2019年2月11日月曜日

「日本奥地紀行」を読む (食べ物と料理に関するノート (2))

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日も引き続き、「普及版」では完全にカットされた「食べ物と料理に関するノート」を読んでゆきます。

果物の味気なさ

「食べ物と料理に関するノート」では、「魚と醤油」「鳥獣と家禽」「多種多様な野菜」そして独立した項目として「大根」が取り上げられたのを見てきました。続いては「果物の味気なさ」と題された項目です。

果物はひとつの例外をのぞき生で食べるが、砂糖や香辛料は加えない。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.290 より引用)
イザベラが「ひとつの例外」としたのが「ビワ」で、「砂糖を加えて煮る」とあります。また、イザベラは「柿」のことを「日本で最高の果実」と評していますが……

皮をむいたあと天日で干したものは無花果(いちじく)のような味がする。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.290 より引用)
これは「干し柿」のことだと思われますが、これも「生で食べる」とは言えないような気もします。ビワや柿とはなかなか渋いチョイスに思えますが、19 世紀の日本では今以上に一般的に食されていたのでしょうね。

一方で、現代人にも馴染みの深い果物類についての記述もありました。

ぶどうはまずまずといった程度にすぎず、オレンジも同様である。黄色と赤の木苺は野生のがあるが、イギリスの黒苺よりまずい。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.290 より引用)
「イギリスの黒苺よりまずい」と言われると軽くショックを受けるのは、何故なんでしょうね……(汗)。

果物にはほかにりんご、梨、かりん、すもも、栗、桃、あんず、マスクメロン、西瓜などがあるが、酸っぱくて香りがない。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.290 より引用)
最近の野菜や果物は、糖度や風味の面で昔と比べて格段に豊かになったような気がします。イザベラが旅した頃の日本の田畑の土壌は痩せていたところも多かったでしょうから、今の野菜や果物と比べて相当に「味のしない」ものだったのでしょうね。あと「マスクメロン」の名前があったのはちょっと驚きですね。

野菜に続いては「海藻」の話題です。「干した海藻」と言われたら「ふえるわかめちゃん®」が真っ先に思い出されますが、

海藻は日常よく用いられる食材で、干して国内のどこへでも運搬される。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.290 より引用)
わかめを干して遠路に運ぶ……というのは、少なくとも奈良時代の頃からあったんでしたね。現代の「フリーズドライ食品」の嚆矢と言ったところでしょうか。

煮て、あるいは油で揚げて、あるいは酢に漬けて、あるいは生で、あるいはスープの実として、労働者の食事に海藻が使われていないのを見たことはほとんどない。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.290-291 より引用)
「スープの実として」という表現がありますが、原文を見てみると in soup とだけありました。この辺は訳者の方のセンスが試されるところですね。

また、イザベラは「漬物」と「香辛料」について「膨大に消費される」としていましたが、その理由について「食欲を増進させるものとされている」としています。現在でも漬物を「ご飯のあて」にすることが多いのは、皆さんも良くご存知のことだと思います。

ケーキと砂糖菓子

漬物の次は、「ケーキと砂糖菓子」の話題です。明治初期の日本には、当然のことながら「洋菓子」は皆無に等しかったものの、「和菓子」の数・種類ともに豊富であることにイザベラも驚いていたようです。

日本にはプディングやタルトやクリーム、カスタードといったミルクとバターを使ったものは皆無で、現在の料理法による甘い菓子は重要な役を担わないが、わたしは飴や菓子がこれほど多くの店で売られているところをほかでは見たことがない。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.291 より引用)
イザベラの「砂糖菓子」についての解説が続きます。

また高級な宿屋に着くと、砂糖菓子がお茶といっしよに供され、客を歓迎する。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.291 より引用)
そう言えば、今でも高級そうな旅館だと、部屋に入るとちゃんと茶菓子が用意してありますよね。長旅で疲れた客への配慮なんでしょうけど、いつ頃からこういった「もてなし」が一般化したのか、ちょっと気になったりもします。

上質の砂糖菓子は東京から取り寄せられ、色も形も本物そっくりの花や葉に似せてあって美しい。あざやかな緑や黄色となると疑わしくなくもないが、無害だと思う。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.291 より引用)
「砂糖菓子」の彩色はとても鮮やかなものですが、イザベラはこの着色について「疑わしくもないが、無害だと思う」と評しているのが面白いですね。着色料の害(毒性?)というものが、当時既に認識として存在していたというのは興味深いです。

大半はえらく風味がなく、混ぜてある砂糖か粉が「古い」味をしている。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.291 より引用)
和菓子については詳しくないのですが、どことなく「きな粉」っぽい味のものがありますよね。そのことを評して「『古い』味」としたのであれば、イザベラの感覚はとても良く理解できます。

伊藤はどこに行っても砂糖菓子にお金を遣っていた。伊藤にとって菓子はたばこのように欠かせないものらしく、彼の言うには、酒を飲まない者はみんな甘いものをほしがるとのことである。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.291 より引用)
後に「通訳の元勲」とまで評された伊藤氏ですが、実は甘党だったことが暴露されてしまいました。「酒を飲まない者はみんな甘いものをほしがる」という名言も飛び出しましたが、そう言えば「甘党」「辛党」という分類は海外にもあるんでしょうか?

伊藤氏(甘党)には及ばなかったかもしれませんが、イザベラも糖分を補給するためにしばしば和菓子を口にしていたようです。

わたしはよく豆を砂糖でくるんだ糖菓や、細かい米の粉に砂糖を混ぜて練った菓子や羊羹で、乏しい食料の不足分を補った。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.291-292 より引用)
今で言うと「カロリーメイト」代わりに羊羹などを食していた、ということになるのでしょうか。お手軽にカロリーを摂れるという意味ではいい選択だったような気もします。イザベラは羊羹について「豆と砂糖でできていて、海藻から採ったゼラチンで固めてある」と記していますが、そう言えば羊羹の製法を認識したことってあまり無かったなぁ……と。

イザベラは西洋風の洋菓子が恋しくなることもあったでしょうが、そんなイザベラにとってありがたかったと思われるが「カステラ」の存在です。

カステイラというスポンジ・ケーキに似たケーキがあり、これはとても人気があって、かなりおいしい。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.292 より引用)
もっとも、イザベラは注意点を追記することも忘れてはいません。

ただし古い卵を使ってあることが多く、その場合をのぞく。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.292 より引用)
なんというか、主婦目線ですよね(笑)(イザベラが結婚したのは 1881 年のことで、この時点ではまだ独身でした)。

カステイラはスペイン人から伝えられ、その名もカスティーヤの訛ったものと言われている。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.292 より引用)
カステラはポルトガルから伝わったと言われているので、「カステイラはスペイン人から伝えられ」というのは厳密には間違いかもしれませんが、「カスティーヤの訛ったものと言われている」という理解については現在でも定説とされていますね。

先程の「羊羹の製法」についてもそうですが、イザベラのリサーチ能力は素晴らしいなぁ……と改めて感心します。伊藤氏(甘党)の功績によるところ大なのも確かですが、よくできた「相棒」をちゃんと使いこなしたイザベラも流石と言うべきでしょう。

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