2025年6月8日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1243) 「オナルシベ川・パンケ川・ミキイナイ沢」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オナルシベ川

o-ninar-us-pet?
河口・川沿いの台地・ついている・川
(? = 旧地図で未確認、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似町東部を流れる「幌満川」の中流部にある「幌満ダム」のダム湖(幌満湖)に北西から合流する支流です。妙な名前だなぁ……と思ったのですが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「オンナルシペッ」と描かれていて、また陸軍図には「雄鳴蘂オナルシベ」という地名が描かれていました。

「オンナルシペッ」は onne-ru-pes-pet で「老いた(長大な)・路・それに沿って下る・川」か……と思ったのですが、この川は「二冬山」三等三角点(標高 779.8 m)にまっすぐ向かっていて、峠道としての価値はそれほど高くなさそうにも見えます。

しかも「オナルシベ川」の西支流に「ルートラㇱュオンナルシペッ」という川があり、これが ru-turasi-onne-ru-pes-pet とすれば「路・それに沿って上る・{老いた・路・それに沿って下る・川}」となり、少々珍妙な感じになります(あり得ない形では無いのですが)。

「ニナル」だった

何か間違っているような気がしたので『東蝦夷日誌』(1863-1867) を見てみたのですが、そこには……

(向て)ヲニナルシ(左川)此處に鹿とる小屋あり。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.224 より引用)
あー、そういうことですか。o-ninar-us で「河口・川沿いの台地・ついている」と読めます。本来は o-ninar-us-pet で「河口・川沿いの台地・ついている・川」で、「オナルㇱペッ」が「オナルㇱペッ」と誤記されて、やがて「ン」も落ちて「雄鳴蘂オナルシベ」になった……というオチだと思われます。

『角川日本地名大辞典』(1987) にも次のように記されていました。

当地は昭和 16 年までは,オナルシベ(雄鳴蘂)と呼ばれ,アイヌ語で高原にある川の意。
(『角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)』角川書店 p.236 より引用)
やはり o-ninar-us-pet で間違い無さそうな感じですね。

改めて『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) を眺めてみたところ、(位置が少しおかしいものの)「ニナルシ」という川が描かれていました。カタカナだと「チ」と「ヲ」も良く誤記されますからね……。

パンケ川

panke-tukusis-yap?
川下側の・アメマス・陸に寄る
(? = 旧地図に記載あり、既存説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
幌満ダムの北で幌満川に合流する北支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「パンケトチキサㇷ゚」と描かれています。「チキサㇷ゚」であれば chi-kisa-p で「我ら・こすって火を出す・ところ」なのですが、これだと「ト」をどう解したものか……。

「パンケ川」を遡った先に「班計」という二等三角点もあるのですが、「点の記」が保管されていないとのことで詳細は確認できません。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「トウクツチヤヽ」という川が描かれています(何故か「パンケ」や「ペンケ」は見当たりません)。東蝦夷日誌にも「トウクツチヤ(左川)」と記されています。

『午手控』(1858) には「トウクチチャ 左小川」とあり、また「ヘンケトキチシヤフ 右中川」という記録もあります。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Panke tokushish yap   パンケ トク シㇱュ ヤㇷ゚   下ノ鱒漁場
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.285 より引用)
うーん、panke-tukusis-yap で「川下側の・アメマス・陸に寄る」と考えたのでしょうか。永田地名解は「幌満」の解のようにどこまで信用していいのか……という問題もあるのですが、「トキチサㇷ゚」「トウクツチヤヤ」「トウクチチャ」「トキチシヤフ」という記録のいずれにも「近い」のも確かです。

「都合の良いときだけ永田地名解を利用するのか」と言われたら「はい(キリッ)」と答えるしか無いのですが、まぁ、何て言うの? いいものもある、だけど、悪いものもあるよね™、ということで……。

ミキイナイ沢

不明???
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
パンケ川の西支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には川名の記入が無く、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が見当たりません。

地形図では 1977(昭和 52)年の「1:25000 新富」に「ミキイナイ沢」と描かれていることが確認できましたが、それ以前の地形図については不明です。

陸軍図にも川名は描かれていないため、川名の存在を戦前まで遡ることができません。「ミキイナイ沢」という川名も他に類例が見当たらないもので、敢えて解を考えてみるならば mike-nay で「光り輝く・川」とかでしょうか(ただ mike が地名に使われることがあるかどうかすら不明)。

ここまで幌満川筋の川名を見た限りでは、大抵の川名に誤記や誤謬があるようにも思えます。この「ミキイナイ沢」も「インド人を右に」級の誤記が含まれていたとしても不思議はありません。

いずれにせよ、もう少し情報が無い限りは「アイヌ語地名か否か」というところから先へ進めないように思えます。もしかしたら今井美樹

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