2023年2月18日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1013) 「厚別(根室市)・槍昔・ソウサンベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

厚別(あつべつ)

at-us-pet?
おひょう(楡)・群生する・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
風蓮川河口(別海町と根室市の境界)から 2.8 km ほど東に「厚別」という名前の三等三角点があります(標高 20.6 m)。このあたりは古くから交通の要衝だったようで、明治 5 年には「厚別村」が成立しています(後に別海村 → 釧路市)。

ただ後に鉄道などの陸上交通が整備されるとともに、交通の要衝としての位置づけは大きく低下し、現在は地名も「釧路市槍昔」になってしまいました(辛うじて 1980 年代の土地利用図に「アツベツ」との記載がありました)。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「アツウシヘツ」という川が描かれていました。この川は三角点と風蓮川河口の間の中間地点あたりを流れているように見えます。

「午手控」(1858) には次のように記されていました。

アツウシヒラ
 魚が来り此処よりはなれをつけるよし
アツウシヘツ
 同じ
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.369 より引用)
また、このページの頭註には次のような補足がありました。

旧厚牛別→旧厚別。現在は「アツベツ」の地名があるだけ。銛を放つ・放れを付ける
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.369 より引用)
「アツウシ」に「銛を放つ」と言った意味があったかな……と思って少し考えてみたのですが、「アイヌ語沙流方言辞典」(1996) に次のような記述がありました。

at アッ 3 【名】[概](所は atu(hu)アトゥ(フ))①ひも(紐)(何かについているひも)。②ツノザメ漁 (repa レパ)をするときに使うもりの柄のうしろにつけてある haytus ハイトゥシ〈イラクサの綱〉。☆参考 ただ置いてあるだけの細いひもは ka 、ものをしばってつなぐ頑丈なのは tus トゥㇱ
(田村すず子「アイヌ語沙流方言辞典」草風館 p.31-32 より引用)
なるほど、at は「銛につける紐」を意味するのですね。そう言えば「地名アイヌ語小辞典」(1956) にも……

②ひも。③モモンガー。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.9 より引用)
あっ。

ただ、at が「紐」を意味するのは理解できましたが、「紐・多くある・川」というのも今ひとつピンと来ません。ということで永田地名解 (1891) を見てみると……

At ush pet   アッ ウㇱュ ペッ   楡川 楡樹多キ處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.371 より引用)
あっ(しつこい)。いやまぁ、普通に考えるとそうなりますよね。at-us-pet で「おひょう(楡)・群生する・川」と考えられそうです。厳密には at は「おひょう(楡)の樹皮」で、「おひょう(楡)」は at-ni ですが、知里さんの小辞典にも

ただし地名の中では単に at とだけ云って at-ni をさしていることも多い。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.9 より引用)
とあるので、まぁいいですよね。

穿った見方をすると、松浦武四郎のインフォーマントは「おひょう(楡)」の存在を公にしたくなかった……という可能性も考えたくなりますね。

槍昔(やりむかし)

ya-rum-kus-i??
網・岬・の向こう・の所
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
風蓮湖の中央部に突き出た半島の東端に位置する地名です。対岸は別海町走古丹ですが、船がないと行き来はできません。

東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「ハルタモシリ」(島)の南に大きな島が描かれていて、そこに「ヤヽリフンカウシ」と描かれています。「ハルタモシリ」は走古丹の南東、槍昔の東に位置するのですが、「東西蝦夷──」では槍昔の南に描かれていて、位置認識に誤りが見られます。

「午手控」(1858) には「ヤノリフンカウシ」と「ヤルムコシ」という地名が記録されています。また次のような記載もありました。

ヤルムコシ
 本名ヤーリフンカウシ人間(和人)にて網を懸ると云事也
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.369 より引用)
まずは「ヤーリフンカウシ」をどう解釈できるか……ですが、ya は「網」で、「リフンカ」が {repun-ka} であれば「沖へ出させる」と解釈できたりするでしょうか。us-i は「いつもする・所」と読めるので、ya-{repun-ka}-us-i で「網・{沖へ出させる}・いつもする・所」となりそうな気もします(ちょっと文法的に変な感じはするのですが)。

今頃気づいたのですが、永田地名解 (1891) に次のように記されていますね。

Rep un ka ushi   レプ ウン カ ウシ   海岸
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.370 より引用)
「リフンカ」を「レプンカ」を考えてしまって良かったのか……という不安があったのですが、いやー、これはそのまんまでしたね。やはり repun-ka と見て良さそうな感じです。

これを踏まえて「ヤルムコシ」を考えてみると……うーむ。ya-rum-kus-i で「網・岬・の向こう・の所」と読めたり……しないでしょうか……(これも文法的にかなり変な感じはするのですが)。

ソウサンベツ川

so-sam-pet??
水中のかくれ岩・傍・川
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 243 号から槍昔に向かう際の中間地点のあたりで風蓮湖に注ぐ川の名前です。明治時代の地形図にも「ソーサンベツ」と描かれていました。

「北海道地名誌」(1975) には次のように記されていました。

 ソウサンベツ 槍昔(やりむかし)で風蓮湖に入る小川。滝の浜手の川の意か。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.705 より引用)
鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました。

 永田地名解は「ソー・サン・ペッ So-san-pet 滝川」と、つまり、滝・流れ出ている・川、と解したのであろうが、この辺はいずれも湿地帯と上流は丘陵地なので滝があるような川ではない。どうもわからない地名である。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.366 より引用)
そうなんですよね。あ、駄洒落ではなく……(汗)。

ただこの「ソウサンベツ川」、「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にはそれらしい名前の川が見当たりません。久しぶりに表を作ってみると……

午手控 (1858) 東西蝦夷山川地理取調図永田地名解 (1891) OpenStreetMap
ヘトカヘトカフトペトッカ別当賀
-ウラヽウシナイウラルシュナイ-
アハシュンクルヘツアハシユンリルヘツアバシルンベコタン川?
チコツフ(リコフ)ヲコホヲマナイ-カイカラコタン川
アトコトホンアトコトアットコトーペッ厚床沼川
シャラヲンヘンヘツシヤラヘンヘツ--
-アトコト-アットコベツ川
--ソーサンペッソウサンベツ川
シヤ(マ)ツケウルシヤマツケウルヽサマッケフル-
-チフトラシヘツサラウンペッヤリムカシ川
ヤルムコシヤヽリフンカウシレプウンカウシ槍昔

「ソウサンベツ川」ですが、永田地名解で「ソーサンペッ」として鮮烈にデビューした……と見るしか無さそうな感じです。「サマッケフル」という丘があり、その傍を流れる川……と言う扱いだったようにも見えます。

やはり、どこかから「ソウサンベツ」という名前が出てきたと考えるしか無さそうなのですが、この川の流域に「滝」があったとも考え難いので、so-sam-pet で「水中のかくれ岩・傍・川」あたりと見るべきなのでしょうか……。

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