけよ!」なのだとか。「一つ」という単語を「ここ」で受けるのがどうにも気に入りませんが……(そういう問題ではない)。

「死者はまだ眠れない」!

あと、海ならではのこんなチラシも。
いやー、「死者はまだ眠れない」の世界ですね! あ、あれも小説だったか……(←

さて、あれはなんだ?

このまま待合室でじーっとしているのも面白くないので、ちょっと外をほっつき歩いてみましょう。待合室からちょいとばかし歩いて、
ふと右手を見てみると……
何やら妙なオブジェが。何なんでしょうねぇ、これ?

ちょうど良いところに案内図がありました。
ふむふむ、どうやらここは「竜神広場」というのだそうです。

地形から来るエネルギーがどーのこーの

由来も書いてありました。
どれどれ……。

 脇野沢村の海の玄関口であるこの竜神広場は、海・山・里に挟まれた、約 7,000 ㎡ の広場であるが、それぞれの地形からくるエネルギーがぶつかり合う場所として気持ちの良い緊張感を醸し出している。広場のデザインは、この周囲とのバランスと空間の特徴を形として表現したものである。

……ですか。わたくし、一応ちょいとばかしは京都人なもので、風水とかは割とすんなりと是認できるのですが、ちょっとこいつは……うーむ……といった感じです(←

スタンバイ OK !

さて。そろそろ出航 30 分前です。
とりあえず、いつでも乗船できるように、車内でスタンバイしましょう。
それにしても、摂氏 37 度って……暑っっ!!

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2011年6月29日水曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (138) 「わきのさわ、逆から読むと、わさのきわ」

「三航北国日誌」第 138 回です。早起きは三文の徳、早着は……誰得?(←

わきのさわ、逆から読むと、わさのきわ(意味なし)

「遅くとも 13 時までに脇野沢に……」というミッションで走り始めたわけですが、その甲斐あってか 12:15 頃には「『道の駅』わきのさわ」が見えてきました。……あれ? 早すぎ??(←
その後 5 分ほど走行すると、脇野沢の中心部に到着です。
立派な神社も見えます。
ふと思ったんですが、神社と寺の比率って、西日本と東日本(あるいは北日本)で違ったりするのでしょうか。北海道は大々的な開拓が明治から昭和にかけて行われたので例外扱いでいいと思うのですが、たとえば東北とかはどうなんでしょう。

目の前に 600 トン級

などと訳の分からない疑問を考えている間に 2 回ほど右に曲がると……
おお、何やらいきなり見えてきましたよ! もうちょい寄ってみますと……
おおー。津軽海峡フェリーの「ばあゆ」は 1,500 トン級の船でしたが、これは更に小さいように見えます。えーと……おおっ、総トン数は 611 トンなのだそうです!
今まであちこち(と言っても 6 航路くらいですが)のフェリーに乗船してきましたが、これは飛び抜けて小さいですね。これより小さかったのは尾道の渡し船くらいですが、あれはちょっと別格でしょうし……。

乗船手続き……完了!

では、車を停めて、料金の支払いと乗船手続きに行きましょう。
「むつ湾フェリー」は、輸送能力がそれほど大きくないので、事前に予約をお願いしているようでした。残念ながらインターネットで予約をする仕組みは無いようなので、旅行に出る前に電話しておいたんですよねー。電話口の向こうからは、朴訥としたおじさんの声が聞こえてきました。

売り場は……意外と(といったら失礼にあたるのですが)賑わってました。
やはり、夏休みシーズンだからですかね。

「予約しておりました○○です」で話は完了。車検証などを提出して、乗船手続き完了です。

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2011年6月28日火曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (137) 「To be, or not to be: that's like a rolling stone」

「三航北国日誌」第 137 回です。仏の顔も三度まで、だったかどうかは神のみそ汁ですね(意味不明)。

Like a Rolling Stone...

それは、青森県は下北半島西部の「仏ヶ浦」のあたりを走行していた時のことでした……。路上を闊歩するニホンザルを見かけていらい、前方の路面を食い入るように注視しながらのドライビングを続けていた私の視界に、こんなものが飛び込んできたのでした。
こちら、拡大しますと……
ぼやけていて見えづらいですが、今度こそ本物の落石です。

To be, or not to be: that is the question.

このタイミングで取り得るアクションは二つ、でした(実際には「もう一つの解」もあったのですが)。一つは落石の右側をすり抜けるというもの、もう一つはスローダウンした上で落石の上を跨いで走行する、というものでした。前者は道路の幅と現在の位置から考えて「確実ではない」と判断したため、後者の「ゆっくり上を通り過ぎる」という判断を一瞬で決断して、およそ 10 km/h 程度に急減速の上、そろーりと落石の上を跨いだその瞬間!

ガコっ! グコっ! ゴゴっ!

という、いやーな音を発して通り過ぎました……。ちなみに「ガコっ」はボンネット下のあたりから、「グコっ」は運転席直下あたりから、「ゴゴっ」は後方から聞こえてきました……。そう、落石に車体の底がついてしまったのです。orz

Everything was flashing in front of me...

当然のことながら一瞬にして血の気が引きます。万が一、自走不能になったりしたら、「むつ湾フェリー」に乗船できないどころか、家に帰ることすらままなりません。それどころか、ロードサービスを呼ぼうとしても、ソフトバンクの電波が入るか、という問題まで出てきます。

その後しばらくは生きた心地がしなかったのですが、幸いなことに運転する上では特に問題は無いようでした。念のために路肩に車を停めて、オイル漏れの痕跡などが無いかもチェックしましたが、異常は見当たらないようでした。

Here I was...

ちなみに、この辺です(←


底を擦った後で気がついたんですが、「石の横を走り抜ける」「石の上を跨ぐ」という選択肢の他に、「石を排除してから進む」という方法があったな、と……。orz まぁ、ここでの痛い経験は、その後ちゃんと活かされることになります(何のことやら)。

Green, Green, Green !

冷や汗をかきながら、再び脇野沢に向けて車を走らせます。
まっすぐ進むと「むつ市」中心部までショートカットする県道になってしまいます。脇野沢に向かう国道はここで右折です。
こういった急なカーブがあると「ああ、ここは北海道じゃ無いのだなぁ」と思わせますが、
青森の道も悪くないものです。

A Road with a View

右手に見えるのが津軽半島で、手前に見える海が陸奥湾ですね。これからこの海をフェリーで渡ることになります。

Deux Cent Six

こんな所でプジョー仲間発見。206 は以前乗っていたんですが、ボディの剛性は高いですしエンジンも元気良くて、とてもいい車でした。手放してしまったのが今でも惜しまれます……。

Now I'm Here...

そうして……。とうとう脇野沢のすぐ近くにやってきました。
このペースだと、12:30 過ぎには脇野沢のフェリーターミナルに到着できそうです。いやー、結果的には余裕で間に合いましたね。もうちょっとのんびり走っても良かったかも知れないなぁ……。

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2011年6月27日月曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (136) 「万物の霊長たるものも、ついうっかり……」

「三航北国日誌」第 136 回です。本日は、万物の霊長たるもの、注意深くあらねば怪我するぜ☆、というお話です。

ターマックラリーはまだまだ続く

はい。というわけで(6/24 の記事参照)脇野沢に向けて国道 337 号を急ぎます!

途中、センターラインが無くなったり、
夜間や荒天などで視界が悪かったらすんごく危ないだろうな、と思わせるような場所を通ったり、
片側交互通行の刑を喰らったり
しながらも、めげずに脇野沢を目指します。

モンキーマァージック♪

やがて、佐井村の「仏ヶ浦」のあたりに到着します。
またしても、センターラインが無いような道路になってしまったのですが、うわ、巨大な落石が……!
と思ったのですが、よーく見ると、何と……
お猿さんのようでした。ニホンザル、なんでしょうかねぇ。ここでキタキツネやエゾシカではなくニホンザルが出てくる時点で、「あぁ、本州だなぁ」と感じてしまいます。

ちなみにこのニホンザルですが、世界でもっとも北に生息している霊長類(人類除く)なのだそうです。日本って、至上もっとも南に位置する都市で冬季オリンピックを開催したかと思えば、今度は世界一北に生息するサルがいたり、なかなかバラエティ豊かですよねぇ。

次回作にご期待下さい!(←

そして、そんなサルを脇目に見つつ、前方の路面に集中しながら車を運転していた私の視界に飛び込んできたものが……!
以下、次号に続く(←

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2011年6月26日日曜日

TM NETWORK の先進性を検証する

企画、あたためますか?

週末のルーチンワークだった「──傾向と対策」の 2nd Stage が無事?終了したので、さて何を書こうかと。「イザベラ・バードの日本奥地紀行を読む」というネタを暖めていたりするのですが、まだ下準備が終わっていない(当分かかるかも)ので、どうしよーかなー、と。

ということで、とりあえず「変な写真」特集で場を繋ぎます(←

剣先?

まずはこちらの写真から。
一見、ふつーのトラックのように見えなくもないですが、よーく見るとなかなか凝っています。
矢崎総業の「新型タコグラフ取付車」は良く見かけるのですが、「旧型イカグラフ」というのはあまり見ませんねぇ。しかも YAZAKI ではなく KENSAKI なのだそうです。

EXITHING !

続いては……随分前から気になっていたお店があるんですが、こちらです。
はい、どこからどう見てもパチンコ屋さんなんですが、この "EXITHING" はどう読めばいいんでしょう? いぐじっしんぐ、でしょうか? あまり耳にしない言葉です。

このネオンサイン、もしかしたらもう無くなっているかも知れません。先日近くを通りかかったときに確認できなかったので。

AKB だの STN だのは二十年遅い!

続いては、鶴川の「武相荘」に行った時に見かけたものなのですが……
自民党の掲示板なんですが、右側のポスターに TAMA NETWORK と書いてある……ような気がします。まさかこんなところで TM NETWORK の起源に巡り会えるとは思っていなかったので感激ひとしおです。

ユニット名の「TM」はメンバーが住んでいたと同時に、音楽活動を始めたホームタウンとも言える東京都多摩地域の「多摩」 (TaMa) がその由来である。小室哲哉がChicagoのように、多摩という地域名を略語化したTMとして入れたいと拘ったのであった。
(Wikipedia 日本語版「TM NETWORK」より引用)
とゆーわけですから、AKB だの STN などは二十年は遅れている、ということになりますね。しかし、

ユニット名の由来があまりパッとしないという理由で、レコード会社・事務所からユニット名の再検討が行なわれ、「メロー・イエロー」、「ピーカーブー」、「スロー・ダンサー」、「ジェニファー・ジェニファー」などの案が出るがどれも採用されず、最終的にユニット名として「TM NETWORK」の「TM」は、公式には「タイムマシン」(Time Machine)の略という事になった。よって、「TM」は「多摩」と「Time Machine」のダブルミーニングとなっていると考えられる。
(Wikipedia 日本語版「TM NETWORK」より引用)
はい、この文章をご覧の皆さん。吹き出すのをこらえるのはあまり健康的じゃあ無いですから、思う存分吹き出してあげてくださいね!

本当の由来は1994年まで公にされなかった(TMデビュー頃までを書いた『電気じかけの予言者たち』にて公表)。また、「NETWORK」の部分に関しては木根尚登の考案で、語呂はメン・アット・ワークからヒントを得たという。
(Wikipedia 日本語版「TM NETWORK」より引用)
なるほど。どうやら「電撃ネットワーク」は関係なかったようですね(←

  • 小室はTMNリニューアルの際、「本当は『TM-Internet-work』にしたかった」という。だが「インターネットという言葉はまだこの時代には時期尚早すぎる」という小室の判断により没になった。
(Wikipedia 日本語版「TM NETWORK」より引用)
だったら JU Network あたりにしておけば……。:) ちなみにわたくし、「JUNET 利用の手引」は読んだことがございません。

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2011年6月25日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (59) 「汐首岬・志海苔・立待岬・函館」

えー……。ついに 2nd Stage も本日で無事最終回を迎えられそうです。ちなみに 3rd Stage の取材が既に終わっていたりして、制作快調だったりします(←)。……これ、全然最終回っぽくないな。

汐首岬(しおくびみさき)

sir-pok
山・の下
(典拠あり、類型あり)
渡島半島の東側(通称:亀田半島)の最南端が「汐首岬」です。ちょっと由来がわからないので、「角川──」を見てみましょうか。

古くは汐くび・塩くびなどとも書いた。渡島(おしま)地方南部,亀田半島の南沿岸部。地名はアイヌ語のシリポクに由来し,「山下」を意味する(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.633 より引用)
やけにあっさりしているので「本当かな?」とも思ったのですが、山田秀三さんの「北海道の地名」を見ても大差ない記載しかないので、この通りだと考えるしか他無さそうですね。sir-pok で「山・の下」といったところです。

志海苔町(しのり──)

ukaw-sirar
重なり合う・岩
(典拠あり、類型あり)
函館空港のあるあたりの地名です。函館空港と言えば、奥さんに日頃の生活環境の劣悪さを散々詰られたことにブチ切れたベレンコ中尉がミグを飛ばしてやってきた所として有名なところですね(←

では、これも同じように「角──」を見てみましょう(略しすぎ)。

古くは志濃利・志苔・紫海苔などとも書いた。渡島(おしま)地方南部,津軽海峡沿岸の志海苔川流域。地名は,アイヌ語のウカウシラリ(重なる岩の意)のシラリが転化したもの(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.655 より引用)
山田秀三さんのセカンドオピニオン?もほぼ同様でした。うーん、この辺は永田翁の「──地名解」しかソースが無いのかも知れませんね。ukaw-sirar で「重なり合う・岩」といった意味のようです。ちなみに sirar は単なる「岩」ではなく、「海の岩」というニュアンスがあるようです。

立待岬(たちまちみさき)

pi-us-i?
小石・多くある・所
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
函館山の麓、東端にある岬です。ここの名前はちょいとしたミステリーだったりするのですが、今回も「──」から(←

「たちまちざき」ともいった。函館市の南端,函館山の東にある岬。岬名はアイヌ語のピウシ(岩上で魚を待ちヤスで捕る処の意)に由来するといい,更科源蔵の「アイヌ語地名解」ではピウシは「石のある処」の意とする。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.836 より引用)
一目で明らかなように、説明になってません(笑)。仮に「岩上で魚を待ちヤスで捕る処」だったとしても、それがなぜ「立待」なのかがわかりません。更に言えば、pi-us-i は更科源蔵さんの言う通りで「小石・多くある・所」でしかなく、「魚を待ちヤスで捕る処」とは解せないのですね。

ところが、永田方正翁は「──地名解」の中で pi-us-i に似た地名を「立待」としたことが何度かありました(すいません。さすがにカウントはしていないのですが)。何らかの意味があったのにそれが失われたのか、あるいは永田翁の勘違いなのか、真相は藪の中です。

函館(はこだて)

us-oro-kes
湾・内・末端
(典拠あり、類型あり)
2nd Stage のトリを飾るのは、やはりこの地名しか無いでしょう! ということで……。またしても「─」から引用してみましょう(←←

渡島(おしま)地方南部,亀田半島基部。函館の古名は宇須岸(うすけし)といい(福山秘府/新撰北海道史5),臼岸とも書いた。宇須岸は湾の端を意味するアイヌ語のウショロケシ(北海道蝦夷語地名解),あるいは海潮を受ける飛島の意味のウショムケモシリに由来するという(蝦夷実地検考録/函館市史資料1)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1154 より引用)
えっと、us-oro-kes で「湾・内・末端」ですね。で、oro が中略されて us-kes になった、と……。あるいは……え、なんだこれ……。えーと、us-omke-mosir だと「湾・咳をする・島」となりますね。後者についてはかなり意味不明なので、もしかしたら酷い誤訳をしているかも知れません。

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2011年6月24日金曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (135) 「ツール・ド・北国 Day 6」

「三航北国日誌」第 135 回です。第 135 回です……はい(←

ツール・ド・北国の Day 6

えー、Day 6 は、大間に上陸して、陸奥湾の向い側の竜飛岬に行って、最後は雫石を目指す、という、かなりヘビーなスケジュールとなりました。なので、当初はこんなルートで考えていたのですが、
もっといいルートを見つけたので、そっちに鞍替えしたのでした。:) それは何と……じゃじゃーん!
脇野沢と蟹田を結ぶ、フェリー「かもしか」です! そう、実は「青函航路」を完全に横切る形で、こんなところにフェリーが航行されているのです。

この日二度目のタイムトライアル

津軽海峡フェリー「ばあゆ」の大間着が 10:50(予定)で、むつ湾フェリー「かもしか」の脇野沢発は 13:30、そしてその間は国道 338 号経由で約 72.4 km。地図を見る限りでは、この国道は相当な隘路のように見受けられます。出航 30 分前に脇野沢に到着するには、約 72 km を 2 時間で駆け抜けないといけません。

道路事情の良い北海道であれば余裕ですが、ここは青森、平均速度 36 km/h をキープするのは(もしかしたら)至難の業かも知れません。ただ、やるしかないです!(何だこの悲壮感は)

SS1 スタートっ

というわけで、「ツール・ド・北国」の SS1 がスタートです(←
最初は、とても快適なバイパスが続きます。
旧道は、もっと海沿いを通っていたのですが、「大間原発」の建設に伴って山手にバイパスが建設されました。これがそのバイパス道路ですね。

ここはコルスかサンレモか

ということなので、原発から遠ざかるにつれ、道路もこんな感じに。
集落の中に入ると、とうとうセンターラインが無くなる所も出てきます。
ペースカーに先導されるケースも……。
……うーむ、果たして本当に「むつ湾フェリー」の出港に間に合うんでしょうかっ!?

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2011年6月23日木曜日

北海道・東北の旅 2010/夏 (134) 「本州に再上陸!」

「三航北国日誌」第 134 回です。Day 6 は大間から再スタートです!

混沌とした甲板に戻る

無事、大間港に着岸したようなので、これから下船です。というわけで車両甲板に戻ります……。
どうでもいい話ですが、船舶業界では「甲板」は「こうはん」と発音するのがセオリーのようですね。呉音で「かんぱん」と読むのは今ひとつイケてないようです。

でも、こうやって見てみると、最後は搭載能力に余力を残していたようにも見えますね。手前の車なんか、こんなに頑張った角度で車を停めていたのに……。
これから自宅に戻ろうとする人が多いのか、首都圏近辺のナンバーが目立ちます。
ついさっきまでは大半が「札幌」だったり「函館」だったりしたんですけどね。

ツッコミ注意

ふと右のほうを見てみると……
おおお。「吸込み注意」とは何だか穏やかじゃないですね。エアダクトか何かでしょうか。

もっと光を!(←

車内で待つこと約 7 分。
明かりが見えてきました。まるでゲーテになったような気分です(違)。

さぁ、Day 6 はここから再スタートです!
ここまでの走行距離は約 1,717 km です。さてここからどれだけマイレージが伸びることになるのでしょうか?

ついに本州に再上陸!

いよいよ……
本州に再上陸です!

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