2025年8月1日金曜日

北海道のアイヌ語地名 (1262) 「爾萬・シシャモ川・ホリカン川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

爾萬(にまん)

nima??
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
メナシュンベツ川シマン川(どちらも日高幌別川の支流)の間あたりに「丸山」という山があるのですが、その頂上付近に「爾萬にまん」という三等三角点があります(標高 287.0 m)。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「メナシヘツ」(=メナシュンベツ川)の支流として「ニマム」と描かれていました。『北海道実測切図』(1895 頃) では「メナㇱュウンペッ」(=メナシュンベツ川)と「シュマン」(=シマン川)の間に「ニマム」と描かれています。

戊午日誌 (1859-1863) 「保呂辺津誌」には次のように記されていました。

 またしばしを過て
      ニマム
 左りの方小川にして、其名義不解なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.416 より引用)
ここで気になるのが「左りの方小川」という記述なのですが、戊午日誌が記録した川名と、東西蝦夷山川地理取調図・北海道実測切図に描かれた川を表にして、現在の川名を推定することにしました。

戊午日誌
(1859-1863)
東西蝦夷山川地理
取調図 (1859)
北海道実測切図
(1895 頃)
メナシベツメナシヘツメナㇱュウンペッ
--サウンウペㇱペッ(*1)
サウヌウベンヘ右の方小川サヌウシヘキムウンペㇱペッ(*1)
-ニマム-
キムヌベンベツ右の方小川キムンウシヘムコロペッ(*2)
ニマム左りの方小川-ノキペパ?
ヌイベハ左りの方小川ヌイヘハ-
ワツコイ左りの方小川ワツコイ-
ホロコツ左りの方平山ホロコツ-
コヱホクメナシベツ左の方小川
メナシベツ中の大川
コエホクメンヘツニオペッ(*3)
ホロカン右のかた小川ホロカンニナラケㇱュオマナイ?
モコロベ右のかた小川モコロヘニナルナイ?

*1 北海道実測切図はメナシュンベツ川河口附近(志満橋附近)に「サウンウペㇱペッ」を描いているが、戊午日誌は「サウヌウベンヘ」について、メナシベツ河口から「しばしを上り」と記しているため、記述に矛盾があると判断した。

*2 実測切図は「ムコロペッ」としているが、戊午日誌には更に山奥に「モコロベ」が存在すると記録していて、また「モコロベ」の手前に「メナシベツ中の大川」とされる左支流が存在するとの記録を考慮すると、実測切図の「ムコロペッ」の位置には疑義が生じる。

*3 実測切図はメナシュンベツ川の最大の支流を「ニオベツ川」とするが、松浦武四郎の記録では「コヱホクメナシベツ」としている。最大の支流であることを考慮すると「コヱホクメナシベツ」というネーミングのほうが妥当に思われる。

実測切図の川名は信頼できるか?

ここまで見た限りでは、メナシュンベツ川最大の支流を「ニオペッ」とする実測切図が疑わしく思えてきます。「では松浦武四郎の記録に信が置けるのか?」という話ですが、戊午日誌にはメナシベツの河口に止宿する前に「余は小使壱人を召連て、三ケ所の川々を見物に上りぬ」と記しているので、少なくともこのあたりの記録は聞き書きでは無さそうに見えます。

本題の「ニマム」ですが、位置的には「女名春別橋めなしゆんべつばし」の近くでメナシュンベツ川に合流する「田中川」に相当する可能性がありそうに思えます。

肝心の地名解ですが、これがまた謎でして……。古語で「舟」を意味する nimam という語があるので、nimam で「」と考えられるかどうか……。なお『藻汐草』(1804) によると「ニマム」で「舟の神」「海の神」を意味するとのこと。

また nima で「」などの木製の皿を意味するとのこと。『午手控』(1858) には「キムヌヘンヘツ」の次に「ニマ小川」とあるので、「ニマン」は nima に関係する地名である可能性も考えたいところです。

「田中川」や「学校の沢川」が流れるあたりは「上杵臼開拓地」で、山の中にしては南向きのちょっとした地のようになっています。この地形を「浅い皿」に見立てた符丁だった……と想像するのは、さすがにやり過ぎでしょうか……。

シシャモ川

sisam???
日本人
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
問題の「爾萬」三角点の南でメナシュンベツ川に注ぐ南支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) では「キムウンペㇱペッ」と描かれていますが、あるいは「サウンウペㇱペッ」だったかもしれません。

現在の「シシャモ川」がアイヌ語に由来するかどうかはなんとも言えませんが、sisam で「日本人」を意味する可能性がありそうです。このあたりは砂金採取のために日本人が大挙して訪れたことがあった(様似町の「カネカリウシナイ川」や「シャモマナイ川」も参照ください)、かつて日本人が住んでいたなどの理由で「シシャモナイ」と呼んだ可能性も……あるかもしれません。

ホリカン川

{horka-an}??
{我ら U ターンする}
(?? = 旧地図で未確認、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 236 号「天馬街道」の「女名春別橋めなしゆんべつばし」のあたりで「ムコロベツ川」が合流しているのですが、「ムコロベツ川」を 0.8 km ほど遡ったところで「ホリカン川」が合流しています。メナシュンベツ川から見ると「支流の更にその支流」ということになりますね。

{horka-an}-nay? で「{我ら U ターンする}・川」と読めそうでしょうか。実際にこの川を遡ると日高幌別川の河口方面に向かうので、まさに horka な川なのですが……。

ただ、「爾萬」の項で表にまとめたとおり、本来の「ホロカン」は更に東、「ニオベツ川」の合流点よりも東にあった……という記録があります(松浦武四郎による)。この「ホロカン」は「メナシュンベツ川」の支流だったことになるのですが、「U ターンする川」と言えるか……と言われると、正直微妙な感じもします。

松浦武四郎のインフォーマントが「メナシュンベツ川」を案内するふりをして、実は(「仕事」を早く終わらせるために)「ムコロベツ川」を案内した……という想像もしてみたのですが、流石にちょっと無理がありそうな気もします。むしろ現地でうっかり川名を取り違えたと見るべきかもしれませんが……。

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