2019年7月14日日曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

アイヌ語地名の傾向と対策 (647) 「幌新・幌比里・真布」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

幌新(ほろしん)

poro-nitat-pet
大きな・谷地・川


沼田町の西部を北から南に流れる「幌新太刀別川」沿いの地名で、「幌新ダム」の近くには「ほろしん温泉」もあります。

川名の「幌新太刀別」を「ほろにたちべつ」と読めた時点で、かなり正解に近づきます。poro-nitat-pet で「大きな・谷地・川」と考えるしか無さそうですが、念の為永田地名解を見ておきましょうか。

Poro nitachi pe  ポロ ニタチ ペ  大吥坭
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.59 より引用)

概ね良さそうな解釈だなぁ……と思ったのですが、山田秀三さんは旧著「北海道の川の名」で、次のように文法的な問題を指摘していました。

 「やち」は nitat、「そのやち」が nitachi である。永田氏の書いた形の場合には、pe は「もの」ではない(その意味の pe は、母音の後にはつかない。また、名詞の後にもつけない)。強いていえば「水」である。自然な形でいえば、Nitat-pet(やち・川)であったろう。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.44 より引用)

確かにそうですね。まぁ言っても明治の人の調査ですし、体系的なアイヌ語の文法書なんてものも無かったでしょうから、こういったおかしな点は他にも色々とありそうな感じです(だからと言って「永田地名解」の価値が下がるものではないことは、衆人の認めるところです)。

本題に戻りますが、「再篙石狩日誌」には次のように記されていました。

またしばし行て
     ホロニタツコヘツ
左りの方相応の川なり。是をまたハンケニタツコベツとも云よし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.343 より引用)

「ホロニタツヘツ」かと思いきや、どこからか「コ」が出てきました。あれっと思って「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、今度は「ホロニタツコムシベ」と記されています。もしかしたら、元々は poro-nitat-kom-us-pet で「大きな・谷地・曲がり・多くある・川」で、それが poro-nitat-kom-pet と略され、poro-nitat-pet となったところで「幌新太刀別川」になった……と言ったところかもしれません。

そして「幌新太刀別」が更に略されて「幌新」になったと思われるのですが、どうやら本来の「ポロニタチペ」は JR 留萌線・真布駅のあたりから雨竜川に注ぐまでの名前だったようです。現在の「幌新」のあたりを流れる川は「ポロニタチペ」ではなく「エピシュオマㇷ゚」(恵比島e-pis-oma-p)か「ペンケシルト゚ロマップ」(penke-sir-utur-oma-p)だったと考えられます。

幌比里(ほろぴり)

poro-piri
大きな・あの傷


JR 留萌線の「恵比島駅」の近くから、幌新太刀別川を少し北に遡ったあたりの地名です。永田地名解には「ポロ ピリ」で「大渦」という記載がありましたが、前後関係を考えると恵比島の近くの「幌比里」のことでは無さそうです。参考までに引用しておきますと、以下のような内容でした。

Poro piri  ポロ ピリ  大渦 好漁場ナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.59 より引用)

pir(i) には「渦」という解釈と「傷」という解釈があるのですが、恵比島の近くの「幌比里」の場合はどっちが適切でしょうか。少し考えてみたのですが、地理院地図で「幌比里」と記されている一帯の西側に川が流れていて、その川が割と直線的に流れているので、これを「大きな・傷」と呼んだ可能性もありそうです。

ということで、poro-piri で「大きな・あの傷」ではないかと考えてみました。

真布(まっぷ)

panke-sir-utur-oma-p
川下側の・山・間・そこにある・もの


JR 留萌線の石狩沼田と恵比島の間に「真布駅」という駅があるのですが、元々は仮乗降場で駅に昇格したのが JR 北海道の発足時だったため、残念ながら「北海道駅名の起源」には記載がありません。

「真布」の集落自体は「真布川」を遡った中流域にあります。戦前の陸軍図では、「真布」ではなく「白採眞布」と記されていました。そして明治時代の地形図では、現在の「真布川」のところに「パンケシルト゚ルマプ」と記されていました。panke-sir-utur-oma-p で「川下側の・山・間・そこにある・もの」と読み解けそうです。

なお、明治時代の地形図を見ると、現在の「幌新ダム」のあたりに「シルト゚ルノシュケオマㇷ゚」と記されています。また「パンケシルトルマプ」を「パンケシルトルノシュケオマプ」と記した地図も見かけました。

panke-sir-utur-noske-oma-p であれば「川下側の・山・間・真ん中・そこにある・もの」となります。この表記が実際にそのように認識されていたことを示すのか、あるいは単に手が滑ったのかは不明ですが、一応ご参考まで。

前の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事