2014年10月12日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (220) 「仁倉・栄浦・鐺沸」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

仁倉(にくら)

nikur-an-pet
アザラシ・群在する・ところ
(典拠あり、類型あり)
佐呂間町東部、浜佐呂間にほど近いところの川名・地名です。かつて国鉄湧網線にも同名の駅がありました。ということで今回も「北海道駅名の起源」から。

  仁 倉(にくら)
所在地 (北見国)常呂郡佐呂間町
開 駅 昭和28年10月22日 (客)
起 源 アイヌ語の「ニクリ・アン・ペツ」(森林のある川)から転かしたもので、仁倉川から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.204 より引用)※「アン」の「ン」は小書き

ふーむ。nikur-an-pet で「林・ある・川」なんですね。-pet を下略して「ニクラ」になった、ということみたいです。

ちなみに、永田方正の「北海道蝦夷語地名解」にちょっと面白い註がついていたので、引用しておきますね。

Ni kur’a  ニ クラ  樹林 「ニクリアン」ノ急言「ニクラ」ハ墓所ノ義ナリト云フハ此處ニ墓所アルニ因テ附會シタルナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.409 より引用)
見たところ、インフォーマントから「『ニクラ』は墓地という意味だ」と聞いたものの、それはたまたま「ニクラ」に墓地があっただけだ、としています(正しい判断だったと思います)。

「北海道蝦夷語地名解」は、後に知里真志保によって「まさに血の出るような迷著である」とこき下ろされることになりますが、今回の永田方正さんはなかなかの「ぐっじょぶ」だったと言えそうですね。

栄浦(さかえうら)

to-ika-us-i
湖・越える・いつもする・ところ
(典拠あり、類型あり)
北見市常呂町(旧・常呂町)のサロマ湖畔に位置する集落の名前です。これは……和名でしょうね。というわけで、とりあえず「角川──」(略──)を見てみましょう。

 さかえうら 栄浦 <常呂町>
〔近代〕昭和16年~現在の行政字名。はじめ常呂(ところ)村,昭和25年からは常呂町の行政字。もとは常呂村大字常呂村の一部,国有未開地など。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.581 より引用)
「国有未開地」ですか……。明治期の地図には「鐺沸」(とーふつ)という大地名が記してあって、現在の「栄浦」に相当する場所の地名は記されていません。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のようにあります。

栄浦 さかえうら
 サロマ湖東北隅の辺は,前は鐺沸村であったが,今は常呂町大字栄浦である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.193 より引用)
ちょっと紛らわしいのですが、「鐺沸」という地名は、村名としては消えてしまったようですが、地名としては今でも栄浦の隣の地名として残っているようです。

明治30年5万分図はそこにニウシと書いているが,元来のニウシはもっと南で,ここは松浦氏登宇武津日誌の記録によればトイカウシと呼ばれた処らしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.193 より引用)
ふむふむ。現在の「栄浦」は、もともとは「トイカウシ」という地名だったようですね(東西蝦夷山川地理取調図にも「トイカウシ」とありました)。to-ika-us-i で「湖・越える・いつもする・ところ」という意味でしょう。

現在は「栄浦大橋」で簡単に渡ることができますが、もともとはここがサロマ湖の湖口だったので、「トイカウシ」で湖口を渡って向こう側の「ワッカ」方面に向かった、ということだったのでしょうね。

鐺沸(とうぶつ)

to-put
湖・口
(典拠あり、類型多数)
現在の「常呂町栄浦」のあたりのかつての村名です。現在も地形図にその名を残しますが、郵便番号リストには表示が無かったので、住所としては使われていないのかもしれません。

では、今回は「角川──」(略──)を見ていきましょう。

 とうふつ 鐺沸 <佐呂間町・常呂町>
古くはトヲフツ・トウブトともいった。網走地方中部,オホーツク海に面するサロマ湖東岸と佐呂間別川流域。地名は,アイヌ語の卜ープトあるいはトプッに由来し,沼・湖の口を意味する(北海道蝦夷語地名解・戊午日誌)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.932 より引用)
はい。to-put で「湖・口」と見て良いのでしょうね。その名の通り、鐺沸にはサロマ湖の湖口がありました。ああ、なんとわかりやすい……!

このためサロマ湖は「遠淵ノ湖」ともいわれた(日本地誌略)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.932 より引用)
根室の春国岱と走古丹の間は「遠太の渡し」と呼ばれましたが、to-put の場合には「遠い」という字を当てるケースもあったのですね。「遠淵」というのは砂嘴の湖らしい、いい当て字ですね。

〔近代〕鐺沸村 明治5年~大正4年の村名。常呂郡のうち。江戸期のトウブツ・ワツカ・フルエサン・トイカウシ・トイルハ・ウイヌツなどからなったと思われる。成立時はトウフツ村,明治8年からは鐺沸村と表記(開拓使事業報告)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.932 より引用)
あっ、ここで「トイカウシ」が出てきましたね。このあたりの古い地名は山田秀三さんの「アイヌ語地名の輪郭」に「オホーツク海沿岸の小さな町の記録 ──常呂町のアイヌ語地名調査」として纏められたものが掲載されているので、ご興味のある方は是非ご一読を。

おまけ

さて、ここからは完全な余談です。

当地はサロマ湖の湖口に当たり,外海(オホーツク海)に通じる唯一の水路であった。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.932 より引用)
はい。これはいいですよね。で、続きがあります。

当地は古くからカキを産出し,明治12年頃には中国人某が来村してカキ貝生産を試みたという。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.932 より引用)
謎の中国人某……気になりますね。

和人では同15年島崎梅蔵が定住して漁業を営む。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.932 より引用)
えっ……(汗)。謎の「中国人某」は和人が定住する前に鐺沸にやってきていた、ということになりますね。凄い目利きもいたものですね。中国人某おそるべし。

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