2019年7月17日水曜日

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夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (68)「北海道命名之地」

 

音威子府村の「筬島」というところにやってきました。「筬島」で「おさしま」と読む難読地名ですが、同名の駅があるので読める方も結構いらっしゃるかもしれませんね。


音威子府村に入ってすぐのところで、覆道が 2 箇所続きます。西側にあるのが「岡穂内覆道」で……


東側のものが「物満内覆道」です。どちらもコンクリート製の覆道です。



松浦武四郎 北海道命名の地

音威子府駅方面に向かって車を走らせる間に、ちょっと気になる案内が出ているのを見かけました。「松浦武四郎 北海道命名の地」と記されています。


左折してみると、そこには立派な「北海道命名の地」の案内板が。左下には毎度おなじみ松浦武四郎の写真を元にしたイラストも描かれています。


この先は舗装されていないようですが……まぁ、とりあえず行ってみましょうか。乗用車で走れないような状態であれば引き返せばいいので。



なんと先客が?

未舗装のダート路は結構な凸凹がありました。写真で見るとそれほどには見えないでしょうが……。


駐車場があったので、車を停めます。なんと先客の方がいらっしゃるようです。


この先も天塩川に向かってダート路が続いていますが、一般車両は進入禁止とのこと。


木陰の中を川に向かって歩いてゆくと……あ、何やら見えてきました。



「北加伊道」改め「北海道」命名の地

何も無さそうな河原の一角に、「北海道命名之地」と記された柱が立てられていました。改めて見ると随分と大きなものですが、対岸を走る JR 宗谷線の車窓からも見えるように、という配慮なのでしょうか。


対岸(天塩川北岸)には「頓別坊川」という川が流れていますが、松浦武四郎はこの地を「トンベツホ」と記録していたとのこと。パネルでは「天之穂日誌」の現代語訳が紹介されていました。


そして「北海道命名之地」の柱の横には、「北海道命名の発想」についての解説がありました。武四郎は筬島の「オニサッペ」(鬼刺川)で、アイヌの長老からアイヌが「カイ」と自称したという話を聞き、そこから蝦夷地の道名を建議する際に「北のカイの道」である「北加伊道」という案を着想した……とされています。


つまり、武四郎が「北加伊道」というネーミングのインスピレーションを与えられたのが、この筬島である……という考え方のようです。なお、最終的に「北加伊道」は「北海道」に改められることになりますが、確か松浦武四郎は「北海道」という名称が定まる前から「北海道人」を自称していました。


そのため自らの雅号と重なる「北海道」という名前を建議できず、已む無く「北加伊道」という四文字の不自然な郡名を建議したものの、本命は最初から「北海道」だったんじゃないか……というのは下衆の勘繰りでしょうか。まぁ、「蝦夷地」も「北海道」もどちらも負けず劣らずいい名前だと思いますけどね。

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