2019年11月30日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (681) 「頓別坊川・鬼刺辺川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

頓別坊川(とんべつぼう──)

tu-un-pet-po?
峰・ある・川・小さな

(? = 典拠あり、類型未確認)
JR 宗谷線・筬島駅の北西を流れる北支流の名前です(対岸に「北海道命名之地」の碑のあるあたりです)。どことなくお寺の名前っぽい感じもしますね。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 頓別坊(とんべっぽ)
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.173 より引用)
おっと。読みからして違うようですね。現在は「とんべつぼう」と読むのだと思いますが、もし違っていたらご指摘ください。

筬島よりも一キロほど下流に、オサニコンナイの流れと並んで天塩川に注ぐものに、頓別坊川という面白い字を当てた川がある。永田方正氏はトーウンペッポで沼川口としている。たしか明治初年の地図にはトウンペッポとなっているからト(沼)ウン(ある)ペッ(川) ポ(子供)であると思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.173 より引用)
to-un-pet-po で「沼・に入る・川・小さな」と読み解いたわけですね。po は指小辞で、nay-po (苗穂)や pet-po (別保)あたりが有名でしょうか。更科さんは pet-po は「魚がおらず役に立たない川」という解釈も示していましたが、果たして「頓別坊川」の場合はどうだったのでしょうか。

しかし、現在の地図の上では沼らしいものが何処にも見当らない。川の落口のあたりにいまは干拓されてしまったが、昔沼地になっていたのかもしれない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.173 より引用)
そうなんですよね。この解釈の難点は「沼が見当たらない」点に尽きます。改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めてみると、現在の筬島駅あたり?に「フンヘツホ」と描かれていました。

また、明治時代の「北海道地形図」には「ト゚ンペッポー」という川が描かれているように見えます。これは……と思って「天之穂日誌」を確かめてみたところ、妙なことに気が付きました。ちょっと長いですが引用します。

針位丑寅(北東方)に振や、少し上りて
     ツンベツホ
左り小川有。此処前川ひろし。小石川浅瀬に成たる也。
     ウ ツ カ
大磐峨々と両岸に聳て中ウツカに成たり。右の方高山平に成たり。其下深渕鮫多しとかや。少し上り急流しばしを縄にて引上り行て、
     ヲニサツベ
右の方小川有。此上に椴の木陰森たる処有。則
     ユアニノホリ
と云よし。廻りて少し平地に成る。また渕有。一ツこへて
     トンベツホ
此処をヘンケヲニサツへとも云。左りの方小川有るなり。此川少し上にヲヒラシベツと云一股有るよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.502 より引用)
これを見ると、「ツンベツホ」と「トンベツホ」という川がそれぞれ存在するように読み取れます。そして「川上に支流がある」という特徴からも「頓別坊川」は「トンベツホ」に相当すると考えられそうです。

ただ、そうすると「トンベツホ」は「ヲニサツベ」(おそらく「鬼刺辺川」のことでしょう)よりも上流側(美深側)に存在したことになります。そこで改めて「ツンベツホ」に注目してみると、「針位丑寅(北東方)に振や、少し上りて」という特徴は「頓別坊川」に当てはまるのです(また、面白いことに「頓別坊川」以外にこの特徴に当てはまる川はしばらく存在しません)。

……ということで、「頓別坊川」は天之穂日誌の「トンベツホ」ではなく「ツンベツホ」に相当するのではないか、と考えてみました。tu-un-pet-po であれば「峰・ある・川・小さな」と読み解けそうですが、改めて地形図を見てみると「天狗山」から東北東に伸びる尾根が頓別坊川のすぐ手前まで伸びています。ちょうどこの尾根が頓別坊川の邪魔をしているようにも見えるので、そのことから「峰のある小さな川」と呼んだのではないかな……と。

鬼刺辺川(おにさしべ──)

o-nisap-pet???
河口・すね・川

(??? = 典拠なし、類型未確認)
国道 40 号から JR 宗谷線の筬島駅に向かう「筬島大橋」という橋がありますが、「鬼刺辺川」は筬島大橋から国道を 300 m ほど西に進んだあたりで天塩川に注いでいます(南支流です)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲニサツヘ」という名前の川が描かれています。また「天之穂日誌」にも「ヲニサツベ」という川が記録されているのは先程引用したとおりです。

さてどういう意味だろう……、o-ni-sat-pet で「河口・木・乾いた・川」と解釈できそうな気もしましたが、文法的にちょっと違和感が残ります。

あ、nisap で「急である」という語彙がありましたね。o-nisap-pet であれば「河口・急である・川」と読めそうな気もしましたが、この「急である」は傾斜ではなく「急いでいる」というニュアンスなので、果たして川の名前としてどこまで適切であるかは検討が必要に思えます。

面白いことに、nisap には「すね」という意味もあります(アクセントの位置が異なるとのこと)。地名に良く出てくる体の部位としては ut (あばら)が有名で、あと sittok (ひじ)も時折目にする印象があります。

果たして o-nisap-pet で「河口・すね・川」という解釈が成り立つかどうか……なのですが、「北海道命名之地」のあたりを「かかと」に見立てたならば、鬼刺辺川が合流するあたりを「すね」と言えなくは無いかな、などと……(なかなか苦しい)。「筬島大橋」のあたりが「ひざ」だとすれば、鬼刺辺川の河口のあたりは辛うじて「すね」と言えそうな気も……。

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2019年11月29日金曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (146)「消された『開拓の』文字」

江別市の大麻(おおあさ)を抜けて、札幌市に入ります。
札幌市のカントリーサインは「時計台」なんですね。頑張って補正してみましたがこれが限界のようです……(すいません)。
厚別区に入ったあたりから、左右の店の数がグッと増えた印象があります。JR 函館線の「森林公園駅」って「野幌森林公園」の最寄り駅、だったんですね……(今頃気づいた)。

おもむろに左折

「厚別東4-7」交叉点をおもむろに左折します。
片側 2 車線の立派な道路(そして上り坂)ですが、中央分離帯はありません。その代わりではありませんが、なんとゲートが設けられています。夜 10 時から翌朝の 7 時までは進入禁止なんですね。
直進した先は行き止まりっぽいので、右に曲がります。

消された「開拓の」文字

右折した先には駐車場と、料金所のようなブースがありました。ただ、特に料金の徴収が行われている気配はありません。「開拓の」という文字が何故か消されていますが、とりあえず直進してみましょう。
とてもありきたりな表現ですが「さすが北海道」と言った感じですね。札幌の市街地に隣接した場所の筈ですが、とてもそんな風に感じさせません。
橋を渡った先に交叉点がありました。右折すると「北海道開拓の村」、そして直進すると「北海道博物館」です。

駐車場はどこに

直進して坂を登ると、左側に駐車場が見えてきました。もちろんスルーしてお目当ての「北海道博物館」に向かいます。
北海道博物館の建物が見えてきました。「北海道博物館」というネーミングに名前負けしない、とても大きくて立派な建物です。
さらに直進すると、前方に「北海道百年記念塔」が見えてきました。
このまま車で「百年記念塔」の近くまで行けるのかな……と思ったのですが、一般車が通行できる道は無いようです。ついでに言えば駐車場も無いので、「北海道博物館」の駐車場に戻ることにしました。

駐車は慎重に

「北海道博物館」の前の駐車場は見事に満車だったので、手前にある「第二駐車場」に車を停めることになりました。何のことはない、さっきスルーした駐車場に逆戻りです。
車止めにぶつかるまでしっかりバックして車を停めたのですが……
改めてタイヤの後ろを見てみると……うわわ、なんか大変なことになってました(実害はなかったのですが)。

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2019年11月28日木曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (145)「大麻なう」

国道 12 号で札幌は厚別方面に向かいます。ずっと左右に店などが連なっていたのですが、急にまわりに緑が目立つようになりました。このあたりで JR 函館線をオーバークロスしている筈なのですが、全然そんな風には見えないですね。
右は(防風林の向こう側に)JR 函館線、そして左には農場が広がっているようなのですが……
なるほど、大学の敷地だったんですね。

バス停もサイロ風

国道 12 号は、江別市王子のあたりからずっと市街地の中を通っているのですが、酪農学園大学のあたりは唯一の例外のようです。
バス停の待合室も、なんとサイロ風のデザインです。屋根のてっぺんの尖った部分は避雷針なのか、それとも単に積雪を防ぐためのものなのか……?
次のバス停にも素敵なデザインの待合室がありました。このとんがり屋根は明らかに積雪を避けるためのものですよね。

大麻うぃる

国道 12 号の「最後の緑地」が終わろうとしています。この先はほぼ市街地の中、と言ってしまって良いでしょうか。
酪農学園大学のまわりは緑地が広がっていましたが、JR の向こう側はずっと大麻の住宅街です。
高校があるようですが、酪農学園大学の系列校みたいですね。

大麻なう

左側が市街地に戻りました。右に見えているのが JR 函館線の「大麻駅」でしょうか。
JR 大麻駅に向かう「大麻歩道橋」です。
「大麻」はもちろん「おおあさ」と読むのだとわかっていても、「大麻歩道橋」とだけ書かれると、ついあらぬ想像をしてしまいますよね。

文京台の地にスパーを見た

大麻駅の近くには、ちょっと懐かしいコンビニもありました。2015 年時点では、まだ「スパー北海道」は健在だったんですよねぇ。「スパー北海道」が「ハマナスクラブ」になったのは、2016 年の夏頃だったでしょうか。
「札幌学院大学」や「北翔大学」の最寄りの交叉点にやってきました。このあたりは本当に大学などが多いなぁ……という話なのですが、
地名からして「文京台」だったりします。

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2019年11月27日水曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (144)「工場直売 釜出し価格」

国道 12 号の手前を走る、JR 函館線の踏切が見えてきました。標識は古式ゆかしい蒸気機関車のシルエットのものです。
踏切を渡った先がいきなり国道 12 号なのですが……
この交叉点、なんと信号がありません。その理由ですが、下手に信号をつけてしまうと、うっかり踏切内に入った車が信号待ちの車列に引っかかってしまって立ち往生するから……ではないかと思ったのですが、いかがでしょう?

江別河川防災ステーション

国道 12 号は片側 2 車線の快適な道です。一般道とは言え、スピードを出す車も多そうな予感がします。この道路で左側から横断する車があるというのも、要注意ですよね。
江別は今や札幌のベッドタウンとなった感もありますが、古くからの工業都市でもあります。前方右側に工場の煙突(ですよね?)が見えますね。
国道の脇には「江別河川防災ステーション」なる施設がありました。これ、良く見るとトイレのマークやコーヒーカップのマークなど、まるで高速道路のパーキングエリアのようなアイコンが並んでいますね。「河川防災ステーション」と言われるとちょっとお堅いイメージがあったのですが、一度立ち寄ってみようかな、という気がしてきました。

旧・国道 337 号

江別の市街地に入ります。右折すると「国道 337 号」という案内がありますが、これって現在の道道 1056 号「江別長沼線」のことですよね。今はもう国道ではない筈ですが、こんなところにも残骸があったとは……。
さっき遠目に見えていた工場が右側にあるのですが、どこの工場かと言うと……
実にわかりやすかったですね(汗)。

昨日も今日も江別を横断

国道 12 号を札幌方面に向かいます。ホクレンのガソリンスタンドではフラッグが絶賛発売中でした。
ジェイ・アール北海道バスを見かけました。もちろん(?)南幌で見かけたバスとは別のものです。
「江別市陶芸の里」という施設があるんですね……って、以前にも散々話題にしていたような気もします(汗)。二日続けて、まったく別の角度から江別の市街地を横断することになるんですね。

工場直売 釜出し価格

この交叉点は前日にも通っていました。その時は「江別西 IC」方面から北広島に向かっていたのでしたね。
ところで、十字路の南側の角にあるこちらのお店、「工場直売 釜出し価格」とありますが一体何のお店なんでしょう? 地元の方にしてみれば「言わずもがな」なのかもしれませんが……。
こちらは工場ではなく店内で製麺した釜揚げうどんのお店です。本社は兵庫県にあるので、関西人にとってもお馴染みの店ですね。道内でも意外と(失礼!)人気があるみたいです。
こちらも「言わずもがな」の、道内でしか見かけないガソリンスタンドです。

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2019年11月26日火曜日

夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (143)「謎の青看板」

国道 337 号を北北西に向かい、江別市に入りました。
ちゃんとカントリーサインがあるのですが、手前に「曲線半径 80 m」の標識などがあって、若干見づらいのがちょっと残念な感じです。

右往左往はこれが最後?

道央道の江別東 IC へは、200 m 先を右折とのこと。
どうやら国道 337 号自体が斜め右に曲がるようですね。国道 337 号はとにかく右折や左折が多い印象がありますが、ここはバイパス(新道)との接続の為のようです(ついでに言えば、この先は銭函まで右折や左折は無さそうです)。
当別で見かけた、まるで高速道路のような道路も国道 337 号で、長沼や南幌で右左折を繰り返していたのも同じ国道 337 号なんですよね。

謎の青看板

ちなみに、右折せずに直進できそうだったので、直進してみることにしました。この道は「江別太本通」という名前のようで、大正時代の地図にも出てくる昔からの幹線道路だったようです。
ところが……あれっ? なんですかこの青看板は。
どうやら古くからの幹線道路が一部宅地に化けてしまったようで、迂回を余儀なくされるようです。それにしてもこの青看板、すごく味わい深いですよね。

そして T 字路を左折

本来は、まっすぐ道が続いていた筈なのですが……。斜め右に曲がります。
斜め右に曲がった先は、青看板の通りに T 字路になっていました。
国道 12 号へは、左折すれば良いのですね。
「江別太本通」がなぜか宅地に化けてしまった区画を迂回して、再び古くからの道に戻ってきました。

キグナス?

「江別太本通」と、道道 1056 号「江別長沼線」の交叉点にセイコマがありました。ちょいと飲み物を仕入れるために休憩です。
ところで、お店の壁にこんなポスターが。WordArt 全開なのはともかくとして、「江別キグナス SC」って「キグナス石油」と関係あるのでしょうか?

安全運転 ありがとう

道道 1056 号「江別長沼線」を北北西に向かいます。雲の切れ間に覗く青空が眩しいですね……。
「江別太小学校」バス停の待合室?には、「安全運転 ありがとう」の文字が。でも何故に勘亭流……?
国道 12 号は、踏切を渡った先です。少しでも踏切を通る車の数を減らすべく、「南大通」などの道路を建設しているようですね。

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