【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
階段の下の 6 デッキには……
2025年2月28日金曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月27日木曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月26日水曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月25日火曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月24日月曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
| 大日本沿海輿地全図 (1821) | フンヘヲマモイ | - |
|---|---|---|
| 初航蝦夷日誌 (1850) | フンベヲマナイ | 小川有、少しの沢有る |
| 竹四郎廻浦日記 (1856) | フンベマモイ | - |
| 辰手控 (1856) | フンヘマモイ | - |
| 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | フンヘヲマナイ | - |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | フンベマムイ(岩岬) | 鯨有る湾と言儀 |
| 改正北海道全図 (1887) | フンヘモイ | - |
| 永田地名解 (1891) | フンベ オマ ナイ | 鯨川 |
| 北海道実測切図 (1895 頃) | ワッカチヨコキイ | - |
| 北海道地形図 (1896) | ワㇰカチヨコキイ | - |
| 十勝地名考 (1914) | フンベ | 「フンベ」とは鯨をいう |
| 陸軍図 (1925 頃) | 濱フンベ | - |
Humbe oma nai フンベ オマ ナイ 鯨川 往時鯨入リシコトアリ故ニ名クト云フ
フンベの滝のあるところ、滝になって落下する川をフンベオマナイ(鯨のいる川)といって、永田氏は「往時鯨入リシコトアリ故ニ名クト云フ」と記しているが、滝を鯨がのぼることがないので、フンベオマナイは他でも、死んだ鯨の寄るところに名付けられるので、ここも寄鯨のあるところだったと思われる。
この上の山に鯨の骨があり、鯨送りをした跡らしいところがあるというので、昔はよく鯨が漂着したらしいのである。
2025年2月23日日曜日
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
| 原文 | 「日本の未踏路」 完全補遺 (高畑美代子) | 『日本奥地紀行』 普及版 (高梨謙吉・訳) | イザベラ・バードの 日本紀行 (時岡敬子・訳) |
|---|---|---|---|
| A Lady's Toilet | 婦人の化粧 | 婦人の化粧 | 女性の化粧 |
| Hair-Dressing | 髪結い | 髪結い | 髪結い |
| Paint and Cosmetics | 白粉と化粧品 | 白粉と化粧品 | 化粧品 |
| Afternoon Visitors | 午後の訪問客 | 午後の訪問客 | 午後の来客 |
| Christian Converts | キリスト教信者 | キリスト教信者 | キリスト教信者 |
| Popular Superstitions | 流布している迷信 | - | 民間の迷信 |
| Wraiths and Apparitions | 生霊と幽霊 | - | お化け・幽霊 |
| Spiritualism | ? | - | 降霊術 |
| Omens and Dreams | 夢による前兆 | - | 縁起・夢 |
| Love and Revenge | 愛と復讐 | - | 恋愛と復讐 |
食事中に箸が折れるとそれは死のしるしである。
北東は特に鬼門(悪魔が潜んでいる)とされている方角なので、家が壊れるといけないので、北東に向けて家を建てる人はほとんどいない。
どんなことがあっても若い娘に赤飯の茶碗に茶を注がせることはできない。
縁起が悪くなるので、夜の 5 時過ぎてから新調したばかりの着物や履物を身につける人はいない。
もし、若者が火鉢 ではなく、行灯 の火でタバコの火をつけると、良妻に恵まれない。
子どもたちが釜の底に時々残った焦げたご飯を食べることがあるが、そんなことをするとあばた顔の相手と結婚することになると脅される。
疱瘡が流行っているとき、子どもが罹かるのを防ぐ「まじない」は家の前に、子どもたちは留守だという注意書きを貼ることです訳注 2。
小さい子どもが鏡をのぞくことは許されない。幼児が自分の幼顔を見ると、その子が成長して結婚したとき、最初の子どもは双子ができると信じられているからです。
昨日は一人の召使が抜いたばかりの歯を埋めているのを見た。そして、下あごから抜けた歯なら、屋根の上に投げ、上あごから抜けたときは出来るだけ土台近くの下に埋めると、抜けた穴から、新しい歯が生えてくると人々が信じているからだとわかった。
農村では、日食、月食の間は、開いた井戸には蓋をしておく、そうしたとき、空から毒が落ちてくると信じてのことだ。数日前に私は白沢でそうするのを見たのです訳注 3。
[訳注 3] 秋田県大館地方(白沢は大館市)には、「葬式の時は井戸に蓋をする」という俗信がある(「俗信としつけ」『大館市史』第四巻、大館市、1981 年、 p .640) 。
一気に「第三十五信」の終わりまで駆け抜けようかと思ったのですが、ちょっとだけ長くなりそうなので、次に回します。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
2025年2月22日土曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
「西広尾川」が北側、「東広尾川」が南側を流れているのですが、これはアイヌ語における「コイカ」(=千島側)「コイポㇰ」(=函館側)とも一致しない、不思議な考え方の命名です。あえて類例を探せば知床半島における「西蝦夷地」(北西側)と「東蝦夷地」(南東側)に近いと言えるかもしれませんが、広尾と知床には地形上の類似点も見いだせないのでおそらく無関係かと……。
茂寄 もより
広尾町内の地名,旧村名。広尾の出岬があるので,その北がゆるい入江の形になっている。その部分がモヨロ「モイ・オロ moi-or。入江の・処(内部)」と呼ばれ,それが茂寄村となり,その辺一帯の称となっていた。
2025年2月21日金曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月20日木曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月19日水曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月18日火曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月17日月曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月16日日曜日
2025年2月15日土曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
札楽古川 (さつらっこがわ) 楽古川中流右から入る川。アイヌ語の乾く楽古川の意。
2025年2月14日金曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月13日木曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月12日水曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月11日火曜日
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
私が思うには、「若い日本国」は、その迷信をばかにして笑っているふりをするけれど、下層階級のすべての女たちと大半の男たちは、一般的な生活の中での迷信を信じています。
もう一つは、「シ」には、一つには死の意味があるので「シ」の音節を含む言葉を元旦には一切使ってはいけないというものでした。
人々はいつも家に入るとき土間に履物を脱いでおくのですが、うんざりした客の履物の裏でモグサを燃やすと、その客を追い払うことが出来ると信じられている。
また,これわ人の氣をも鎭める力を有している。例えば誰か怒っている人の所え行く際わ,その家の近くまで行ったらイケマを噛んで,密かにその人の名を呼びながら,
e-ramu お前の心を
an-rayke 殺したぞ!
と唱えて吹きつける (epuruse) と,相手の氣わ鎭まっているものだとゆう(眞岡)。
紫あるいはスミレ色は、結婚式では、花嫁、花聟のどちらも着てはいけません。それは、これらの色がどの色より早く褪せる色なので、早く離婚するといけないからです。
歩いている間に鼻緒が身体の前方で切れると、履いている人の敵に災いがかかり、鼻緒が身体の後方で切れると、履いている人自身に災いがかかる前兆であるとされています。
私たちの国でもそうですが、塩には、多くの不可思議な意味があると考えられています。
夜に塩を買ってはいけないし、日中に買ったときは、不運や家族のうちわもめを避けるために、そのひとつまみを火に投げ入れなければなりません。また葬式の後では、門口の辺りにも撒かれます。
もし漁師が油に行く途中で坊さんに出会ったら、その日は一匹も魚がとれないと予想されます。
この災いを避けるためには、左手に柄杓を持ち、柄杓にいっぱいの水を 3 回撒かなければなりません。
北部の人々の間では、いたるところに迷信があります。もし、茶碗のなかに茶の茎が落ち、一瞬茶柱が立ち、それが倒れると、その方角から客がくると期待されると考えられています。
ぼんやりして、急須の注ぎ口以外のところからこぼしてお茶を注ぐと、それは坊主が近づいているしるしなのです。
障子に映った鳥の影はきっと客が訪ねて来るという「予兆 」です。ここでは、これらのことがあまりに固く信じられていますので、娘たちは、そのどれか一つでもが起こると、髪に何か小さな髪飾りをつけ加えるほどです。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
2025年2月10日月曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月9日日曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
O-pish oma nai オピㇱュ オマ ナイ 濱川 海濱ノ方ヘ向テ流ル川「オピショマナイ」ト云フハ急言ナリ
松浦山川取調図、官林境界図、実測切図(北海道庁発行20万分図、明治26年)はいずれも楽古川の支流として記入されているが、地理院 5 万分図(大正 9 年測量、昭和53年編集)は、川口近くで楽古川に沿って流れてから、直接太平洋に流入しており、これが地名と合致している。現在は楽古橋のすぐ上手から、楽古川に入っている。
2025年2月8日土曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
| 東蝦夷地名考 (1808) | ラツコベツ | ラツコは落なり。又獣のラツコも── |
|---|---|---|
| 大日本沿海輿地全図 (1821) | ラツコ川 | - |
| 蝦夷地名考幷里程記 (1824) | ラツコ | 獵虎流れ寄りしより |
| 初航蝦夷日誌 (1850) | ラツコベツ | 此名定而昔ラツコに 而も揚りしより |
| 竹四郎廻浦日記 (1856) | ラツコヘツ | 昔し野火の有て此辺の 山々を皆焼尽せしが── |
| 午手控 (1858) | ラツコ | - |
| 戊午日誌 (1859-1863) | ラツコ | - |
| 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | ラツコ | - |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | ラツコ | 獵虎が流れよりしが故、 奥の方の山燒來り此處にて留りし |
| 改正北海道全図 (1887) | ラツコ | - |
| 永田地名解 (1891) | ラㇰ コ ペッ | 火消川 |
| 北海道実測切図 (1895 頃) | ラツコペッ | - |
| 北海道地形図 (1896) | ラㇰコペツ | - |
| 十勝地名考 (1914) | ラッコ | 原称は「ラック・ベツ」。 山火この川に至りて止みたるより |
| 陸軍図 (1925 頃) | 樂古川 | - |
| 北海道の川の名 (1971) | 楽古川 | (東蝦夷日誌のラッコ説を引用) |
| アイヌ語地名解 (1982) | 楽古 | 火消川とラッコ伝説があるが、 いずれも信じがたい |
| 北海道の地名 (1994) | 楽古 | ラッコ説(上原熊次郎の記録と 東蝦夷日誌に言及) |
一 ラツコベツ
ラツコは落なり。瀧をラツキベと云。キコ通音。又獣のラツコも海岸の岩に上り居る處へ蝦夷舟至れハ落る如くに海底に入を以てラツコルと云しを、語略してラツコと云。
補註 1.──ビホロの古老,菊地儀之助翁の言によれば,ラッコのことを,ふだんは atuy-esaman と言うのだが,その語は夜間に使ってはいけないことになっていた。夜間にその語を口にするとカワウソがばけて出てくるからというのだ。それで,夜は atuy-esaman と言わずにもっぱら rakko とよび,いまではそれが一般に通用するようになってしまったのだという。
此地名昔し野火の有て此辺の山々を皆焼尽せしが此処にて留りしと云事なる由。不思議なことに、松浦武四郎は後の『東蝦夷日誌』では「ラッコ説」と「野火止説」の両論併記に「後退」しています。
ラツコ〔臘狐、樂古〕(川幅十七八間、舟渡し也)名義、昔し爰へ獵虎が流れよりしが故に號く(地名解)。また奥の方の山燒來り、此處にて留りしに依ても言傳ふ(惣乙名 ハユヘク申口)。
Rak ko pet ラㇰ コ ペッ 火消川 北地ヨリ山火燃エ來リ此川ニ至リテ消滅セリ故ニ名クト「アイヌ」云フ
じつは然らず、山火この川に至りて止みたるより、「ラック・ベツ」と唱うるを正なりとす。
Rak, v.i. To settle as rubbish in water. Jap. Odomeru. 澱メル。
─ka, v.t. To set to settle as muddy water. Jap. Sumaseru. 澄マセル。
Rak, v.i. To pass away as clouds from the horizon. See Rak-rak. Jap. Kumo Ga Sanjiru. 雲カ散シル。
ラㇰラㇰパイェ【rak-rak-paye】
晴れてゆく [ユ].
① 瀬 ② 川ノ浅瀬(rakka)
- ラッカ 1
① 冽(きよし)(※きよい、水が澄んでいる─白浜注) ② 澄マセル(泥水ヲ)(rakka)
- ラッカ 2
① 箭羽 ② 羽、炭(ラㇷ゚)
- ラップ 1
① 猟虎(子) ②〈動物〉ラッコ(子)(ラップ)
- ラップ 2
① 鳥の羽 ② 羽、翼(ラㇷ゚)
- ラップ 3
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
2025年2月7日金曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月6日木曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月5日水曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月4日火曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月3日月曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年2月2日日曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
野 塚(のづか)
所在地 (十勝国)広尾郡広尾町
開 駅 昭和7年11月5日 (客)
起 源 アイヌ語の「ヌㇷ゚カ」(野原)から出たものである。
Nupka pet ヌㇷ゚カ ペッ 野川 「ノツカベツ」ト云フハ非ナリ
| 大日本沿海輿地全図 (1821) | ノツカ川 |
|---|---|
| 初航蝦夷日誌 (1850) | ノツカ |
| 竹四郎廻浦日記 (1856) | ノツカ |
| 辰手控 (1856) | ノツカ |
| 午手控 (1858) | ノツヽ |
| 戊午日誌 (1859-1863) | ノツカ |
| 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | ノツカ |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | ノ |
| 改正北海道全図 (1887) | 野塚川 |
| 永田地名解 (1891) | ヌㇷ゚カ |
| 北海道実測切図 (1895 頃) | ヌㇷ゚カペッ |
| 十勝地名考 (1914) | ノッカは「ヌプカ」に由来 |
| 陸軍図 (1925 頃) | 野塚川 |
| 植民地区画図 (1932) | 野塚(ヌプカ川) |
| 北海道駅名の起源 (1973) | 野塚は「ヌㇷ゚カ」に由来 |
| 北海道駅名の起源 (1973) | 野塚は「ヌㇷ゚カ」に由来 |
ノフカ(小川、此處四丁計の間、小流四すじ有)、大川原になる。名義、野より流れ來る儀なり。
そう言えば……という話ですが、「野塚川」を遡ると日高山脈の「野塚岳」にたどり着くのですが、その西側を国道 236 号の「野塚トンネル」が南北に貫通しています。「野塚トンネル」とかつての「野塚駅」の由来が同じだった可能性が出てくるのですが、これもちょっと意外な感じもします。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
2025年2月1日土曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
「ハルニレ」が chikisani なのは、火起こしに便利な木だからとされます。火を起こす際に「木を擦 る」ので、「我ら擦 る木」と呼ばれた……ということのようです。
Echi kisa-i エチ キサイ 火ヲ取リシ處 直譯吾人ガ木片ヲ摩擦シテ火ヲ取ル處往古神アリ火ヲ取リテ「シューキナ」ヲ烹テ食ヒシ處ナリト云フ