2019年7月15日月曜日

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「日本奥地紀行」を読む (食べ物と料理に関するノート (4))

 

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日も引き続き(数カ月ぶりではありますが)、「普及版」では完全にカットされた「食べ物と料理に関するノート」を読んでゆきます。

スープ

イザベラの日本食紹介が続きます。続いては「スープ」と題された項目ですが、より正確に表現すると「汁物」のことです。

スープのうち中流階級の飲む主なものは味噌汁、卵汁、澄まし汁である。澄まし汁には水に塩を加えたものと醤油を加えたものの二種類ある。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.294 より引用)
「水に塩を加えたもの」という、身も蓋もない表現になっているのには思わず苦笑いですね。そして「味噌汁」「澄まし汁」というセレクションは現代と全く違わないなぁ……と思ったのですが、これは「中流階級」の料理でしたね。

下層階級ではいろいろな種類があるが、その多くは汚れた水に塩をひとつまみ加えたような味がして、さいころに切った豆腐、干魚、生いかなどが入っている。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.294 より引用)
「汚れた水に塩をひとつまみ」……(汗)。もしかして、煮干しのだし汁とかでしょうか(日本食は時折こういった誤解を招くことがありますね)。あと「生いか」が入っているというのも若干謎です。汁物に入れた時点で「茹でたイカ」になりそうな気がしますが……。

あるスープは黒い液体のなかに革のような舌触りの干した巻き貝が入っており、大半のスープは聖書に記される「忌まわしいものの煮出し汁」という文句がぴったりである。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.294 より引用)
「革のような舌触りの干した巻き貝」はサザエの可能性が想起されますが、「黒い液体」というのが謎ですね。「忌まわしいものの煮出し汁」という表現については苦笑するしかありませんが、なるほどそんな風に見えちゃうんですね……。

卵汁はふつう外国人の口にもどうにか合う。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.294 より引用)
久しぶりに良い情報が入りました。卵とわかめにネギをちょいと入れたコンソメスープとか美味しいですが、それに近いものがあるのでしょうか。

「上流社会」では魚と野菜をべつべつにゆでてスープに加える。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.294 より引用)
「魚と野菜を別々に茹でる」というのは「へぇぇ……」という感じがしますが、灰汁の問題でしょうか(それくらいしか思いつかない)。

正式の宴会料理

続いては「正式の宴会料理」(原題:Formal Enternainments)と題されたセクションです。

「裕福な」人々のふだんの食事はごはん、スープ、煮魚と焼き魚、香の物で、わたしたちに比べると食事の占める重要性ははるかに大きい。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.294 より引用)
「ごはん」「スープ」「煮魚」「焼き魚」「香の物」というのは、今でも朝食あたりで目にするセレクションですが、ポイントはそれに続く「わたしたちに比べると食事の占める重要性ははるかに大きい」でしょうか。もしかしたらこれは逆で、イギリス人が食事にあまり重要性を置いていないのではないか、と思ったり……。

 どの宴会料理でも、かすかな味と匂いのする麦藁色の液体、すなわち米のビールである酒が重要な役を担っているが、酒のアルコール含有量はだいたい一一から一七・五パーセントというところである。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.295-296 より引用)
これは日本酒のことだと思うのですが、アルコールの度数までしっかり把握しているあたり、イザベラ姐さん只者ではないですね……。

酒は温めて飲むことが多く、日本人が本当の食事とみなすものの前に飲む。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.296 より引用)
そういえば西洋では「酒を温めて飲む」という習慣は一般的なんでしょうか……と思ったのですが、「ホットワイン」という風習がありましたね。

宴会料理の前に、上質の漆器、あるいは磁器、あるいはべつの膳に盛られた魚が酒とともに各客に供されるが、これは酒の肴すなわち「酒に伴うもの」という名前で知られている。この酒の肴は宴会の一の膳、二の膳、三の膳から独立している。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.296 より引用)
これは 150 年近く前の話ですが、ほぼそのまま現代でも通用しそうな内容ですね。「酒の肴」という発想もとても日本的な感じがしますが、日本で育まれたものなのか、あるいは他国から取り入れたものなのか、ちょっと興味が湧いてきます。

生の魚を短冊に切ったものは刺し身といい、もっぱら酒の肴に用いられるが、場合によっては魚やゆでた笥をはじめとするごちそうをつぎつぎに積み上げたものを酒の肴とすることもある。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.296 より引用)
刺し身については良いとして、「ごちそうをつぎつぎに積み上げたもの」というのは一体どんなものなのか……。筍の煮物とは、また別のものなんでしょうか。

この前菜の前には茶菓がぐるりと配られるが、ほとんどだれも手をつけない。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.296 より引用)
ふーむ。現代だと「お通し」に相当するものかなぁと思ったのですが、あれは「茶菓」では無いですし……。

飲み物

続いては「飲み物」と題されたセクションに入ります。アルコールに限らず、お茶などの話題も含まれます。

一般に使われる飲み物には茶、白湯、酒、焼酎があり、焼酎はアルコールのひとつで、酒よりさらに外国人の口には合わず、暑い季節にはなにかと冷たいまま飲む。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.297 より引用)
「焼酎はアルコールのひとつで」は良いとして、「酒よりさらに外国人の口には合わず」には苦笑いですね。

茶はたいして沸いていないお湯を茶葉を通して注いだだけのもので、ふつう食事の際にとる飲み物である。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.297 より引用)
ふーむ。急須には熱湯を注ぐイメージがあったのですが、もしかしたら石田三成的な気遣いがあったんでしょうか。

茶にも酒にも敬意を表す接頭語がついている。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.297 より引用)
これは、「お茶」「お酒」には「お」がつくのに「コーヒー」「紅茶」「ビール」には「お」がつかないという、現代でもポピュラーな謎について、明治初頭に既に指摘があったということになりますね。

薄茶は茶の粉末でいれ、豌豆(えんどう)スープのような見かけと濃度をしているが、これを飲むだけのゆとりのある人々のあいだでは高く尊ばれている。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.297 より引用)
「茶の粉末」と言えば寿司屋さんでおなじみですね。似たようなものなのか、あるいは似て非なるものなのか……。

薄茶は食事の前にもあとにも供され、その場合、昔の全国的な飲み物であった白湯──アイヌの人々のあいだではいまもそうであるが──が食事に添えられる。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.297 より引用)
なるほど、まだ食事に白湯を添える食文化も健在だったということですね。

貧しい階層の食事

「食べ物と料理に関するノート」の最後は、「貧しい階層の食事」と題された一節で締めくくりです。

 すべてを網羅したとはとうてい言えないこの拙文から、「裕福な」日本人の料理かみすぼらしいどころかその反対であることがおわかりになろうが、それでも日本人のごちそうには外国人には合わないところがあり、どのイギリス人も長い体験を経てはじめて、情けない顔をせずに日本食を飲み込めるようになる。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.297 より引用)
「日本人のごちそうには外国人には合わないところがあり」というのは偽らざる感想なのでしょうね。少なくとも「日本人のごちそうは食べ物とは言えない」ではないところにイザベラの適応力の高さが感じられます。

貧しい階層の食事は粗末で栄養に乏しく、味も見かけもひどい。また食事をおいしくするためにとるソースや漬物の量は消化器官にとても有害である。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.297 より引用)
「まぁそうだろうねぇ」と思いつつ、「消化器官にとても有害である」というのはどういったものを想定していたのでしょう。「漬物食い過ぎ」という話なんでしょうか。

食料にできるものはなんでも利用する。ごはんを炊いたときの水から一種の凝乳かゼリーのようなものをつくるくらいである。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.297 より引用)
あ、これなんか聞いたことがあるような……。「米のとぎ汁」を利用してどーのこーのという話もあったような気がしますが、衛生面からも宜しくないようですね。

都市部ではごく一般的な日本人の食事に欠かせない品目は、ごはん、魚、大根の漬物で、内陸部では、ごはんあるいはその代わりの雑穀、大豆または碗豆、それに大根である。労働者の一日当たりの米の平均消費量は二ポンド[約九〇〇グラム]。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.297-298 より引用)
大根の人気と汎用性の高さが伺われますね。あと肉類が出てこないのもそうですが、味噌汁が出てこないのも「へぇぇ」と思わせます。それに対して「ごはん」が当然のように出てきますが、日本人が「ごはん」を求めるのは、本当に昔からのことなんだなぁ……と改めて気付かされます。日本人の米作に対する執着心は凄いですが、こうやって先祖代々受け継がれてきたものなんだな、と。

これまでに書いた贅沢な食材のうち、北の旅で一度も目にしなかったのは野鳥で、鶏と新鮮な魚にはとてもまれにしか出会わなかった。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.298 より引用)
牛肉や豚肉に出会わなかったのは当然として、イザベラは「雉料理」などを食することが無かった、ということでしょうか。あと鶏はともかく「新鮮な魚」がまれにしか出会わなかったというのは不思議な感じがします(新潟では割と容易に入手できそうな感じがしたのですが)。

とはいえ、日本の高級な食事に触れてみたい旅行者は、江戸、京都、大阪、大津、さらには横浜の安手でない宿屋でそれを味わうことができる。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行 上」講談社 p.298 より引用)
大津……何故に大津……。

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