2025年8月2日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1263) 「ムコロベツ川・ルチシベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ムコロベツ川

mokor-pet?
眠っている・川
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 236 号「天馬街道」の「女名春別橋」の近くで南からメナシュンベツ川に合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) では「ムコロペッ」と描かれていて、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では「モコロヘ」と描かれています。

ただ「爾萬」の項でも記した通り、『東西蝦夷山川地理取調図』と『北海道実測切図』の記録は看過できないレベルの異同があります。改めて現存の川名を含めて表にしてみると……

戊午日誌
(1859-1863)
東西蝦夷山川地理
取調図 (1859)
北海道実測切図
(1895 頃)
現在(推定含む)
メナシベツメナシヘツメナㇱュウンペッメナシュンベツ川
--サウンウペㇱペッシマン入口川
サウヌウベンヘ
(右の方小川)
サヌウシヘキムウンペㇱペッシシャモ川
-ニマムノキペパ?田中川?
キムヌベンベツ
(右の方小川)
キムンウシヘムコロペッムコロベツ川
ニマム
(左りの方小川)
---
ヌイベハ
(左りの方小川)
ヌイヘハ--
ワツコイ
(左りの方小川)
ワツコイ--
ホロコツ
(左りの方平山)
ホロコツ--
コヱホクメナシベツ
(左の方小川)
(メナシベツ中の大川)
コエホクメンヘツニオペッニオベツ川
ホロカン
(右のかた小川)
ホロカンニナラケㇱュオマナイ?-
モコロベ
(右のかた小川)
モコロヘニナルナイ?-
サウントイ
(右のかた小川)
サウシベルベㇱュペ?-
ヲホナイ
(左りの方小川)
ヲホナイエオルケㇱュオマナイ?-
ブトヒリカナイ
(左りの方小川)
フトヒリカナイ-
--エオルオムナイ-
ニナルケシヨマナイ
(左りの方小川)
---
キムントイ
(右の方小川)
(其上に沼有)
ニヲヘツタン子ルㇱシュペ?タンネルシュベツ川
ニヲヘツ
(左りの方小川)
-ニサキオルナイ?メナシュンベツ一号川
-ニナルヘツウヌンコイマウカクシュナイ?メナシュンベツ二号川
ニナルベツ
(左りの方小川)
(シノマンメナシヘツ)
ニナルケシヲシマナイコイカクㇱュメナㇱュウンペッ?-
--コイポクウㇱュメナㇱュウンペッコイポクシュメナシュンベツ川
-ニイカウシベ--
--エオリナイ-
--プト゚ピリカウンナイ-
--メナシュクシュナイ-
--シュムクㇱュペッ-
--アシ子ヘツ-
--オムシャランペッ-
--オムシャヌプリ楽古

もはや表として成立しないレベルになってしまいました。この手の表を作成する場合、*確実に* 同一と見做せる川名をピックアップして基準にするのですが、今回はなんと「メナシベツ」(=メナシュンベツ川)以外に確実なものが見当たらないように思えます。

「東西蝦夷──」と「実測切図」、信用すべきは

戊午日誌「保呂辺津誌」の記録で唯一使えそうだと思われるのが「メナシベツ中の大川」と記録された「コヱホクメナシベツ」で、「最大の左支流」であれば現在の「ニオベツ川」に相当すると見込まれます。

この表を良く見ると、名前が似ていて位置が異なる川が非常に多いことに気付かされます。たとえば「モコロベ」と「ムコロペッ」の他にも「ニヲヘツ」と「ニオペッ」や、「ブトヒリカナイ」と「プト゚ピリカウンナイ」、「コヱホクメナシベツ」と「コイポクウㇱュメナㇱュウンペッ」などがあります。

普通に考えればこれらの記録が同一の川を指していると見るべきなのですが、川と川の前後関係を考慮すると、矛盾なく並べることができないように思えます。

北方資料デジタルライブラリーで閲覧できる北海測量舎図には、北海道実測切図に記入のない川名も描かれていました。何かのヒントになるかと思ったのですが、更に混迷の度を深めただけでした……。

「東西蝦夷──」と「実測切図」でこれだけの違いがあるというのは、どちらかが、あるいは両方が大きく誤っているということになります。地図としての精度は「実測切図」のほうが上なので、「松浦武四郎がガセネタを掴まされた」と仮定すれば全てが片付くという噂もありますが……。

ツルニンジンの根のある川?

現在の「ムコロベツ川」が松浦武四郎が記録した「モコロベ」と同一位置にあるかは疑わしい……ということになりそうですが、『北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 ムコロベツ川 メナシウンベツ川の左小支流でつるにんじんのある川の意。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.575 より引用)
確かに muk で「ツルニンジンの根」を意味するので、muk-oro-pet で「ツルニンジンの根・の所・川」ではないか……ということですね。ただ、手元の資料では、-or あるいは -oro の前に特定の植物名が来るケースが殆ど見当たらないのですね。

muk を名詞ではなく完動詞と見た場合は、mu と同様に「塞がる」という意味になるのですが、-or あるいは -oro の前に動詞が来るのはあり得ないように思えます。

眠っている川!?

少し考えてみたのですが、muk-ot-pet で「ツルニンジンの根・多くある・川」であれば違和感が少ないかな、と思えてきました。そして、もう一つの可能性として mokor-pet で「眠っている・川」と考えられたりしないかな、と。

「『川が眠る』とは何だ?」と思われるかもしれませんが、実は自分でも良くわかっていません(ぉぃ)。網走の近くの「藻琴湖」も mokot-to で「眠っている・沼」ではないかという説がありますが、「山に囲まれていて波が静かである」故に「眠っている」のではないか……とのこと。

ん、そう言えば松浦武四郎は「ベ」と記録していましたね。よく見たら mokor-pet そのものじゃないですか……(!)。

そして「東西蝦夷──」と「実測切図」はどっちが信用できるか……という話ですが、「ムコロベツ川」と支流の「ホリカン川」の地形上の特徴を考慮すると、どちらも「実測切図」に軍配が上がります。わざわざでっかい表を作って検討したものの、メナシュンベツ川筋の松浦武四郎の記録は、特にその位置(や順序)については深く信が置けるものではないのかもしれません。

ルチシベツ川

{ru-chis}-pet??
{峠}・川
(?? = 旧地図で未確認、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ムコロベツ川は四等三角点「上拓農」の西で二手に分かれていて、国土数値情報によると北側の支流が「ルチシベツ川」とのこと。

ru-chis は「路・中くぼみ」で「峠」や「山の鞍部」を意味するのですが、実際にルチシベツ川がムコロベツ川に合流する地点の北が ru-chis と呼ぶに相応しい地形です(但しルチシベツ川は「峠」が水源ではありませんが)。

{ru-chis}-pet で「{峠}・川」と考えられますが、『北海道実測切図』(1895 頃) には川名が描かれていないため、古くから存在したアイヌ語地名であるかどうかは不明です。

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