2025年7月5日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1251) 「様似」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

様似(さまに)

e-sam-an-pet??
頭(岬)・の傍・にある・川
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似郡様似町の中心地で、かつて日高本線の終点だった「様似駅」のあったところです。江戸時代には蝦夷三官寺の一つだった「等澍院」のあったところで、古くから開けていた場所でした。

ということで、古くからの記録が山ほどある筈なので、表にまとめてみましょうか。

東蝦夷地名考 (1808)シヤマニシヤマは横、ニは木
シャマニといへる女夷ありし
東行漫筆 (1809)シャマニシヤマニと云女ノ子開きたる所
大日本沿海
輿地全図 (1821)
シヤマニ-
蝦夷地名考幷
里程記 (1824)
シヤマニ故事不相分
初航蝦夷日誌 (1850)ヱシヤマニ-
竹四郎廻浦日記 (1856)シヤマ(ニ)ベツ-
午手控 (1858)シヤマニ獺の故事
蝦夷地名
奈留邊志 (1859)
シヤマニヱシヤマニ(獺)
東西蝦夷山川地理
取調図 (1859)
エシヤマニ-
戊午日誌 (1859-1863)エシヤマニかわうそ
シヤン(高山)マニ(有る所)
女の游ぎたる
東蝦夷日誌 (1863-1867)シヤマニ高山有るところ
女が此所より彼方に游ぎし
蝦夷地道名国名郡名
之儀申上候書付 (1869)
様似郡シヤンマニ。高山在る、獺
アイヌ語地名の
命名法 (1887)
Shamani
永田地名解 (1891)エサマン ペッ獺川
アイヌ地名考 (1925)SAMANISan-mau-ni「腐った木、または
波で海岸に洗い上げられた木の地」
Shan-an-i「岩棚の地」
北海道駅名の起源 (1954)エサマン・ペッ獺・川
様似町史 (1962)トムサンペツ山脇を下る川
北海道の川の名 (1971)E-samam-pet頭(水源)・横になっている・川
北海道駅名の起源 (1973)エサマン・ペッかわうそのいる川
北海道地名誌 (1975)エサマンかわうそ
アイヌ語地名解 (1982)エサマン・ペッかわうそが多かったので
北海道の地名 (1994)saman-i横になっている・もの(川)

手元にある資料等から抜き出してみました(抜けがありそうな気もしますが……)。いくつかのパターンに分けられそうな感じですね。
  • samam-ni で「横になっている・木
  • esaman-i で「カワウソ・の所(川)
  • アイヌ女性の名前
  • 高山のある所
  • その他

シャマニ人名説

ここまで挙げた中で気になるものをいくつかピックアップしてみましょうか。

一シヤマニ
  シヤマは横と譯す。ニは木也。名義不詳。一曰、シャマニといへる女夷ありしより地名と成たりと。
(秦檍麿『東蝦夷地名考』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.27 より引用)
「シャマニ人名説」が紹介されていますが、面白いことに「カワウソ説」が見当たりません。「シャマニ人名説」は他に「東行漫筆」でも言及があるほか、『戊午日誌』や『東蝦夷日誌』も「人物由来説」を取り上げていて、当時はそれなりにメジャーな説だったように思わせます。

「カワウソの川」説

永田地名解以降は一転して「カワウソの川」説がメジャーになりますが、その初出は『戊午日誌』(とそのネタ元の『午手控』)でしょうか。

夷言かわうそをさしてエシヤマニと称す。今其を詰てシヤマニと言けるが、蝦夷東部シヤマニの地、むかし其川口え大なる獺流れ寄りしによつて、其言を以て地名とする由伝ふ。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.387 より引用)
これが本命?の「かわうそ」説で、「高山」説が続きます。

又一説には、シヤンマニなるよし。シヤンとは高山、名山抔を云、マニとはヲマニと云し事にて、高山の有る所と訳す。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.387 より引用)
最後は「シャマニ人名説」の変形である可能性を感じさせる「泳ぐ女」説です。

又は女の游ぎたるとも訳すと云事有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.387 より引用)

「横になっている川」説

その後、永田地名解が「カワウソの川」説を採用した結果、一気にメジャーになった……と考えられるのですが、山田秀三さんはどことなく納得がいかなかったのか、いくつかの試案を出していました。氏の旧著『北海道の川の名』には次のように記されていました。

 Esamam-pet の音はエ・サマム・ペッ「E-samam-pet 頭(水源)・横になっている・川」と聞えるし、またその方が自然の河川名形である。実際この川の上流は東の方に曲っていて、そんな姿である。
(山田秀三『北海道の川の名』モレウ・ライブラリー p.151 より引用)
確かに様似川を遡ると、途中で東に向きが変わっているように見えます。お隣の門別川ポロサヌシベツ川ポンサヌシベツ川も似たような特徴を有しているようにも見えますが、川の規模が違う……と考えれば良さそうにも思えます。

ただ、山田さん自身も似たような違和感があったのか、『北海道の地名』では若干トーンが変わっていました。

 音だけでいえば,サマニ「saman-i 横になっている・もの(川)」と聞こえる。この川の川尻が海に向かって横に流れている姿を呼んだのかとも考えた。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.341 より引用)
説得力のある解ですが、一つ難があるとすれば「エシヤマニ」の「エ」の音が残る余地が無いというところでしょうか。『北海道の川の名』の試案は「エ」の音を残して考えたものですが、少々説明的にすぎる印象があります。

別の言い方をすれば、「エンルム岬」という格好のランドマークがあるにもかかわらず、わざわざ「水源が横を向いている川」と呼ぶインセンティブが見当たらないように思えるのですね。

様似川はそこそこ長い川ですが、水源が日高山脈に接している訳ではないので、峠道として重要だったかと言われるとややびみょうな感じもするのです。

「岬の傍にある川」説

もし e-saman-i だとすれば「頭・横になっている・もの」と読めますが、これは「様似川」よりも「エンルム岬」を形容するにピッタリです。


本来は岬を意味する地名だった「エシャマニ」が近くを流れる川の名前に転じた……と想像することも(一応は)可能でしょうか。ただこの推論も無理やりこじつけた感が凄まじいんですよね。

地名なんて本来は記号に過ぎない……と暴言を吐くとお叱りを受けそうですが、仮に「様似川」を意味する「符号」を考えるとするならば、e-sam-an-pet で「頭・の傍・にある・川」というのはどうでしょう。

e(頭)は「エンルム岬」のことで、平たく言えば「エンルム岬の傍にある川」ではないかと考えてみたのですが……。

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