2011年6月19日日曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (58) 「尻岸内・日浦・戸井・瀬田来」

 

さて、こちらの連載?も函館まであともう少し……です!

尻岸内(しりきしない)

sir-kes-nay?
山・の下・沢
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
2004 年に函館市に編入されてしまった「恵山町」ですが、1985 年までは「尻岸内町」という名前でした。この「尻岸内」もやはりアイヌ語由来のようなのですが、どうやらその解釈には諸説あるようです。とりあえず「角川──」を見てみましょう。

地名の由来には,アイヌ語のシリキシラリ(模様のある岩の意)による説(蝦夷地名考并里程記),シリケスナイ(山の下を流れる川の意)による説(北海道蝦夷語地名解)がある。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.732 より引用)
簡潔にして要点をきちんと記した文章、いいですね。この「尻岸内」については、山田秀三さんも両論併記していましたので、どちらが……というには決定打に欠けるようです。とりあえず、両方をアルファベットに落としてみましょうか……。

えーと……、sirki-sirari で「模様・岩」になりますね(意外と簡単に見つかった)。もう一つのほうは sir-kes-nay で「山・の下・沢」ですね。後者のほうが地名としては良くある形ですし、尻岸内川の下流域は沖積平野状になっているので、sir-kes-nay でもしっくりと来るような気がします。個人的には sir-kes-nay をプッシュしたいところです。

日浦(ひうら)

hura-wen?
臭い・悪い
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
旧・恵山町の西部で、旧・戸井町に近いあたりの地名なのですが、あまりアイヌ語らしくない感じがします。松前藩が比較的早いタイミングで成立していたのも大きいのでしょうね。

さて、この「日浦」ですが、「角川──」に記述が見つかりましたので引用してみましょう。

渡島(おしま)地方東部で,北は渡島山地,東南は津軽海峡に面する。地名はアイヌ語のフラウエンに由来し,「海藻が浜辺に打ち寄せられて悪臭のする所」の意(尻岸内町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1203 より引用)
ふむふむ。hura-wen で「臭い・悪い」ということですね。「フーラ・ウェン」が「ヒウラ」になった、ということになりますが、もしかしたら「ヒラウ」が「ヒウラ」に音韻転倒したのかも知れません。面白い……と思うのは私だけかも知れませんが(←

戸井(とい)

chi-e-toy-pet
我ら・食べる・土・川
(典拠あり、類型あり)
かつての「戸井町」で、幻に終わった「国鉄戸井線」の終点となる予定だった所です。津軽海峡を望む要衝の地で、旧・日本軍はここに要塞を構築する予定だったとされますが、さほど工事が捗ることなく終戦を迎えてしまった、というオチだったと思います。遺構も探せば見つかるそうなのですが……。

引き続き「角川──」を見て行きましょう。

地名はアイヌ語で「喰土(珪藻土)ある所」の意のチエトイペッ,または「土川」の意のトヨイペッに由来するとも(北海道蝦夷語地名解),「土の有る」の意のトイヨイの略語トヨイに由来するともいわれる(蝦夷地名考并里程記)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.920 より引用)
えーと、chi-e-toy-pet で「我ら・食べる・土・川」ということですね。「『土を食べる』とはどういうことだ?」と訝る向きもあろうかと思いますが、これについては知里真志保さんの見解を見てみましょう。

chi-e-toy, -e【H】/-he【K】 チえトィ 食用ねんど; けいそおど(珪藻土)。カラフトでは「チかりぺ」 chikaripe と称する煮込み料理──北海道北東部で「レたㇱケㇷ゚」 retaskep,南西部で「ラたㇱケㇷ゚」 rataskep と称するものに当たる──があり,野草の根や果実などを主な材料にして作る特別な料理であるが,その中に調味料のつもりで獣食油と共にこの食用ねんどを少量入れるのである。地名ではただ「とィ」 toy とだけ云うこともある。[われら・食う・土]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.17 より引用)
ええええ……。事実は小説よりも奇なりと言いますか……。「チエトイ」を「食用土」とする解釈はいつも論争の種になるのですが、少なくとも知里さんは、少量ながらも土を食する習慣については認めていたわけですね……。

……本題に戻りましょう。別解?の「トヨイ」についてですが、これは toy-o-i あるいは toy-o-i-pet で「土・多くある・場所(・川)」ですね。いずれにせよ「珪藻土」あるいは「食用土」に由来する地名であることは間違いなさそうです。

瀬田来(せたらい)

seta-ray-pe?
犬・死ぬ・所
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
国鉄戸井線の遺構が残るあたりですが、その意味はと言いますと……。

地名はアイヌ語のセタライペに由来し,「犬死シタル所」を意味するという(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.785 より引用)
なるほど。seta-ray-pe で「犬・死ぬ・所」ではないか、ということですね。「こんな地名はアリなのか」というツッコミもあろうかと思いますが、実はアリです(←)。「犬が死んだ」「日本人が死んだ」といった地名は、意外と多く見つかるものです。

ただ、ちょっとだけ解せない記述もあるので、実は順序が前後しているのですが、引用しておきます。

古くはセタムイ・セタラともいい,セタライ・セタラ井・瀬田内などとも書いた。渡島(おしま)半島南部,亀田半島の南沿岸部。蓬内川をはさんで東が瀬田来,西が蓬内。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.785 より引用)
殆どが seta-ray(-pe) 説にマッチする内容なのですが、「セタムイ」だとすれば話が変わってきます。muy だと「簑」ですし、moy だと「静か(な入江)」といった意味にもなってきます。さて、実際はどうだったのでしょう……。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事