2024年3月16日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1123) 「ウカルキナイ川・ルオンネナイ川・クオマナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ウカルキナイ川

{ukur-kina}(-o)-i?
{タチギボウシ}(・多くある)・ところ
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
白糠町上庶路のあたりで北東から庶路川に合流する支流です。どことなく記念受験的な雰囲気も漂いますが……(何の話だ)。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「ウカルキナイ」という川が描かれていて、『北海道実測切図』(1895) でも「ウカルキナイ」と描かれていました。

お遊びか、ガチの決闘か

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Ukaruki nai   ウカルキ ナイ   遊戯澤
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.325 より引用)
なんだ、やっぱり記念受験はお遊びだったのか……という話ではなく(ぉぃ)、鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) によると、次のように解釈したもののようです。

白糠地名研究会は「ウカラ・キ・ナィ ukara-ki-nay ウカラという遊び・する・沢」と解した。川口に設置された標識には「こん棒でお互いに打ち合う遊び」と説明されている。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.235 より引用)
どこかで聞いた話だな……と思ったのですが、おそらく知里さんの『斜里郡アイヌ語地名解』(1960) の「ウカルシュベツ川」の項ですね。

(417) ウカルシベツ(Ukar-ush-pet) ウカル(棍棒で叩き合う,決闘する),ウㇱ(いつも……する),ペッ(川)。「いつも決闘する川」の義。こゝで始終山争いがあつたという。
(知里真志保「知里真志保著作集 3網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.312-313 より引用)※ 原文ママ
ここでも、知里さんの「仁義なき戦い」的な解に対して、永田地名解は随分と穏当な解を示しています。この「ウカル」は、元々は「決闘」の手段だったと思われるのですが、知里さんによると次のような変遷があったのでは、とのこと。

ウカラは,前に述べた如く,棍棒(シツ゚)を以てする打ち合ひであるが,それは何の為に行はれたかと云ふと,(一)紛争が口論(「チャランケ」)のみで決し兼ねた場合,それを解決する最後の手段として用ひられ, また(二)「鬱憤ありて打果すほどの事に及びたる時,あつかひの者入て和談せしめ遺恨なきために互に打て鬱憤を散ずる」(『北海随筆』),即ち和解の手段として用ひられるのである。(三)試合の方法としても用ひた(→註4)。本篇の場合などその一例である。(四)後にはそれがスポーツ化し,更に興行的な行事にまで化した。
(知里真志保「知里真志保著作集 1『樺太アイヌの説話(一)』」平凡社 p.356 より引用)
適切ではない喩えかもしれませんが、日本刀で斬り合っていたものが「剣道」として体系化され、それが「スポーツチャンバラ」に発展?したような感じ……でしょうか?

タチギボウシの川?

閑話休題それはさておき。「ウカルキナイ川」に話を戻しますが、仮に「スポーツチャンバラ川」だったとして、「磯野ー、ウカルやろうぜー」と言ってわざわざ「ウカルキナイ川」まで足を伸ばすというのはちょっと理解に苦しみます。まぁ「ウカルキナイ川」が下流側のアイヌと上流側のアイヌの境界線で、しばしば「仁義なき戦い」が繰り広げられたと考えることは(一応は)可能ですが……。

「タチギボウシ」を意味する ukur-kina という語があります。湿原に自生する草ですが、「ウクルキナ」系の地名は山間の川沿いに多く見られる印象があります。この「ウカルキナイ川」も {ukur-kina}-nay で「{タチギボウシ}・川」だったのではないでしょうか。

おそらく -nay の前には「多くある」を意味する -us-o あたりがあって、それが脱落したと見るべきですが、-o であれば確実に脱落しそうに思えます。ukur-kina-nay であれば「ウクリキナイ」となり「ナ」が一つ余るので、あるいは {ukur-kina}(-o)-i で「{タチギボウシ}(・多くある)・ところ」あたりかもしれません。

ルオンネナイ川

ru-o-onne-nay?
道・ついている・老いた・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ウカルキナイ川の北西、道道 242 号「上庶路庶路停車場線」の起点附近で北東から庶路川に合流する支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が見当たりませんが、戊午日誌 (1859-1863) 「東部久須利誌」には次のように記されていました。

 またしばし山間行
     ルウヲン子ナイ
 左り小川。此辺両山峨々として高し。是シタカロの後ろに当るよし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上』北海道出版企画センター p.525 より引用)
この「ルオンネナイ川」を遡り、分水嶺を越えると「知茶布川」の支流の「炭の沢川」に出ることができます。知茶布川は確かに「シタカロ」(=舌辛)の「後ろ」と言えそうな場所なので、この松浦武四郎の認識は概ね合ってそうですね。

ru-o-onne-nay で「道・ついている・老いた・川」と読めそうでしょうか。この場合の -o も確実に脱落する筈なので、実際には「ルオンネナイ」と発音していた思われます。

わざわざ ru-o- を冠しているのが謎ですが、庶路川の向こう(南西側)を流れる「石の花川」が、『北海道実測切図』(1895) では「オンネナイ」(喉口に入るオンネナイ?)と描かれているようなので、複数存在した「オンネナイ」を区別するための識別子が必要だった、ということみたいです。

クオマナイ川

ku-oma-nay
弓・そこにある・川
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
道道 242 号「上庶路庶路停車場線」の起点から更に庶路川沿いを遡った先で、西から庶路川に合流する支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では何故か庶路ダムのあたりの東支流として描かれています(間違いと見られる)。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Ku oma nai   ク オマ ナイ   機弓ヲ置ク澤
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.325 より引用)
ku-oma-nay で「弓・そこにある・川」と読めそうですね。永田地名解はわざわざ「機弓」と記していますが、これは「仕掛け弓」(アマッポ)を意味すると見られます。

「アマッポ」はトリカブト(など)の毒を塗った矢を獲物の通り道にしかけておいて、獲物が紐に引っかかるとストッパーが外れて矢が射出されるという、全自動式の罠のことです。うっかり人がアマッポの紐に引っかかることが無いよう、「弓のある川」と呼んで注意喚起を行っていた、ということなんだと思います。

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