2025年6月28日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1248) 「冬島・ポンサヌシベツ川・ポロサヌシベツ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

冬島(ふゆしま)

puy-kas-suma??
穴・の上・岩
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 336 号の「日高耶馬渓」の北西にある地名で、同名の川も流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) には漢字で「冬島」と描かれていて、これはかつて「冬島村」が存在していたことを示しています(1868(明治 1)年~ 1906(明治 39)年)。現在の冬島のあたりには「プヨシュマ」と描かれています。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Puyo shuma   プヨ シュマ   石門 和俗穴岩ト云フ冬島村ノ原名
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.281 より引用)
puy-o-suma で「穴・多くある・岩」と読めそうな感じですね。ただ『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「フユシユマ」と描かれているほか、東蝦夷日誌 (1863-1867) にも次のように記されていました。

ブユカシユマ〔冬島〕(岩岬)、此處に大なる石門有、往來の者是をくぐり行也。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.215, p.218 より引用)
これも「ブユシユマ」なのですが、次のような地名解が記されていました。

ブユとは穴の事、シユマは岩也、やくして穴岩といふ儀。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.218 より引用)
見事に問題の?「カ」がスルーされてしまっています。面白いことに『午手控』(1858) も『竹四郎廻浦日記』(1856) も『初航蝦夷日誌』(1850) も、いずれも「フユカシユマ」あるいは「ブユカシユマ」としています。

これだけであれば「松浦武四郎のうっかりミス」で片付けることも(一応は)可能なのですが、なんと秦檍麿の『東蝦夷地名考』(1808) にも……

一 ブイカシユ──
 ブイヲマレシユ──マなり。ブイは穴なり。ヲマレは入也。シユ──マは岩石の称。此処自然の石門あり。如圖。
(秦檍麿『東蝦夷地名考』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.27 より引用)
「図の如し」とありますが、「ブイガシユ──マ地圖」には奥尻島の「鍋釣岩」とそっくりな岩が描かれています。

肝心の地名解ですが、地名が「ブイカシュマ」であるにもかかわらず puy-omare-suma で「穴・入れる・岩」となっています。このあたりの『東蝦夷地名考』には omare が頻発する印象があるのは謎ですね(インフォーマントの癖?)。

どうやら元々は「ブヨシュマ」ではなく「ブイシュマ」だったと思われるのですが、puy-kas-suma で「穴・の上・岩」あたりでしょうか。

ポンサヌシベツ川

pon-san-us-pet?
小さな・棚のような平山・ついている・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似町冬島の西、アポイ岳の西を流れる川です。近くに「アポイ山荘」と「アポイ岳ジオパークビジターセンター」があります。

北海道実測切図』(1895 頃) には「ポンサヌシペッ」と描かれています。ところが不思議なことに『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が見当たりません。

「ポン──」と「ポロ──」

ちょっと気になったので、ささっと表にまとめてみました。

初航蝦夷日誌
(1850)
東西蝦夷
山川地理
取調図 (1859)
東蝦夷日誌
(1863-1867)
永田地名解
(1891)
北海道実測切図
(1895 頃)
陸軍図
(1925 頃)
モンベツモンヘツモンベツ
(小川)
モ ペッモペッ門別川
----シミチカヨㇷ゚-
----プトワタラウㇱュナイ-
シラリヤシラリヤシラリヤシラリヤシラリヤサヌシベ
ホンサヌシベ-ホンサヌシベ
(小川)
-ポロサヌシペッポロサヌシベツ川
----トンタペケレ-
ホロサヌシベ-サヌシベ
(小川)
-ポンサヌシペッポンサヌシベツ川
トンタベケレ-トンタベケレ
(小石濱)
---
フユカシユマフユカシユマブユカシユマ
(岩岬)
別名ブユニ
プヨ シュマプヨシュマ冬島
----ペッサンナイ-
フユニ---プユタ-
ライクンナイ-ライクンナイ
(小澤)
-ライクンナイ-
ヲソフケシオソフケウシヲソフケウシ
(小澤)
オシキ ウシオシキウシ-
-メナシトマリ-メナシ トマリメナシトマリ-

注目すべきは『初航蝦夷日誌』の記録で、「フユカシユマ」(=冬島)から見て「ホロサヌシベ」「ホンサヌシベ」の順になっているところです。これは現在の順序とは逆になっています。

別の見方をすれば「実測切図」で「ポンサヌシペッ」が移動したとも取れるのですが、東蝦夷日誌の里程を検証したところ……

東蝦夷日誌 (1863-1867)地理院地図
モンベツ(小川)門別川
廿町2181.82 m
シラリヤポロサヌシベツ川
幷て
ホンサヌシベ(小川)
六町四十間727.27 m
サヌシベ(小川)ポンサヌシベツ川
一町廿間145.45 m
トンタベケレ(小石濱)-
三町327.27 m
ブユカシユマ(岩岬)別名ブユニ冬島港(三角点)近辺
五町六間556.36 m
ライクンナイ(小澤)-
三町四十間400 m
ヲソフケウシ(小澤)コトニ

メートル換算は https://keisan.casio.jp/exec/system/1315358108 を使用しているのですが、概ねリアルな感じの距離に変換されました。これらを見る限り、『初航蝦夷日誌』で「ホロ・・サヌシベ」、『竹四郎廻浦日記』(1856)で「ヲン子・・・サヌシベ」と記録された川が現在の「ポン・・サヌシベツ川」で、元凶?は『北海道実測切図』らしい……と考えられそうです。

イナウの多い川? 昆布の多い川?

ようやく川の位置が特定できたので、あとは地名解ですが、東蝦夷日誌には次のように記されていました。

(廿町)シラリヤ〔白里〕、(幷て)ホンサヌシベ(小川)、昆布はますます多き由にて、出稼でかせぎ屋立連る。風波荒き時は、從是も新道に入るなり。(六町四十間)サヌシベ〔核蘂〕(小川)本名ヌサウシベツのよし、やくし木幣エナヲ多き儀、また一説エサウシベツにして、昆布エサ多き義也と。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.215 より引用)
nusa-us-pet で「祭壇・ある・川」か、あるいは e-sas-us-pet で「そこに・昆布・多くある・川」ではないかとのこと。

傾斜のある川?

北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 ポンサヌシベツ川 ピンネシリに発して,サヌシベで海に入る川。小さな傾斜のある川という。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.579 より引用)
これだけでは傾斜が緩いのかな? と誤解しそうですが……

 ポロサヌシベツ川 ポンサヌシベツ川と並行して,冬島で海に注いでいる川。大きい方の傾斜のある川の意。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.579-580 より引用)
「ポン」と「ポロ」は川を修飾するものなので、pon-san-us-pet で「小さな・坂・ついている・川」と解釈すべき……ということですね。妥当な解のようにも思えますが、山田秀三さん風に「小さな・山から浜へ出る・いつもする・川」とも考えられそうです(雨が降った後に水がどっと出る川)。

棚のような平山についている川?

あるいは……ですが、san を「棚のような平山」と考えることもできるかもしれません。ポンサヌシベツ川とポロサヌシベツ川の間は(このあたりでは)比較的穏やかな丘陵地帯に見えるので、このことを指して pon-san-us-pet で「小さな・棚のような平山・ついている・川」と呼んだと見るべきかもしれませんね。

前述の通り、「実測切図」で「ポン」と「ポロ」が入れ替わってしまったので、現在の「ポンサヌシベツ川」は poro-san-us-pet だったことになります。

小型の磯つぶ?

ただ『様似町史』は「傾斜のある川」説に対して次のような異説を紹介していました。

 サヌシュペの原名はサヌシエペである。それが変化していつか現在の川の名になってしまったもので、元は川の名称ではなかった。
 サヌシは小形の磯つぶ、エペは喰うの意。むかし十勝からきたアイヌたちが、食料の窮乏になやんだが、幸いにこの辺一帯に小形の黒い磯つぶがあったので、それを食し飢餓を免れたといわれている。
(様似町史編さん委員会『様似町史』p.46 より引用)※ 原文ママ
「サヌシは小型の磯つぶ」とあるのですが、知里さんの『動物編』(1976) には「エゾバイの類」として mokoriri, chipoyto, to-mokoriri, chibu, ninčic, ninchix などが挙げられていて、「サヌシ」に近いものは見当たりません。

なお『様似町史』には次のような「付言」も記されていました。

  付言 現代のアイヌたちは、この名を急斜な川の意味に解釈しているが、しかしこれは地名にちなんで無理につけたもののようである。
(様似町史編さん委員会『様似町史』p.46 より引用)※ 原文ママ
全力で「違う、そうじゃない」とアピールしています。もっとも「サヌシ・イペ」であれば「磯つぶ *が* 食べる」になりそうな気もしますが、ipe を名詞と捉えて「サヌシイペ」で「食用となり得る磯つぶ」を意味した……という可能性は完全に否定できないような気もするので……。

ポロサヌシベツ川

poro-san-us-pet?
大きな・棚のような平山・ついている・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ポンサヌシベツ川の北西、東平宇のあたりを流れる川です。『北海道実測切図』(1895 頃) では「ポサヌシペッ」と描かれていますが、「実測切図」以前では「ホサヌシベ」と記録されていたことは「ポンサヌシベツ川」の項で記したとおりです。

「ポロサヌシベツ川」は poro-san-us-pet で「大きな・棚のような平山・ついている・川」と考えたいところです。

ただ san は「山から浜へ出る」と見ることも可能なので、あるいは「小さな・山から浜へ出る・いつもする・川」で降雨後の出水のある川……という可能性もあるかもしれません。

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