2025年7月25日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1259) 「東ライベツ川・日高幌別川・トメナ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

東ライベツ川

ray-pet???
死んだ・川
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
鵜苫川と日高幌別川の間で直接海に注ぐ川……ですが、おそらく日高幌別川の旧河道で、いわゆる「三日月湖」状態のようです。「川」というよりは「水たまり」に近いかもしれません。

北海道実測切図』(1895 頃) には河跡湖と思しき川?が描かれていますが、残念ながら川名の記入はありません。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ホロヘツ」(=日高幌別川)と「ウトマヘツ」(=鵜苫川)の間に「フシコヘツ」と描かれています。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Hushiko pet   フシコ ペッ   古川 「ポロペツ」ノ舊流ニシテ往昔ハ大川ナリシガ中古流レヲ變ジ今ハ小川トナリタリ蝦夷紀行ニ云フ山下ニ水溜リテ池ノ如ク流レテ海ニ入ル「ポロペツ」ノ舊流ナリト
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.272 より引用)
やはり「日高幌別川」の旧流と見て良さそうな感じですね。husko-pet で「旧・川」と見て良さそうです。

「東ライベツ川」という名称は『北海道実測切図』や陸軍図では確認できませんが、「東幌別」という地名があり、そこに存在する旧河川なので poro-petray-pet に改めたということかもしれません。

ray-pet は『地名アイヌ語小辞典』(1956) にも立項されていました。

ray-pet らィペッ もと‘死んだ川’ の義。古川で水が流れるとも見えず停滞しているもの。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.106 より引用)
ray-pet で「死んだ・川」なのですが、これは「水の流れが死んだように遅い川」とも解釈できます。今回の場合は完璧なダブルミーニングと言えそうですね。

意味が明瞭で地形上の特徴とも一致するので「アイヌ語地名」と考えて良さそうですが、「陸軍図」以前の地図で「ライベツ」という地名・川名を確認できないので、不本意ですが「要精査」と言うことに……。

日高幌別川(ひだかほろべつ──)

poro-pet
大きな・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型多数)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浦河町東部、国道 236 号「天馬街道」沿いを流れる大河です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ホロヘツ」とあり、『北海道実測切図』(1895 頃) では「幌別川」と描かれています(河口は現在よりかなり西偏しています)。

戊午日誌 (1859-1863) 「保呂辺都誌」には次のように記されていました。

ホロヘツとは大河と云義にして、東西蝦夷地同名多し。然りといへども別に冠らする名も無が故に、今此名を以て号る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.405 より引用)
「今更言うまでも無いけれど」というニュアンスが丸見えなのが味わい深いですね。永田地名解 (1891) に至っては……

Poro pet   ポロ ペッ   大川
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.271 より引用)
見事にそのまんまですね……。

『北海道駅名の起源』(1973) には次のように記されていました。

  日高幌別(ひだかほろべつ)
所在地 (日高国)浦河郡浦河町
開 駅 昭和12年8月10日
起 源 アイヌ語の「ポロ・ペッ」(親である川)から
出たもので、付近を流れる幌内川を指したものであるが、室蘭本線に同名の駅があるため「日高」をつけたものである。
(『北海道駅名の起源(昭和48年版)』日本国有鉄道北海道総局 p.94 より引用)※ 原文ママ
「ポロ・ペッ」を「親である川」とするのは知里さんテイストですが……あれっ? 何故か「幌内川」になっちゃってますね。 1954(昭和 29)年版では「附近を流れる幌別川」となっているので、誤字……なんでしょうね。

更に不思議なことには、「東西蝦夷──」にも「ホロヘツ」の支流?として「ホロナイ」と描かれています。「実測切図」には川の西側にも河跡湖が描かれていますが、陸軍図では既にその存在を確認できなくなっています。ただ永田地名解には「ポロ ナイ」と「ポン ポロ ナイ」が立項されていました。

いずれにせよ「ホロヘツ」は poro-pet で「大きな・川」と見て良いかと思われます。流域面積で見れば約 335 km2 で、元浦川の流域面積が約 240 km2 であることを考えると、日高幌別川は「浦河町最大の川」と言えそうですね。

トメナ川

to-mena
沼・枝川
(? = 旧地図に記載あり、既存説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高幌別川を河口から 3 km ほど遡ったところで東から合流する支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「トメナ」とあり、『北海道実測切図』(1895 頃) には「トーメナ」と描かれています。

マツイシメナ、マツリシメナ?

『角川日本地名大辞典』(1987) には次のように記されていました(例によって孫引きですいません……)。

文化年間の「東蝦夷地各場所様子大概書」によれば,ウラカワ場所内に「マツリシメナ,蝦夷家数三軒,渡し場より壱里拾弐丁」とある(新北海道史 7)のが当地のことと思われる。
(『角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)』角川書店 p.992 より引用)
また『竹四郎廻浦日記』(1856) には次のように記されていました。

浜より少し上り(壱里十二丁)て字マツイシメナ、当時略してメナと斗唱る也。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読『竹四郎廻浦日記 下』北海道出版企画センター p.497 より引用)
どうやら「マツリシメナ」あるいは「マツイシメナ」と呼ばれていて、それがどこかのタイミングで「トーメナ」に化けたみたいですね。

屈曲なしたる所の……?

戊午日誌 (1859-1863) 「保呂辺都誌」には次のように記されていました。

またしばし川まヽ上をば上りて
     トメナ村
右のかた小川也。其名義川すじ屈曲なしたる処の小さき方と云儀なり。川幅せまくしてふかし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.409 より引用)
???? これはどう考えれば良いのでしょう……。

mena は「目名」などでたまに見かける語ですが、意外としっくり来る解釈に辿り着けない印象があります(個人の感想です)。『地名アイヌ語小辞典』(1956) には次のように記されていました。

mena メな ① 上流の細い枝川。② 【シズナイ】たまり水。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.59 より引用)
今回は「シズナイ静内」ではなく「ウラカワ浦河」ですが、同様に「たまり水」と見て良さそうかな……と考えてみました。ただ戊午日誌には「川幅せまくしてふかし」とあるので、「細い枝川」と見たほうがいいかもしれません。

「トメナ」を素直に解釈すると to-mena となりそうですが、to を「沼」と考えるのは、「川幅せまくしてふかし」という記録と矛盾するように思えます。

妹? 妻? 女神?

そして「マツリシメナ」あるいは「マツイシメナ」は何だったのか、というところが気になります。「妹」あるいは「妻」を意味する tures という語があり、「アイヌの神々の物語」では mat-tures で「女神」を意味するとのこと。

日高幌別川には、もう少し上流側(国道 236 号・西舎橋の北あたり)に「ペケレメナ」という支流があったとのこと。「マツリシ──」や「ト──」は「ペケレメナ」と区別するために付加された可能性も出てきます。

お手上げ(汗)

色々と考えてみたのですが、結論は出そうにありません(汗)。to-mena で「沼・枝川」と考えるしか無さそうな気もします。

「沼」と「枝川」という名詞が続くのは若干の違和感もありますが、たとえば to-ne-mena で「沼・のような・枝川」だったとか、あるいは to-us-mena で「沼・ついている・枝川」だったと仮定すれば、違和感も解消できそうですし……(近くに「ペケレメナ」もあるので、「メナ」の前に何らかの接頭語が付加されても不自然ではありません)。

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