2013年12月14日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (166) 「筬島・物満内・茨内」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

筬島(おさしま)

ota-nikor-nay + pira-kes-oma-nay?
砂浜・すきま・川 + 崖・末端・そこにある・川

(? = 典拠あり、類型未確認)
音威子府村西部の地名で、同名の駅もあります。「筬」の字の珍しさもあってか、難読地名として紹介されることも多そうです。気になるその由来ですが、「北海道駅名の起源」には次のようにあります。

アイヌ語の「オサニコンナイ」、すなわち「オタ・ニコル・ナイ」(細い砂浜を通っている川)と、「ピラケシマナイ」すなわち「ピラ・ケシ・オマ・ナイ」(がけの端にある川)との、両地名の混成形であると思われる。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.179 より引用)
なんと、ota-nikor-nay(「砂浜・すきま・川」)と pira-kes-oma-nay(「崖・末端・そこにある・川」)をニコイチにしたものなのだそうです。これはかなり珍しいような……。

また、山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されています。

前の川が下流側,後の川が上流側で, その中間に駅がある。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.143 より引用)
ということで、どうやら「オサニコンナイ」は現在の地形図でも川として描かれているような感じです。一方「ピラケシマナイ」のほうは、地形図ではその存在を確認できません。雨が降ったときに一時的に水が流れる沢のようなものかも知れません。

なお、更科源蔵さんは次のようにも記されています。

オサニコンナイの川口の少し下流に中島があるので、この島に関係があるのではないかとも思われるが、はっきりしない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.173 より引用)
現在の地形図を見た限りでは、天塩川の堤防がきちんと整備されているせいもあってか、河口部には中島は見当たりません。ただ、「オサニコンナイ」と「ピラケシマナイ」の合成地名というよりは、「オサニコンナイの島」と考えたほうが、個人的には *ありそうな感じ* がします。

物満内(ものまない)

momni-oma-nay
漂流木・そこにある・川

(典拠あり、類型あり)
筬島と音威子府の間で天塩川に注ぎ込む、天塩川の支流の名前です。かつては同名の集落もあったようですが、現在は地図上には見当たりません(調べ方が悪いだけかも知れませんが)。

「角川──」(略──)には、次のようにあります。

〔近代〕大正 8 年~ 現在の行政字名。はじめ常盤村,昭和 38 年からは音威子府(おといねっぷ)村の行政字。もとは常盤村の一部。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1526 より引用)
はい、これはいいですね。

地名は,アイヌ語のモノマナイ(静かな川の意)に由来する(北海道蝦夷語地名解)。ほかに,モムニオマナイ(漂木のある川の意)による説,ヌムオマナイ(クルミのある川の意)による説がある(音威子府村史)。江戸期の松浦武四郎「丁巳日誌」に「モノマナイ」が見える。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1526 より引用)
このように、色々と説があるようですが、更科源蔵さんは次のように記されています。

静かな川と訳されるのは紋別、門別などのモ・ペッがあるが、物満内はモムニ・オマ・ナイで漂木(モムニ)のある(オマ)川(ナイ)で、この川が天塩川の流れに対して川下の方から流れ込んでいるので、川口の水がうずをまき、漂木がいつもそのうずの中に漂っているからであると思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.173 より引用)
例によって一文が長いですが、それはさておき……。ふむふむ、momni-oma-nay で「漂流木・そこにある・川」ではないかとのことですね。松浦武四郎の時代には既に「モノマナイ」という音があったようですが、「モㇺニォマ」が「モノマ」となるのは十分あり得る話かなぁ、と思います。

茨内(ばらうち)

para-utka
広い・川の波立つ浅瀬

(典拠あり、類型あり)
「茨内」という字を見て、「ふむふむ。『いばらない』か」と独り合点をしていたのですが、何のことは無い、これで「ばらうち」と読むのだそうです(汗)。語尾の「内」を「うち」と読ませるのは、たとえば「知内」なんかもそうですが、道内ではかなりレアケースのような感じがします。

さて、この茨内ですが、更科源蔵さんは、次のように記されています。

「茨」は石狩の茨戸(ばらと)などと同じパラに当てたもので、広いという意味。茨内はパラナイで、広い川ということになる。しかし、この付近にそんな川幅の広い支流もない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.172 より引用)
ん、あれ……?

しかもバラウチである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.172 より引用)
(汗)。お気持ちはよーくわかります。

古い地図によれば、パラウツカという所がある。ウッカは人間のあばらをいうので、あばらのように川が波だって流れる浅瀬をそういうのである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.172 より引用)
ははぁ、なるほど。ちなみに「茨内」は音威子府村の中心地から見て対岸の南側で、少し谷が開けたところの地名です。

この付近は天塩川の川幅が広く浅瀬になって流れていて、徒渉できる所であったので、こういわれたものであると思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.173 より引用)
ふむふむ、なるほどぉ~。para-utka で「広い・川の波立つ浅瀬」ということですね。

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