2025年7月4日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1250) 「ポンヒラウ川・ビライト川・カネカリウシナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ポンヒラウ川

pon-pira-utur???
小さな・平宇
(??? = アイヌ語地名と考えられるかどうか疑わしい)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似町を流れる「門別川」の東支流で、北隣に「ポンモンベツ川」が流れています。「ポンヒラウ」というネーミングからは「平宇(平鵜)」との関係が想像されますが、松浦武四郎は「海岸部の地名」として「ヒラウトル」を記録しているので、本来の「平宇」は海岸部の地名だった可能性があります。

北海道実測切図』(1895 頃) には「ポンヒラウ川」の位置に「ウエンペシウト゚ル」と描かれているように見えます。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ウエンヘツシルトル」と描かれています。

「ウエンヘツシルトル」を素直に解釈すると wen-pet-sir-utur となり、「悪い・川・山・間」と解釈できそうですが、pet-sir(川・山)という繋がり方は異様に不自然です。

地名アイヌ語小辞典』(1956) には pesor で「水中に突き出た出崎」という語が記載されていますが、ポンヒラウ川は内陸部の川なので、pesor とは呼べないように思われます。となると pes で「水際の崖」でしょうか。

「実測切図」に描かれた「ウエンペシウト゚ル」であれば wen-pet-utur となり「悪い・水際の崖・間」と解釈できそうなのですが、松浦武四郎が残した「ウエンヘツシルトル」という記録との整合性という意味では若干の問題が残りそうに思えます。

「ポンヒラウ」はアイヌ語地名か?

そもそも「ウエンペシウト゚ル」と「ポンヒラウ」では大きな違いがあるのですが、どちらも元を辿れば「崖」に辿り着きそう……という共通点があります。

pes が「岩崖」で pira は「土崩れ崖」という説もあるのですが、どちらも「崖」系の地名だということで、一度は村名にもなった「ヒラウ(平鵜)」が優勢になり、本来は海沿いの地名だった「ヒラウ」ではないということで「ポン」を冠した……あたりかもしれません。

「実測切図」に描かれた「ウエンペシウト゚ル」は紛うことのない「アイヌ語地名」だと思われるのですが、現在の「ポンヒラウ川」という川名はアイヌ語の語彙で形成されているものの、「アイヌ語地名」の流儀から逸脱した部分が大きいようにも思えます。

どうもアイヌ語の語彙をつなぎ合わせただけの地名である可能性もありそうですが、そもそも「アイヌ語地名とは何か」という話になりそうですね……。

ビライト川

pira-etu?
崖・鼻(岬)
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似町の市街地と門別川の間で直接海に注いでいる川です。もともと様似町平宇はこのあたりの地名だったと考えられるのですが、現在は「ビライト川」と「西平宇川」が流れています。

北海道実測切図』(1895 頃) には「ピライト」と「ポンピタラ」という地名が描かれています。どちらも面白いことに『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には見当たらない地名です。

「ビライト」は pira-etu で「崖・鼻(岬)」と読めそうです。これは川の名前ではなく岬状の崖の名前だと考えられるので、本来はビライト川の西に位置する四等三角点「高山」(標高 58.6 m)あたりの名前だった可能性がありそうです。

カネカリウシナイ川

kani-kar-ua-nay
金属・取る・いつもする・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
かつての様似中学校(現在は特別養護老人ホーム「様似ソビラ荘」)の北を西に向かって流れ、最終的に南に向きを変えて海に注いでいると見られる川です。

北海道実測切図』(1895 頃) には「カ子カルシナイ」という名前の川が描かれていました。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「カ子カルウシ」と描かれています。

東蝦夷日誌 (1863-1867) には次のように記されていました。

過て(十一町五十間)カネカルウシ(小澤)、此上にて昔し金坑を開きし故、此名有と。是も寛文亂の時に廢坑せし由。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.215 より引用)
永田地名解 (1891) にもほぼ同じ内容で記載がありました。kani-kar-us-i で「金属・取る・いつもする・ところ」と読めそうですね。現在の川名は「カネカリウシナイ川」なので kani-kar-ua-nay で「金属・取る・いつもする・川」と考えれば良さそうです。

なお「寛文乱」は「シャクシャインの戦い」のことです。「砂金掘り」もシャクシャインの戦いで蜂起したアイヌの攻撃対象となり、その余波で「カネカルウシ」での砂金掘り(と思われる)も廃れた……ということだと思われます。

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