2025年6月7日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1242) 「幌満」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

幌満(ほろまん)

poro-oman-pet?
大きな・山の方へ行く・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似町東部、アポイ岳の東側を流れる川の名前で、河口部の地名です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ホロマヘツ」という川が描かれています。

北海道実測切図』(1895 頃) には漢字で「幌滿」と描かれていますが、これはかつて「幌満村」が存在していたことを示しています(1868(明治元)年~1906(明治 39)年)。そして気になるのが、川の名前として「ホロマヘツ」ではなく「ポロㇱュマベッ」と描かれていることで……。これはちょっと嫌な予感がします。

「大きな・入れさせる・川」?

秦檍麿の『東蝦夷地名考』(1808) には次のように記されていました。

一 ホロマンベツ
 ホロヲマレベツなり。ホロは大、ヲマレは入なり。大入河と訳す。
(秦檍麿『東蝦夷地名考』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.27 より引用)
poro-omare-pet で「大きな・入れさせる・川」となるのでしょうか。田村すず子さんの『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) には oma-re で「……に位置する・させる」を意味する「他動使役」とあります。ただ、これだと poro-omare-pet は「ポロに置く川」になりそうで、文法的におかしいような気もします。

「岩窟・そこにある・川」?

上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』(1824) には次のように記されていました。

ポロマンベツ            休所番家有「川舟渡し」
  夷語ポルマベツなり。則、窟の在る川と譯す。扨、ポルとは窟の事。マとはヲマの略語にて、ある又は入ると申意。ベツとは川の事にて、此川の奥に窟の在故、地名になすといふ。
(上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.57 より引用)
poru-oma-pet で「岩窟・そこにある・川」となるでしょうか。違和感のない解ではあるのですが、本当に岩窟があったのか要確認でしょうか。

「水・多い・そこにある・川」??

『午手控』(1858) には次のように記されていました。

ホロマンヘツ
 極水勢よきによって号
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.433 より引用)
これは「マン」をどう解したものでしょうか。wakka-poro-oma-pet であれば「水・多い・そこにある・川」となりそうで、あるいは poro-wakka-oma-pet という可能性もあるかもしれません。wakka が自明のことであるとして略された……と見れば良いのでしょうか。

「間・にある・川」???

また、東蝦夷日誌 (1863-1867) には次のように記されていました。

ポロマンベツ〔幌滿川〕本名ポロヲマベツにして、岩洞有川の儀、水源は洞中より流れ出るが故になづけし。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.223 より引用)
「本名ポロヲマベツ」とありますが、「岩洞」とあるので、これは poru-oma-pet で「岩窟・そこにある・川」と見るべきでしょうか。ただ別の解も記していて……

又此川口ふたつの高山の間に有故とも云り。またエミカトの説に、水勢急なるが故とも云。いずれが是ならん。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.223 より引用)
「二つの高山の間にある」というのは uturu-oma-pet あたりでしょうか。これだと「ポロヲマベツ」との違いが大きいので、あるいは別の表現があったのか……。「水勢が急」というのは地元のアイヌの説だったっぽい感じですね。

「大きな・岩・川」???

そして永田地名解 (1891) には……

Poro shuma pet   ポロ シュマ ペッ   大石川 後世「ポロマンベツ」ト云フハ非ナリ今幌滿別村ト稱ス
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.282 より引用)
嫌な予感がしていたのですが、やはりそうでしたか。これまでの記録を全否定して poro-suma-pet で「大きな・岩・川」という解をひねり出してきました。

確かに陸軍図には河口に大きな岩が描かれているので意味は通るのですが、何を根拠に suma を「発掘」してきたのかという点で疑問が残ります(「ポロマンベツ」の解釈が不明なので、それらしい解を「でっち上げた」可能性すら考えたくなります)。

諸説ありますが

更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。

ポロシュマ・ペッが正しければ大石川でよいが、ポロシュマがポロマンに変化するということはあり得ない。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.87 より引用)
おっ、ズバっときましたね。

昔からポロマンと呼んでいたとすればポル・オマン・ペッで、洞窟に行く川と解することができる。日本流では洞窟から流れ出る川の意。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.87 より引用)
poru-oman-pet で「岩窟・そこに行く・川」ではないかとのこと。上原熊次郎の解と同じですね。

山田秀三さんの旧著『北海道の川の名』(1971) には、次のように記されていました。

 松浦氏の Poru-oma-pet(洞・ある、に入る・川)が自然な感じである。なお、呼ばれてきた語形からいうならば、Poru-oman-pet(洞に・行く・川)だったかも知れない。
(山田秀三『北海道の川の名』モレウ・ライブラリー p.150 より引用)
永田方正が「違う、そうじゃない」として既存の解を全否定する「新説」を唱えたものの、結局それは受け入れられず……というお約束どおりの展開になってきました。道庁の「アイヌ語地名リスト」でも次のように評価されていました。

秦檍麿『東蝦夷地名考』(1808)poro-oman-pet大きい・行く・川
上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』(1824)poru-oma-pet洞窟・ある・川
永田方正『北海道蝦夷語地名解』(1891)poro-suma-pet大きい・石・川

「○」は「条件に合致していると判定」で「-」は「情報不足等のため判断できない」とあります。やはり永田地名解は「それちょっとどうよ」という評価のようですね。

「大きな・山の方へ行く・川」?

ということなので、永田地名解の説は一旦見なかったことにして(ぉぃ)残りの二つの解を検討したいのですが、果たして洞穴はあったのでしょうか。洞穴が目立つところにあったというのであれば poru-oma-pet で「岩窟・そこにある・川」説が俄然有力になると思われるのですが、そうでないとすれば秦檍麿の poro-oman-pet 説に魅力を感じます。

oma ではなく oman なのがポイントで、『地名アイヌ語小辞典』(1956) を見てみると……

oman [複 paye] オまン《完》①行く。(対→ ek)②山の方へ行く。(対→ san)
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.75 より引用)
とあるので、poro-oman-pet は「大きな・山の方へ行く・川」と読めるかと思われます。実際に、このあたりの川の中では「幌満川」の流域の広さと奥深さは圧倒的なので、そのことを形容したもののように思われるのです。

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